今日で、学校も学年末。町には春休みを謳歌する学生・生徒が闊歩している。
娘は、卒業式で送辞を読んだ。その文章づくりが大変だったのだが、案の定、教師の筆が入って、つまらなくなっていた(^o^)。「春爛漫の今日の良き日に…」なんて、中学生がいうか。
その送辞の見本に、歴代の生徒会長が書いた送辞の巻紙があった。私も目を通してみたが、たいてい「春爛漫の…」の類である。が、一つだけ、素敵なのがあった。7、8年前のものだが、時候の挨拶は簡単に済ませ、いかにも生徒の自分の声を書いた、と思わせるものだった。これよ、これ、こんなの書きなさい、と私は娘に突きつけた。
文章、それに字はたいしてきれいではないが、気持ちと主張が伝わってくる。頭のよさも感じる。この生徒はその後どうなっているだろうか。絶対、大物になるぞ、と私が断言した(^o^)。
文は体を表す、のである。来年は、娘か答辞を読むことになるのだろうか…。
センセイの浅いプライドのための送辞や答辞ではありません。
田中先生の娘さん、もし当プログをご覧でしたら、他人のプライド目的の添削は拒否してください。
「添削、ありがとう」と礼をつくした上で
父上伝授の方向で本音のメッセージを来年の答辞本番としてくださいませ!
お父様譲りの優秀なお嬢様が思い浮かびます。
どんな送辞を読まれたのか興味深いです。
この3月に次男が高校を卒業しましたが、5クラス1名ずつの代表が答辞を読みました。
しっかり自分の言葉で3年間の思い出を語っていまして、感動を覚えました。生徒主動の好ましい卒業式でした。
ただ、数日後、生徒のデータ紛失というオチがついてしまいましたが。
仮に文章がおかしくて、「てにをは」が合っていなくても、自身が経験したエピソードを紹介すると、絶対感動させられるんだけどな。
盗んできたり、自分流に翻訳したりするんです・・・
源流の「卑怯」からの作文だけは拒否していきたい!
私の自覚です。