昨夜、NHK教育で「共同保育所ゴタゴタ荘」という番組を見た。
東京下町に無認可で作られた保育所が舞台。そこでは、運営を経営者や保育者、そして保護者全員で相談して行う。保育に問題が発生しても、物品が足りなくても、みんなで知恵を出し合う。保護者が、他人の子を面倒見たり叱ったりもする。立ち退きを迫られれば、新たな場所を卒荘した保護者がボランティアで探す。大変だが、認可保育園よりこちらを選ぶ人々がいる。
地味なドキュメンタリーである。裏番組の「HERO」でも見ていればよかった。それなのに思わず見入ったのは、私も数年前まで同じような経験をしていたからだろう。学童保育所の保護者として運営にかかわっていたのだ。
生駒の学童保育は公設民営で、運営は市と指導員(保育者)と保護者の3者で行っていた。そのため保護者は、加重な役割を背負わせられる。私のように役員になると、各保育所の運営だけでなく、市内全学童の運営協議のために市と交渉に臨んだり、指導員採用の面接まで行った。何の手当てもなく、ボランティアで走り回る。連日真夜中まで会議が続いたこともある。市と指導員と、他の保護者の板挟みにもなる。
でも、番組じゃないが、公営ではなくてよいと思っていた。完全公設公営になれば、保護者の意見など「参考」にしか扱われないし、規制だらけだ。市がダメと言えば、何もできない。民営だからこそ、時に市の方針に反旗を振りかざし、膝詰め談判を展開した。その中で知恵を絞って新たなことを行えたし、結束も高まった。
最近は、生駒の市長が代わって学童保育に対する対応が随分変わった。要望してきたことが、あっさり市主導で行われる。すると、逆に保護者の参加意識が低下していくそうだ。
お上を頼るようになった途端、当事者の問題解決能力も弱くなる。山村や林業の現場で見てきたことと同じ事態が、ここでも起きていくのだろう。
もともと田舎は、自治の力があった。行政に頼まず自ら地域を律してきた。それを補助金などのバラマキで風化させたのは、戦後の一時期にすぎない。だから山村は、今がチャンスだ。これまでオンブにダッコしてくれた国は、もう頼れない。これを嘆くのではなく、以前にもどる気構えを持ってほしい。
いまがんばって、「自分の健康は自分で守ろう」って言ったりしてますけど、こんなこというと「職務怠慢だー」なんて反応も。
人間、ラクしたら後戻りがなかなかできない。
自治区に役場の機能をもたせよう~、なんて言う声もありますが、そこまでするしないは別として、もう頼りにならないから、でもあるんですけど、本来の力を取り戻すことがこれから大切なことになると思います。
なんちゃって。
マジレスしてしましました。
実は学童保育の運営に携わって各種交渉ごとの真表に立つと、お役人の気持ちもわかりました。そして無茶?な要求を突きつける保護者に腹が立った(笑)。
自らを律しないと自治はできないから、どんどん権限を移譲するとよいと思いますよ。
人任せにするのがよいとはいえませんが、家事、育児、が社会化される程度が低いことが問題なのではないでしょうか?
ボランティアという名前で森林管理がまかされる現状を訴えられるなら、子育ての場面でもPTAとか何とかいって、親が常に、有無をいわさず役員をやらされたりして、披露困憊しないと子育て期をきりぬけられない日本の現状は、諸外国の例を見ても、きわめて異常。子育て恐怖をかりたてるとても重要なエレメントにさえなっていると思います。少子化を進めることが、地球環境に役立つという意味では、賞賛すべきことでしょうが、学童保育や保育所の条件改善に、こんなに力を入れなきゃいけない状態こそが、少子化を促進している、というべきでしょう。
やはり、ここでも議論の核心がどこか入れ替わっているように思います。大事なことを提起される影響力のある方なのですから、思想の根幹をもっと磨いてください!日本の森、日本の里山の破壊をくいとめるのと同時に、世界の森、世界の森林の危機を同時に考える思考としては、あまりにも局所的発想によって各論が構成されています。
「自治」の意味が希薄になってるんかな。
たぶんそれは、自分が地域の人間であるという意識の低下?
自分さえよければ自分の家族さえよければ、で自分の世界が終わってしまうと、「自治」なんて発想はなくなるなあ、と。
うあ~。愚痴りそうだからやめよう。
先生んとこなのに、ごめんね。
多いんですよ。そうした意見。こちらは忙しいのに、保育所の運営までさせないでほしい、という人は。で、全部行政にさせろと言い、それが無理なら役員に押しつける。苦労しました(苦笑)。
行政が(一見)理想的な施策をとって、住民は何も文句を言わない体質になるのは恐ろしい。これまでの手厚い保護策で自民党支持を貫いてきた農山村と同じだ。
そうした人は、「ゴタゴタ荘」には、絶対子供を預けたりしないでしょうね。