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同志社大学に、土倉庄三郎の足跡を求めて訪れた。
それなりの収穫はあったが、どうもこのままでは大阪梅花女学校や日本女子大学にも足を延ばさなくてはならないようだ……。
とくに興味深かったのは、当時の同志社(英学校・普通学校)は塾だったという点。卒業しても何ら資格はないし、生徒もちゃんと卒業する者は少なかった。また入学年齢もいい加減(土倉の子息・子女は6歳から10歳くらいで入学している)だし、それで英語の授業を受けられるわけもなかろう。
世話を見るのは、アメリカ人女性宣教師と年長の女子生徒。そこには保育園・幼稚園的な面もあったようだ。
それでも当時としては、新鮮で最新の勉学として身についたのだろう。その後、何人かは帝大などに進学するが、林学を学んだ気配がない。その当たりの庄三郎の意識はちっと興味深い。林業は学校で教わるまでもなく、自らが教えられるという自負があったかもしれないし、あるいは林業以外の分野に羽ばたくことも許容したのか。
帰りに映画館に寄り「きみにしか聞こえない」を鑑賞。
地味で静かな展開の小品だが、しっとりとしていい味を出している。映画はTVと違ってスケールを追求しがちだが、静かな映画もいいものだ。主演の成海璃子が見たかったこともあるが(^^;)、それ以上の収穫。
>あまりにお若いのでびっくりしました。
この言葉は嬉しい(^o^)。昨日は、娘から腹が出ていることをなじられ、白髪を抜かれていたのです…。
土倉翁も、世間に大きく出るのは40を越えてからなんですね。それまでは林業事業に邁進して、40を前にした頃から自由民権運動に参加するのです。
ご文章が発表されることを楽しみにしています。
同志社も、山本覚馬、八重兄妹、井深八重等々その他興味深い面々が揃っていて、スケールの大きさを感じます。また会津人が一堂に会したこともおもしろいですね。
新島襄の人となりも、"誕生以来、密航、留学、使節団の通訳等を経て同志社設立、経営、熊本バンドと生徒、教師の反目、一触即発の状況を「自責の杖」で誰一人批難することなく治めてしまった。"等の背景を探りながら見れば、とても大きく広く深い人物であることが実感できます。
新聞に掲載されたお写真を拝見しました。
プロフィールを読んでいましたので、だいたいの想像をしていましたが、あまりにお若いのでびっくりしました。
ほかのホームページでも若い方達が真剣に歴史を研究し、発表なさっています。
昨今の荒みきった社会に、半ば諦めていましたが、こんな若者が少なからずいらっしゃることを頼もしく思います。
どうぞ大いに活躍なさってください。
応援しています。
同志社も新島襄をはじめ、山本覚馬、八重兄妹、井深八重、谷川多喜子等々興味尽きない面々が揃っていて、今更ながら感懐を新たにしました。
「自責の杖」も背景を視野に入れて深く知ると、計り知れない襄の心に改めて感動しました。
山本兄妹、井深八重と会津関係者が揃ったことも興味深いですね。
新聞に掲載されたお写真を拝見しました。
プロフィールを読ませていただいていましたので、だいたいの予想はしていましたが、あまりにもお若いのでびっくりしました。
ほかのホームページでも若い方が歴史と真剣に取り組んでおられます。
昨今の荒んだ社会に半ば諦めを感じていましたが、こういう若い方がいらっしゃることを知り、頼もしく、希望も出てきました。
大いにご活躍下さい。
応援しています。