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リタイアーのよもやま話

金持ち

2014-11-08 21:35:31 | 読書

ココ・シャネルの本にあった文章である。

 

ウェストミンスター公爵は、エレガンス
そのものだった。

そのくせ新しいものなど、なにひとつ身
につけていない。

あたしは彼のために靴を買いに行かなけ
ればならないことあったし、上着など25年
も同じものを着けている始末だった。 

ウェストミンスター公爵は自分の財産が
どのくらいなのかも知りもせず、金銭の
匂いがまったくしなかった。

シャネルの美意識に合っていた。

「シンプル」と「エレガンス」、シャネル
が生涯を通して主張したことを、ウェス
トミンター公爵も持っていた。

 

また,ウェストミンスター公爵は「働か
ない男」だった。

ここにシャネルが「唯一愛した男」カペル
との違いがあった。

「働かない男」の優雅な生活はシャネル
には退屈だった。

釣りも面白い。狩りも面白い。ヨットも
面白い。しかし、それはけっして人生
そのものではない。シャネルにとって
退屈さは何よりも耐えがたいものだった。
惨めなものだった。

 

以上。

 

この文章を読んで、本当の金持ちについて
知り得るようで、興味深かった。

 ウェストミンスター公爵は自分の財産が
どのくらいなのかも知りもせず、金銭の
匂いがまったくしなかった。

 このような人達は、私たちが直接目にする
ことはないだろう。

 

財産の心配をすることなく、金銭の匂いが
しない人間というと、皇族だけかも知れない。
ただ、彼らは、社会貢献で忙しいのだが。

 

ところで、

 

「働かない男」の優雅な生活はシャネル
には退屈だった。

釣りも面白い。狩りも面白い。ヨットも
面白い。しかし、

それはけっして人生そのものではない。
シャネルにとって、

退屈さは何よりも耐えがたいものだった。
惨めなものだった。

 

この文章で、気になることがあった。

経済的ランクの違いはあれ、
この話は、年金生活者の生活でもある
からだ。

 年金族の「何もしない自由」、晴耕雨読の
気ままな生活は、決して、人生そのものでは
ない。

こういう深読みは、辛いのだが。

 そこに、鬱病になっていく病巣があるのでは。
耐えがたい「退屈」と「惨めさ」。

 


人生とは手に持った悪いカードをいかに上手に使うかである

2014-11-08 19:54:34 | 読書

最近、ココ・シャネルの本を読んだ。

次の言葉は、ココ・シャネルの言葉である。

 

人間の生まれの違いからくる幸、不幸。
そのハンディキャップを考えるとき、出だ
しが不幸だったことをあたしは全然恨ん
でいない。

 あたしは、あたしの人生を作り上げた。
なぜなら、あたしの人生が気に入らなか
ったからだ。

 以上。

 

彼女のこの言葉と同じことを、言い表していると
思われる言葉を最近を見つけている。

 

人生とはいかに良いカードを手にもつかではなく、
手に持った悪いカードをいかに上手に使うかである。

ロバート・ルイス・スティーヴンソン
(イギリスの小説家)

本当は、選択した結果に、大きな意味はないのかもしれない。
なにを選んだとしても、結果の善し悪しは誰にもわからない。
大事なことは、なにを選ぶのか、ではなく、選んだ後どう
生きるかだ。

物事を明るく受け止めて、ひたむきに頑張れる人は、なにを
選んだとしても、結局、「これを選んでよかった」と笑うのだ
から。

すべては、今、ここにある。
今、何をするかで、過去の意味も変えていける。
今、何をするかで、未来も新しく創っていける。
すべては、今、ここにある。 

以上。

 

どの言葉を、わたしを励ましてくれているようで
好きである。

 これらの言葉を、退職して、知り得るようになった
のだが、多く感じ入るものがある。

 もしかして、そのような心境になるのは、年を食った
せいかも。そうであれば、少しは賢くなったかも知れ
ない。

 ココ・シャネルの言葉には、若干、猛々しいものを
感ずるのだが、この言葉の意味するところを、彼女
の幼少の時の非情な現実を知り、納得してしまった。

 

実は、わたしの父親の人生も、まったく、そのような
人生であったと、最近は、感じ入っていたところで
ある。

 わたしの父親は、本妻の子どもとしては、生まれて
いない。

 だから、父の母親は、「財産は何一つもらえないの
だから」と、父に語ったし、母親はそのような自分
の子どもの運命に、不憫なものを感じて、やまなかっ
たようだ。

 父も、自分の父親には反発をしていたかも知れない。
終戦を期に、自分の名前を変えることになったのだ
から。 

しかし、紆余曲折あって、父は自分の父親の七光を
背負い、父親のブランドで、地方政治家として地域
の発展を夢見るとこになった。

 

結局、父は自分の父親と和解したように思われる。
人生の途中、父は自分の父親を人生の目標とする
ようになったからだ。

 今は、寝たきりのベットの上で、何を思うのだろう。

本妻の子どもとして、生まれなかった父が、自分の父親
が築いたブランドと七光を一身に受け、地方政治家とし
て、大成することができたと思う。

父親は、兄弟の中で、物質的な財産はともかく、七光・ブ
ランドから、多くのものを得ることになった。

もちろん、その生き方を全うするに、多くの歪みを生み
出したことは否めない。

 

ところで、ココ・シャネルの人生は、父親への大いなる反発
で終始したようだ。

 捨てられっぱなしの父親に対して、和解することは
不可能なことだろう。

 

それは、そうと人生は不可解なものだ。

妻を早死にさせ、子ども捨て去るという甲斐性のない
非情な男の存在が、ココ・シャネルを通して、多くの
文化人を育て、ファッションの世界に新しい時代を切り
開いた。とも、とれるからである。

ココ・シャネルという女性の悲しい人生を通して。