人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

変わるべき時代

2011-03-22 17:08:41 | Weblog
 水車小屋でお米を搗き、わずかばかりの乳牛を育て乳を搾る。お米の運搬も牛乳の配達も馬に
引かせた荷馬車で行う。どんな用事でも遠方なら荷馬車や自転車で移動する。これは先ほど脚本を
書き上げたばかりの「春はまた丘へ」という無声映画に描かれた田舎の生活である。

 実は、そんな生活が太平洋戦争後まであった。特に農山村では、これが当たり前の生活だった。
食料として買うのは塩だけ、他は全てが自給自足そんな時代でもあった。母の生まれた育った農家
が、そうであった。味噌も醤油もコンニャクも豆腐もみんな家で作っていた。

 従って、買うのは鰹節だけという生活であった。夏には川で鮎を捕り、それを乾燥させて保存食
にしていた。それが次第に貨幣経済に取り込まれ、ついには現金収入なくしては生活出来ないような
時代になってしまった。

 そして今回の東北関東大震災と、それに続く原子力発電所の事故である。今回の原発事故は天災に
よるものであった。と同時に人間が作り出した人災でもあった。地震列島と呼ばれる日本には絶対に
作ってはいけないものであった。

 想定外とは建設した人達の言い分だが、想定外を自分の都合の良いようにしか考えなかった建設者
サイドの問題でもある。人間の想定とは誠に貧弱なものであり、あまりにも自己中心的である。

 自然への干渉は出来るだけ最低限にした方が良い。と言うのが「わら一本の革命」と言う本を書き
残された福岡正信先生の言葉である。歴史的にも多くの文明が自然を破壊した結果、消滅したことが
明らかになりつつある。

 私達は便利さや快適さを追求するあまり原発への依存度を高めてきた。実は原発に依存しなくても
発電能力には余力があると言われている。日本の電力事情は夏場のピーク時を想定して建設されて
いる。また、原発の発電量をコントロールするのはかなり難しいと言われている。

 従って原発では一定量の発電を維持し、電力需要への対応は火力発電や水力発電に依存している。
残念ながら電気は保存できない。大量に貯めておくことが出来ない。従って、夜間の余剰電力は揚水
発電所で水を汲み上げてダムに貯めている。この作業でのエネルギーロスは著しい。

 こんなに不便でエネルギーロスの多いものを便利だというだけで惜しげもなく使っているのが現実
の姿である。とんでもない話である。今や電気は空気と同じような存在として扱われている。しかし、
今回のような事故があって初めて考えさせられる問題である。

 そして今回の地震が私達に与えたインパクトは限りなく大きい。濁流渦巻く大津波が田畑を覆い尽くし
家や車を飲み込んで多くの方々が亡くなられ行方不明になっている。実に恐ろしい自然の力を目の前に
見て心が凍り付き、体が硬直し手が震えていた。

 とても千キロ以上離れた場所での出来事とは思えなかった。波に飲み込まれていく人達の叫び声が
聞こえるようであった。

 福岡先生は「わら一本の革命」の中にも書かれているように自然に逆らわない生き方とはどんなものか
を生涯を通し実験し実践された人である。一例を挙げれば稲作である。不起耕栽培にこだわって来られた。

 更には、自給自足のために麦と稲の二毛作を実践されてきた人である。国土の狭い日本でも、さして
労力を要することなく自給自足は可能だと書かれている。実際に不起耕、無農薬、無肥料栽培で反当たり
の収穫量が一般的な他の田んぼより多いことを実証されている。

 日本人は戦後の逼迫した食糧事情を改善するためにアメリカ式の農法を導入し、牛や馬に変わって
耕耘機を購入し、化学肥料を大量に使い、病害虫の予防だとして人体にも影響のあるような農薬を大量
に使ってきた。そして田に草を生やさせないために除草剤を使ってきた。

 これら全て人体に有害なものであることは間違いない。こうして作ったものは野菜や米の形をした
栄養価の低い化学合成物質だと断言しておられる。お手本にしたアメリカ農法は大地を疲弊させ再生
不可能なほどに砂漠化が進んでいる。

 私達は福岡先生の言葉を思い出すまでもなく、今回の大地震、大津波、原発事故から多くのことを
学ぶチャンスを貰った。それらの全ては尊い犠牲者によって得られたものであるが、この教訓を無視
できない。原発に依存しない生き方、自然の大きな懐に抱かれた生き方を考えてみたい。

 過去の苦い経験から、より高い堤防を築いて見たが波は軽くそれを乗り越えてしまった。そんな
人工物を作ってまで、その場所に住む必要があるのだろうか。タヒチの原住民達は津波の被害を恐れ
内陸部の山深いところに住み、海へは歩いて通ったと言われている。

 これが自然の生き方ではないだろうか。やたら海を埋め立てた結果、波の力をうち消す砂浜を失って
しまった。美しい海岸線が失われたばかりでなく、稚魚たちが育つ海を失ってしまった。自然に任せて
おけば、全てのことに於いて問題なく生きていけるようになっている。

 人間の乏しい知識や傲慢な思い上がりで自然に立ち向かうなどと言う愚かな事は言わぬ方がよい。
自然に寄り添っていれば自然は望むものを与えてくれるのである。

 これからは今までと違う生き方を考えてみたい。復興を経済活性化の起爆剤などと考えない方が良い。
私達日本人に与えられた生き方を変えるためのチャンスだと考えたい。GNPやGDPなど糞くらえで
ある。そんな数字を誇ったところで何になる。

 現に、ヒマラヤの山懐に抱かれたブータン王国では国民の幸福度を国の指標にして生きている。経済
発展一辺倒のあり方が今日を招いたことを強く反省し、これからの教訓としたい。被災地に一日も早く
幸福な日々が甦ることを祈っている。

 そして世界に先駆けて新しい生き方を見付けた国民として手本になるような日本人になって欲しいと
思っている。それが多くの犠牲者に対するせめてもの供養ではなかろうか。自然にありがとう。
コメント
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