ヴィトゲンシュタインの言葉に、こういうのが
あった。
尊敬されるのではなく愛されるように
少なからぬ人々は、他人からほめられようと
思っている。人から感心されたいと思っている。
さらに卑しいことには、偉大な人物だとか、
尊敬すべき人間だと見られたがっている。
それはちがうのではないか。人々から愛され
るように生きるべきではないのだろうか。
である。
この言葉を読んで、とあるコマーシャルを思い
だした。
この惑星の住民は、誰もが勝利者になれるわけ
ではない。
ただ、この惑星には、愛されるという勝ち方も
ある。
という言葉だ。
どこかしら、共通点があって面白く思えた。
他人からほめられたり、人から感心されたり
するにしても、又、偉大な人物だとか、尊敬
すべき人間だと見られるためには、それなり
の才能と努力と運が必要なはずだ。
それらの才能のない99%の人間は、人々
から愛されるように生きるという選択をした
ほうが良いかもしれない。
ただ、「人々から愛される」というのも一つの
才能だったら、いや、その可能性もある。と
なると、その選択も容易ではない。
わたしの病院では、仕事はてきぱきとやっている
ようだが、出会っても挨拶はしないし、無愛想の
人もいれば、終始にこやかにして、可愛げの
ある職員もいたりして、芥川龍之介の「運命は
性格のなかにある」と言った言葉を思い出させ
る事例がある。
誰も助けてくれなかったとしても、それはまわり
の人が薄情だったわけではありません。それま
での自分が周囲の人に薄情だっただけなので
す。
一匹オオカミを気取って、誰も頼らない、誰も
信じないという態度をとってきた人がいたとし
たら、いったい誰が助けようなどと思うでしょう。
と言った人もいたのであるが、特段の才能の
ない人は、少しでも愛される努力をしなけれ
ばならいだろう。
もっとも、わたしは、現職時代は、一匹オオ
カミを気取っていたので、あまり言えたぎり
ではない。
ただ、退職して、そのようなむきになって生き
る必要がなくなったのは、日常が平穏になって
きたような気がするのだが。