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リタイアーのよもやま話

自分自身をごまかすな

2014-11-22 21:06:50 | 読書

ヴィトゲンシュタインが、次のようなことを
言っている。

自分自身をごまかすな

 自分をごまかしてはならない。自分のして
いること、気持ちのありかたをよく見つめ、
自分の心にじっくりと耳を傾ける必要かある
のではないか。

 もちろん、この自分自身の心に聞くのだ。

 自分に聞くふりをしながら、自分が想像し
た他人に聞いたりしないように。自分を見つ
めるふりをしながら、自分を眺めている他人
を見つめないように。 

 そしてまた、他人が見ているであろうとこ
ろの自分の姿を本当の自分だとわざと錯覚し
ないようにしながら。

以上。

 

ヴィトゲンシュタインが語ったとおり、自分
自身を理解することは、容易ではないようだ。


ところで、

他人の目にどう映るかは別として、自分が
「カッコいい」と想う人間には、誰だってな
れる。

オレはそう信じてるよ。


と語った人がいたが、どうだろう。

 

誰もやらなかった決断をしてみよう。

そうすれば、誰もが夢でしか見たことのない
場所にたどり着けるだろう。

と語った人もいたが、どうだろう。

 

みんな、自分の本音を知り得ているのだろうか。

 

少なからぬ人々は、他人からほめられようと
思っている。人から感心されたいと思っている。

さらに卑しいことには、偉大な人物だとか、
尊敬すべき人間だと見られたがっている。

と、ヴィトゲンシュタインは語っていたし、人
は誰も人並みでありたい。と、切望している。

又、ヴィトゲンシュタインは、こうも語って
いる。

 

「本当に欲しいもの」は別にある。

 どのように欲しがっているのか。どんなふう
に求めているのか。それをじっくりと観察して
みればいい。

 すると、何を欲しがっているのかわかってく
る。

 というのも、人は欲しがっているものを本当
に欲しいのではなく、別のものを手に入れたい
と渇望しているからだ。たとえば、大型犬を欲
しがっている人が本当に望んでいるものは自分
が支配する力だというふうに。

 

とも語っているのだが、こうなると、自分自身
を知ることは、如何に困難なことであるかと、
いうことにしかならない。 

となっては、いったい、どの程度の人が、人生に
納得がいくことになるのだろう?

 迷うばかりだ。


行ないが人を表す

2014-11-22 09:43:40 | 読書

ヴィトゲンシュタインが、次のようなことを
言っている。


行ないが人を表す

  誰かの価値観や善悪の尺度を知りたかった
ら、その人に質問するよりもはるかに簡単で
正確な方法がある。

 それは、その人が何に対してしばしばほほ
えむかということだ。何に対してどういう素
振りをするか。どんなものを好んで手にとっ
たり、何をもっぱら食べるか。どんなものを
じっくりと見つめるか。何に気を引かれるか。

 その人の行ない全体が、その人自身を表し
ている。

 

以上。

 

ヴィトゲンシュタインは、こうも言っていた。

 

尊敬されるのではなく
愛されるように

 

少なからぬ人々は、他人からほめられようと
思っている。人から感心されたいと思っている。

さらに卑しいことには、偉大な人物だとか、
尊敬すべき人間だと見られたがっている。

それはちがうのではないか。人々から愛され
るように生きるべきではないのだろうか。

 

以上。

 

人は、実は自分が弱者であることに、いつも、
怯えている。

 

弱者であることは、往々にして、いじめの対象
になるし、素敵な異性も獲得できない。いつも
弱肉強食の現実社会においては、生きる権利を
も奪われがちだ。

だから、人は弱者と見なされないように、必死
とならざるを得ない。

 少なからぬ人々は、他人からほめられようと
思っている。人から感心されたいと思っている。

と言うのだが、実は、周囲に迎合し、媚びて、
我が身を守ろうとする。そう攻撃されないよう
にしている。

偉大な人物だとか、尊敬すべき人間だと見ら
れたがっている。というが、実は攻撃は最大の
の防御ということで、それは、形を変えた周囲
への牽制である。

 そういうことで、その人がどういう人であるか
ということは、誰しも仮面をかぶっているいう
ことで、容易に分かりようはなかろう。

 そういう意味では、やはり、

「行ないが人を表す」というのは、肝要なこと

だろう。

 

できれば、誰も知らないことで、どう振る舞う
かということが、その要点かも知れぬ。 

誰かが、見ているという計算も人は、やりがち
だからだ。

 人々から愛されるように生きるべきではない
のだろうか。

ヴィトゲンシュタインは、言ったが、どうした
ら愛される生き方になるかが、問題だ。

 時に、愛されているかのように思えても、実は、
見くびられていることも、あったりするからだ。

どういうことをもって、「愛される」ことなのか
とても、難しいテーマではないか。