人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

ミュージカル終わる

2011-03-21 05:24:49 | Weblog
 3月20日(日)ミュージカル「最後の五匹」は終了しました。坦々と進む舞台上の後片付けを
見ながら、私は少し離れた場所から舞台の儚さを感じていました。正に夢幻の如くすべては終わって
しまいました。音、映像、光の中で繰り広げられる踊りや演技、これらは幻影のように私達の心に
何かを残しつつも目の前から消えてしまいました。

 振り返ってみればミュージカルを制作するには遅すぎると言われながら昨年の中頃になって、慌た
だしく取り組みを始めました。何もかもの始まりは作家の石井敏弘さんに脚本をお願いに行った時から
でした。

 そして本格的な取り組みは、演出をお願いしていたM先生が練習会場に姿を見せてくれた国文祭の
終了後のことでした。本格練習は実に数ヶ月という慌ただしさでした。直前まで続いたダメだしを
聞きながら、果たしてこれで本番を迎えることが出来るのだろうかと一抹の不安を抱いていました。

 しかし、本番当日のゲネプロ、そして本番と実に見事な仕上がりを見せ、その懸念は払拭されました。
出演者の演技や踊りが全く異なったものに見えたのです。数多くのダメ出しが、実は見事な仕上がりに
通じていて演出の見事さに感服致しました。

 ミュージカルの取り組み開始時も開始後も多くの問題や不安材料はありましたが、不思議な事に
不安感はありませんでした。だから何もかも終了した当日も、さして大きな虚脱感がなかったのかも
知れません。ただ長い長い練習から解放されたという思いだけが残りました。

 名前だけの演技部長でしたが、私の仕事は人と人の間に立ち、出来るだけもめ事の起きないように
すること、演出家や出演者が心地よく練習に徹して貰えるようにすることでした。何も順風満帆で
問題がなかったわけではありません。問題はその都度、幾つか抱えていました。しかし不思議に
その都度、新たな解決策が生まれ難問をクリアして来ました。

 それは自らの手で行ったものもありますが、多くは自分が手を下さなくても周辺が支えてくれ、
アドバイスしてくれたものでした。全てに恵まれていたように思われます。

 それは練習会場に象徴されていました。琴浦東文化会館が事務局長の地元にあり、常に手続きなし
で借りることが出来たこと。そして本番直前には児島文化センターを貸しきりで使うことが出来た
ことなどです。

 通常の公演ではあり得ないことです。そして、その費用は倉敷音楽祭の費用の一部として無償だった
事です。その他にも脚本を書いてくれた人が地元の人であったこと、演出家が岡山県の中学校の演劇部
の重鎮であったこと、作曲や演奏家が三人も揃い鉄壁の布陣であったこと、衣装デザイナーが超一流の
人であったこと、その衣装をボランティアで作ってくれる人が地元の人であったこと等、数え上げれば
切りがないくらいたくさんありました。

 そしてオープニングの映像や音響の全てを手がけてくれたO君の存在なしでは実現できなかった事
でもあります。そして何よりも出演者が素晴らしい人達ばかりででした。この間、主演女優が出産と
いうお目出度い出来事もありました。ミュージカルは生まれたばかりの赤ちゃんと共に成長し、本番
で花開きました。

 練習会場は先生の教え子であり、かつては演劇の指導も受けたこともあるというお母さん達が生んだ
子ども達も参加し、練習日の度毎にはしゃぎ廻る姿に心癒されました。

 全ては川の流れの如く坦々と日を重ね終わりの日を迎えました。今は全ての人と物に対する感謝の
気持でいっぱいです。ありがとう。

 今朝ほどは夢を見ていました。本番が終わったというのに小道具が新たに運び込まれて来るという
夢でした。そして、翌日行われた打ち上げに付いてのお礼メールを添付して「最後の五匹」を締め
くくります。


 「最後の五匹」メーリングリストの皆さん昨晩はご苦労様でした。また、都合で参加できなかった
人については申し訳なく思っています。

 さて、昨晩の打ち上げは大いに盛り上がり、ついには涙々の打ち上げになってしまいました。
本番前日までダメ出しが続き、本当にこれで大丈夫なのだろうかと心配していました。反面、私は
楽観論者ですから何とかなるのではないかという根拠のない自信のようなものも感じていました。

 そして迎えた本番当日、ゲネプロに若干のヒヤリはあったものの本番での出来は素晴らしいものが
ありました。舞台とは、このようにしてエンディングを迎えるものかと、その見事さに感嘆いたし
ました。

 今回の舞台は多くの出会いがあり、新しい人と人の交流の始まりでした。O君岡田君にお願いして
しばらくはこのMLを残していただくことになりました。どうかこのMLを活用して更なる交流の
輪を広げ繋げて行こうではありませんか。

 私はかねがね人生は自分が主人公の舞台だと思っています。そして他の人の舞台では自分が脇役です。
私もこのようにして私自身の人生を生きてきました。

 多くの若い人達にとっては正にこれからが人生の大舞台です。私達シニア世代は脇役として若い
皆さんを支えていきたいと思っています。どうか臆することなく思い切り自分自身の人生を生ききって
下さい。

 今回の大震災を経験後のこれからは新しい価値観が生まれてくる、そんな予感がします。また、そう
ならなければならないと思っています。心からありがとう。
コメント (2)
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