2月22日:
主が居なくなって一週間が経った。
広くなった部屋に立ち、二人で交わした会話の一言一言を追いかけて、独り言を声にして
話しかける・・・「おはよう 寒いね」 「ぜんぶ食べて呉れてありがとうね」 「ポカリ飲む?」
(ポカリ→ポカリスエット)
……まだ辛さが付きまとってシャンと出来ずにいる。
そんな弱い気持ちでいると、単なる偶然も何やら因縁めいて見えてくることがある。
妻は、好きだった父親を天国に送る際に、「これ貰っていくね」と背丈10センチ程の松の盆栽を
形見代わりに持ってきていた。 厚木→豊橋→新城→豊川と転々と移り住んだ23年間も
何の手入れもしなかったが枯れることなく、妻と共にあった。
それが、
昨年末の入退院を繰り返すようになった頃から、根本部分の葉が枯れてきた。
でも、それが終焉の兆しなどとは思ってもみなかったし、葉が枯れるのは自然のサイクルだと
気にしなかった。
今日、ガランとした部屋からその松を眺めると、生命の証を示す緑は一葉として無かった。
松には父親の祈りがこもっていたかのようだ。
自分と同じ病を発症した娘を守り、寄り添い共に生きたように思えてならない。
枯れた松は土に還るまで静かに置くことにします・・・・・・