どうも頭のもやもやが晴れない。ちょっと身体を動かすか。
そこで、今日は山ではなく、大阪で開催中の古書市に出かけた。
私は、よく古書店に行くから、古書マニアと思われがちだ。実際、各地の古書市で、いつも顔を合わせる店主や古書マニアもいる。
しかし、それは微妙に違う。私は、単純に古書が好きというわけではない。だいたい初版本だとか、限定本、珍本だとかに興味はない。美本でなくてもよい。安いのも魅力だが、それだけではない。
ようするに、求めているのは情報だ。そして私が欲しい情報は、なかなか新刊本では手に入らないから古書を探すのである。実際、通常の書店に行っても、あまり目を留める書棚がないのだ。せいぜい雑誌コーナーで立ち読みする程度か。
高校生時代は、学校帰りに寄る書店では、店員よりどこにどんな本があるか知っているくらいだったが、今はそうしたこともしなくなった。どんな内容でも買う小説家もいなくなったし、魅力ある本が少ない。せいぜい拙著がちゃんと並んでいるか確認する程度である(^^;)。
結局、古書店に埋もれている過去の書籍から、いかに現在取り組んでいるテーマ(あるいは今後取り組むであろうテーマ)に合う情報を見つけるか、という仕事になってしまう。かつて欲しくて欲しくてしょうがなかったのに手に入らなかった本が、今になって見つかることもあるが、もう必要なくなっていたりもすると素通りする。
今回は、あまり収穫はなかった。情報としては欲しかったが、読むのはおっくうそうなルポルタージュとか、眺めて楽しもうかと思った「芸術新潮」なんぞを買った。交通費を入れると全然安くない。
で、次の古書まつりは2月10日の天神さんだよん
どうやら大学の先生の家が被災したらしい。そこで叢書の運び出し作業が、おそらく教え子の手によって行われていたのでしょう。
古書市でも、ある系統の本がまとまって並んでいることがありますね。誰かの蔵書だったんだろうな。今回は、モンゴル関係の本が目立ったな。
ちなみに各地のブックオフに寄ってしまうお父上、素敵!です(笑)。
知らないで持ち込んで知らないで得るから、掘り出し物が多いんです。
私の父などは、旅先などでもブックオフを見つけると寄っています。違う店舗だと違う掘り出し物があるからって。
どなたかが亡くなって、ご家族が遺された本を一気に処分したりしますものね。
学生の頃、高齢の元学者先生が大量に本を処分されることになり、
研究室総出で軽トラでいただきに伺ったことがあります。
本は大事ですよ。うん。でも、増えると大変なんだよなあ。
そうそう、あの頃探していたゲーテは、詩と真実という本です。
未曽有の出版不況と言われる反面、新刊書は増えるばかり。私の本も埋もれてしまいます(-_-)。ありがとううね。
本屋にも図書館にもなくて、探して探して、
ようやく見つけた神田の古書店で、
文庫なのになんでこんなに高いの!
と泣く泣く諦めたことがありました。
古本屋さんと古書店の違いを知らなかった頃です・・
本も、回転がはやくて、今度買おうなんて思ってると
なくなっちゃったりしますよね。
田中さんの本も、長らくの間本屋にあってくれるといいな。