ネットにあった話。
テリー伊藤の発言だ。
上西議員の「サッカーの応援して
いるだけのくせに、なんかやった
気になってるのムカつく。他人に
自分の人生乗っけてんじゃねえよ」
いうツイートに、「スポーツ選手に
自分の人生を乗っけるのは普通で
しょ? だって自分ができなかっ
たことをスポーツ選手に託すわけ
だから。そこの原点を彼女はわかっ
ていない」と一刀両断した。
以上。
テリー伊藤は、好きではないが、
この記事を読んで、一瞬、快哉を叫
んだ。
ところで、「カイジ」では、そのよう
な他人の人生に乗っけることに、夢中
になっていることに、それで、いいの
かい?と問題提起をした。
そのことが、気になって、ずっと覚え
ている。
何らかの才能と野心を抱いている人に
とっては、それはそれで、警告ともな
りようが、問題は、他人の人生に自分
の人生を乗っけている場合ではない人
は、そうはたくさんいないのが、現実だ。
あるはずのない才能に「見はてぬ夢を
見る」人生で、納得できる人もそうは
多くはないはずだから。
どこまで、いつまで、自分の才能を試
していいのか、難しいところだ。
実ることのない「見果てぬ夢を追う人
生」と三流の人生で、楽しく面白く生
きるのと、どちらを選択するか。
考えさせられる。
「神輿に乗る人担ぐ人、そのまた草
鞋を作る人」という諺がある。
多くの人の人生は、神輿には乗れない。
「担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」に
まわって、誰かの人生に乗れたら、い
い方だろう。
もちろん、担ぐ人にも草鞋を作る人に
もなれない人が、大方ではないか。
さて、上西議員、
他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ。
というが、
自分こそ、「難波のエリカ様」と言われて
いるのだが、他人の人生にちゃっかり乗
っかかって、政治家なのかタレントなのか
分からないような様は何だろう。
もっとも、売名には役立つから、選挙に
は有利となるだろう。
他人に自分の人生乗っけてくれなければ、
宗教も政治も成り立たない。
上西議員、政治家なるもの、有権者の人
生を乗っけることで、成り立つ商売だが、
理解しているだろうか。
まさか、「難波のエリカ様」に酔ってい
て、タレント気分にうつつを抜かして
いるのでは。
誰でも、自分の才能に期待して生き
たいものだが、最終的にはその道の
№1以外には、自分の才能に酔うこ
とは望めない。
実際の人生は、非凡なる才能を発揮
し、人生を展開できる人がいて、ど
んなに才能を探しても凡人である人
が非凡な人間に人生を託すことによ
って、成り立っているのがこの世の
からくりではなかろうか。
国会議員の人生は、国民の人生を乗
っけることによって成り立つ商売だ。
自分の現実を分かっているのだろうか。
もっとも、わが国の親分(安倍総理)も、
国民の人生を乗せるのではなく、自分
の人生を追求するために、自分の自己
実現のために、国民の人生を弄んでい
るのだから、平の議員がどうであるか
は、推して知るべしかもしれない。
今、古賀氏の本を読みかけている。
その本に、こういう言葉がある。マハトマ・ガンジーの言葉
あなたがすることのほとんどは
無意味であるが
それでもしなくてはならない
そうしたことをするのは
世界を変えるためではなく
世界によって自分が
変えられないようにする
ためである
投げ出したいのは、やまやま
だが、そうもいかないようだ。