村おこし、街づくり、そして地域づくりが叫ばれる。とくに田舎にとっては至上課題だ。なにしろ、過疎、高齢化、経済不振が3点セットのようにのしかかり、このままでは、地域自体が消えてしまいかねないからだ。
そして限界集落、限界自治体という言葉も生まれたように、すでに地域づくり自体が不可能になって、消滅を待つ地域も少なくない。(限界集落は2000を越えている。)
しかし、本当に村おこしに成功しているところがあるか? 地域づくりが成功した地域はあるのか? 実は、私自身が各地の成功例などを紹介しているのだが、その欺瞞性?を、最近感じだした。
なぜなら、一見観光客で賑わっているようでも、公共投資抜きでは維持できないところがほとんどだ。地域づくりに成功したように見えて、実は人口減が止まらないとか、結局赤字だとか。村民は元気になった、と言われても、平均年齢が60越えているのでは将来はない。部分的な成功例はあっても、全体から俯瞰すると、どこも身動きが取れないようになっている。
どうあがいても、田舎は中央に隷属する構造は変わらないのではないか。
そう感じてしまう。そして、地域づくりに走り回って、疲れ果てた人々の顔が浮かぶ。
いっそ、開き直って、地域づくりなんかせずに、今ある状況を楽しんで消えていくのを待つのという選択肢も出てきそうだ。Iターンなんか受け入れない、公共事業も行わない。たとえば「スローコミュニティ」とか名付けて、限界集落を楽しむ。
でもね、田舎が本当に消えて困るのは、都会人なんだけどね。
(今回は、ちょっとシニカルに思索してみました
むらおこし、しかもどっこもおんなじことしかしてない。
目玉?今から作るの?
だれがする?
お金が発生してうるおうことよりも、
自分のまちが強く生きていける道を見つけることが
大事なんではないかな?と。思います。
今、盛り上がっている地域の目玉はすべて突然できたものではなくて、地道に暮らしてきた先人の残したものではないのかな?と。
なので、お金のことを真っ先に考えるのでなく、「堅実な暮らし」みたいなものの構築を考えたいな、と。
やっぱ、あまちゃんですねえ・・・。
※ 都会のひとは困るの????
現在の村おこしの問題点は、まずアイデア不足、マネジメント能力不足、やる気不足…などがありますが、根本的に地域活性化などそう簡単ではないという事実に突き当たります。
一部の人たちが走り回って実行しても、疲れ果てて倒れたらオシマイ。誰でも真似の出来ることではない。
ぬるま湯と言われるようなゆったりした社会こそが田舎の魅力である面もあるからなあ。
足るを知る、でできることを行い、できなくなったら消えていく…そんな選択肢もあるかもしれないと思ったのでした。
あんたたちほんとに「むらおこし」しようと思ってんの???って毎日思ってます。
そういう自分もなーんもできんのですよね。
ほんとに「むらおこし」せないかんの???とも。
でも行政の人間がいっちゃあいかんのですよ、たぶん。いっちゃったけど。
と、思いながら押し付けられた新しいプロジェクト(!)に集中、集中っと。・・・。
地域づくりに莫大な金とエネルギー(労力)を費やして、それで活性化する割合を考えると、現状は赤字がほとんどなのではないかと。それなら努力もほどほどにして、活性化は期待できなくても今を楽しむ、今がよいという意識や文化を持った方が、全体としては黒字になるような気がします。
スローとかロハスという言葉は嫌いですが、世間の通りがよいので使うと、「スローコミュニティ」「スローヴィレッジ」「スロータウン」という概念を作って、頑張らない地域づくりを標榜するのです。(こうした意識改革の方向に、行政が「頑張る」という手があるかも。)
案外、頑張らないことがブームになって、地域が活性化したりして。
なんとか村おこしをしようとしても、自然しかない田舎ではどこでもあるような一発花火、どこでもあるイベントになってますね。昔からの物語が残っているところでは、この物語にかこつけたイベントができるところがうらやましい。
実は物語が残っている地域では、住人たちもその物語が心のよりどころになり自尊心を持って暮らしているような印象を受けます。最低限の産業がないと生活ができませんが、最低限の産業さえあれば、自尊心を保てることで地域を存続させることができる可能性があるような。
私の住む地域には、住んでいる人たちが自尊心をくすぐられる物語がないために、地域再生にも力が入らず強いところに人が出て行ってしまうような・・・。
よく、「ここは○○天皇が訪れた」とか「平家の末裔がどうの」といった伝説が残っていることがあるけれど、そうした歴史も自尊心を支えるネタになるのでしょう。
それさえあれば、スローコミュニティをつくれるのかもしれない。
本当は、物語を自分たちで紡いでほしいのだけど…。