私達は稚内から特急列車に乗って北海道を旭川まで南下した。稚内
の駅は最北端の主要な駅だというのに何とわびしい駅であろうか。
そもそも日本国有鉄道を分社化したとき主要幹線であるJR東日本
やJR西日本やJR東海等という会社は何ら問題はなかった。しかし
日本の末端に位置するJR九州やJR四国、JR北海道と言う路線は
採算面ではなかなか厳しいところであった。
その現れが、この路線ではないだろうか。未だに電化されていない。
走っているのは蒸気機関車ではなくディーゼルカーであった。まるで
広野のようなところをひたすら走り続ける。急勾配であったのか、
そのスピードはじれったいほど遅い。これが特急かと思われるような
スピードであった。しかし、旭川が近くなるに連れスピードは増して
きた。
さすがに旭川は大都会である。北海道第二の都市と言われるだけ
あって若者が多い。街の中心に歩行者天国があり、この日は色んな
イベントが行われていた。夜もたいへん賑わっていた。夜の賑わい
を見ればその街の繁栄ぶりもだいたい見当がつく。
私達は駅から歩いて十数分のところにある旭川グランドホテルに
一泊した。なかなか立派なホテルであった。しかし、その日の夕食が
お粗末であった。今まで新鮮な海産物料理を食べてきたものにとって
天国と地獄のような様変わりでがっかりしたり嘆いたり。
多少の不満を残しつつ、この日の夕食は終わった。明日からは慣れぬ
レンタカーでの旅が始まる。早めにお休みなさい。
翌朝は荷物をガラガラと引いてレンタカーの会社へ。そこで注意事項
を聞き、契約書にサインをして手続きを終わる。これからはカーナビが
頼りである。
いささか他人の車ともなると走り慣れていない土地でもあり緊張が
高まる。隣に乗っている奥さんの緊張感が否が応でも伝わってくる。
横から何度も注意が飛んでくる。いやな雰囲気である。いつもの事
ながら夫婦喧嘩は、車の運転から始まる。
レンタカーはカーナビの指示に従って最初の目的地へと向かった。
美瑛の観光案内所である「四季の情情報館」に向かった。明日は富良野
から美瑛に入ってくることになるので富良野へ向かう前に明日の予定
を立てておこうと言うわけである。
観光案内の勧めに従って、このまま富良野へ行くのではなく美瑛の
パノラマロードを経由して富良野へ向かうことにした。何しろ広い。
畑一枚が一町(1㌶)を超えるようなものばかりである。
それにしてもこの地へ入植して以来、わずか百数十年の間に良く
ここまで開拓したものだと感心せざるを得ない。人間の力の偉大さ
を感じる光景である。もう少し、もう少しという思いがここまで
広大な田畑を作ってきたのであろう。
美瑛は、どちらかと言えば起伏に富んだ広大な田畑の美しさと
ラベンダー畑、そして背後に広がる十勝岳を中心とした山岳地帯が
見どころの一つ。どの位置に立っても見飽きることはない。
一方、宿泊地の富良野は人口の美とでも言おうか、季節の花が
咲き乱れる広大なお花畑が見どころの一つである。一泊した宿は
最悪の宿であった。こんなホテルもあるのだろうかと思うような
ホテルであった。
家内が気を利かせてホテル近くのレストランを予約していた。
ホテルから歩いて十五分だと聞いて、運転の気疲れをしていた
私は外へ出ていくことで機嫌を損ねていた。
風呂に入り疲れがとれてから多少気持も変わり、では行こうかと
言うことになった。一般の十五分は私達の十分であった。周辺の
物珍しい景色を眺めながらであったから、もう着いたのと言った
感じの距離だった。
途中の民家の庭先には、色付き始めたサクランボがたわわに
実を付けていた。気温が低く梅雨のない北海道だから作れる果樹
である。
予約していたレストランはお客で一杯だった。やはり良い店は
口コミ等で広がるのだろうか。何よりもここのところ野菜らしい
野菜を口にしていなかったので新鮮な野菜サラダが何よりのご馳走
であった。
翌日は、テレビドラマ「北の国から」で有名になった「五郎の家」
を見学に行った。こうした家は実際にロケに使われたもので、今も
観光客が次々に見学に訪れていた。
建物の周辺は森である。原作者の倉本総さんの理想郷が、この地で
あったのだろうか。彼の夢のようなものを都会生活になじめなかった
男「五郎」を主人公にする事によって描きたかったのではなかろうか。
時代背景や決して豊ではなかった北海道の田舎暮らしが描かれていた。
貧しい生活の親子三人が身を寄せ合いながら生きていく。その姿と
美しく雄大な北海道の自然が織りなす映像美が多くのファンを魅了
して止まなかったドラマである。
今も変わらぬ姿が、その地には残されていた。しかし、あれから
日本は大きく変わってしまった。
富良野は北海道の臍だと言われている。しかし景色の雄大さから
すれば臍ではなく大きなお腹に見える景観である。
北海道での最後の観光は美瑛のパッチワークの路であった。恐らく
起伏に富んだ丘に広がる様々な畑が、まるでパッチワークのように
見えることから名付けられたのではなかろうか。確かに写真に写して
みれば緑のパッチワークに見えなくもない。
この日、美瑛のペンションに一泊した。有名写真家の写真のように
二日間とも抜けるような青空ではなかったが、雨に遭うこともなく
遠くの山々も綺麗に見えていた。
若い夫婦が経営するペンション「トムテ ルム」は、広大な田畑が
続く道沿いにあった。横浜から移り住んだという夫婦が経営していた。
隣の家は、ペンションで食べたパンを作っている「小麦畑」という
パン屋さん、一方の反対側には、ペンションで使われている有機栽培
だという野菜を作っている「ファーム雨読舎」であった。
みんな北海道に夢を抱いて移り住んだ人のようである。そう言えば
昼食のベーグルを食べた喫茶店「ランドカフェ」も手作りハウスの
喫茶店であった。店のオーナーが、こつこつと自分の手で建てたもの
らしい。北海道という土地は、今もなを多くの人々が夢を求めて
やってくる土地柄のようである。
老いた私にも何かしらこんな広大なところで農作物を作ることが
出来たらなあと、夢のような事を考えさせてしまうような大地であった。
の駅は最北端の主要な駅だというのに何とわびしい駅であろうか。
そもそも日本国有鉄道を分社化したとき主要幹線であるJR東日本
やJR西日本やJR東海等という会社は何ら問題はなかった。しかし
日本の末端に位置するJR九州やJR四国、JR北海道と言う路線は
採算面ではなかなか厳しいところであった。
その現れが、この路線ではないだろうか。未だに電化されていない。
走っているのは蒸気機関車ではなくディーゼルカーであった。まるで
広野のようなところをひたすら走り続ける。急勾配であったのか、
そのスピードはじれったいほど遅い。これが特急かと思われるような
スピードであった。しかし、旭川が近くなるに連れスピードは増して
きた。
さすがに旭川は大都会である。北海道第二の都市と言われるだけ
あって若者が多い。街の中心に歩行者天国があり、この日は色んな
イベントが行われていた。夜もたいへん賑わっていた。夜の賑わい
を見ればその街の繁栄ぶりもだいたい見当がつく。
私達は駅から歩いて十数分のところにある旭川グランドホテルに
一泊した。なかなか立派なホテルであった。しかし、その日の夕食が
お粗末であった。今まで新鮮な海産物料理を食べてきたものにとって
天国と地獄のような様変わりでがっかりしたり嘆いたり。
多少の不満を残しつつ、この日の夕食は終わった。明日からは慣れぬ
レンタカーでの旅が始まる。早めにお休みなさい。
翌朝は荷物をガラガラと引いてレンタカーの会社へ。そこで注意事項
を聞き、契約書にサインをして手続きを終わる。これからはカーナビが
頼りである。
いささか他人の車ともなると走り慣れていない土地でもあり緊張が
高まる。隣に乗っている奥さんの緊張感が否が応でも伝わってくる。
横から何度も注意が飛んでくる。いやな雰囲気である。いつもの事
ながら夫婦喧嘩は、車の運転から始まる。
レンタカーはカーナビの指示に従って最初の目的地へと向かった。
美瑛の観光案内所である「四季の情情報館」に向かった。明日は富良野
から美瑛に入ってくることになるので富良野へ向かう前に明日の予定
を立てておこうと言うわけである。
観光案内の勧めに従って、このまま富良野へ行くのではなく美瑛の
パノラマロードを経由して富良野へ向かうことにした。何しろ広い。
畑一枚が一町(1㌶)を超えるようなものばかりである。
それにしてもこの地へ入植して以来、わずか百数十年の間に良く
ここまで開拓したものだと感心せざるを得ない。人間の力の偉大さ
を感じる光景である。もう少し、もう少しという思いがここまで
広大な田畑を作ってきたのであろう。
美瑛は、どちらかと言えば起伏に富んだ広大な田畑の美しさと
ラベンダー畑、そして背後に広がる十勝岳を中心とした山岳地帯が
見どころの一つ。どの位置に立っても見飽きることはない。
一方、宿泊地の富良野は人口の美とでも言おうか、季節の花が
咲き乱れる広大なお花畑が見どころの一つである。一泊した宿は
最悪の宿であった。こんなホテルもあるのだろうかと思うような
ホテルであった。
家内が気を利かせてホテル近くのレストランを予約していた。
ホテルから歩いて十五分だと聞いて、運転の気疲れをしていた
私は外へ出ていくことで機嫌を損ねていた。
風呂に入り疲れがとれてから多少気持も変わり、では行こうかと
言うことになった。一般の十五分は私達の十分であった。周辺の
物珍しい景色を眺めながらであったから、もう着いたのと言った
感じの距離だった。
途中の民家の庭先には、色付き始めたサクランボがたわわに
実を付けていた。気温が低く梅雨のない北海道だから作れる果樹
である。
予約していたレストランはお客で一杯だった。やはり良い店は
口コミ等で広がるのだろうか。何よりもここのところ野菜らしい
野菜を口にしていなかったので新鮮な野菜サラダが何よりのご馳走
であった。
翌日は、テレビドラマ「北の国から」で有名になった「五郎の家」
を見学に行った。こうした家は実際にロケに使われたもので、今も
観光客が次々に見学に訪れていた。
建物の周辺は森である。原作者の倉本総さんの理想郷が、この地で
あったのだろうか。彼の夢のようなものを都会生活になじめなかった
男「五郎」を主人公にする事によって描きたかったのではなかろうか。
時代背景や決して豊ではなかった北海道の田舎暮らしが描かれていた。
貧しい生活の親子三人が身を寄せ合いながら生きていく。その姿と
美しく雄大な北海道の自然が織りなす映像美が多くのファンを魅了
して止まなかったドラマである。
今も変わらぬ姿が、その地には残されていた。しかし、あれから
日本は大きく変わってしまった。
富良野は北海道の臍だと言われている。しかし景色の雄大さから
すれば臍ではなく大きなお腹に見える景観である。
北海道での最後の観光は美瑛のパッチワークの路であった。恐らく
起伏に富んだ丘に広がる様々な畑が、まるでパッチワークのように
見えることから名付けられたのではなかろうか。確かに写真に写して
みれば緑のパッチワークに見えなくもない。
この日、美瑛のペンションに一泊した。有名写真家の写真のように
二日間とも抜けるような青空ではなかったが、雨に遭うこともなく
遠くの山々も綺麗に見えていた。
若い夫婦が経営するペンション「トムテ ルム」は、広大な田畑が
続く道沿いにあった。横浜から移り住んだという夫婦が経営していた。
隣の家は、ペンションで食べたパンを作っている「小麦畑」という
パン屋さん、一方の反対側には、ペンションで使われている有機栽培
だという野菜を作っている「ファーム雨読舎」であった。
みんな北海道に夢を抱いて移り住んだ人のようである。そう言えば
昼食のベーグルを食べた喫茶店「ランドカフェ」も手作りハウスの
喫茶店であった。店のオーナーが、こつこつと自分の手で建てたもの
らしい。北海道という土地は、今もなを多くの人々が夢を求めて
やってくる土地柄のようである。
老いた私にも何かしらこんな広大なところで農作物を作ることが
出来たらなあと、夢のような事を考えさせてしまうような大地であった。