二輪よもやま話ー36
かなり時間数は、超過したもののとにかく、限定解除の
教習を卒業することができた。
ただ、今回も一本橋の走行の技術は、習得できてはいない。
とにかく、走り抜けることで精一杯だった。
70点だったら、合格だそうなので、減点を折り込んで、
合格するしかない。
スクーターの免許をとる時も、今回の限定解除の教習も
一本橋については、全く自信がなかった。
しかし、今回は、最後の教習のあたりに、これまでの指導
過程で指導されたこともあって、とにかく体全体の柔軟性
が大事ではと、感ずるものがあった。
というのは、一本橋を渡った最後の数回の時から、体が
必死になって、橋から落ちぬようにバランスを取ろうと、
反射的に反応するようになっていた。
きっと、側で見ている人にするれば、非常にぶざまな
格好ではと思っているが、これが、驚きであった。
思うに、一本橋走行を技術として習得できてはいないが、
これまで、数多く練習を積み重ねてきて本来持ってて、
忘れてしまっていた機能が覚醒しつつあるのではと思
われた。
歳をとり、日常体を動かす生活をしなくなることに
よって、体の筋肉が減り、拘縮し、反射神経も衰え、
知らず知らずのうちに、一本橋走行するためのバランス
感覚を喪失してしまうのだろう。
結局、一本橋走行は、歳とったから、習得できない
のではなく、体が忘れてしまったのだ。
用不用説というのもあるが、大方の人間は、歳を
とるにつれて、体を使った仕事から遠ざかって
いく。
そして、体が鈍っていくのだ。そのうち、歳だな。
と言っているうちに、だんだん体を動かさなくなり、
マイナスのスパイラルをまっしぐらとすることなる
んでは。
なんて、感じている。
今回、恐らく、完全に忘れ去ってしまう直前に、繰り
返し練習することで、忘却の底から、その記憶を呼び覚
ましたのではと、思うことになった。
そういう意味から言えば、金に糸目をつけず、もっと
練習すれば、恐らく、習得できたかもしれない。
ただ、今後の日程が詰まっている、指導員に飽きられる
のも辛いものがある。
これで、良しとするしかない。
その仮説を実証するために、次回、大型の免許を習得
するという暴挙を企んでいるが、どうなることやら。