この度の上京で何度目になるのだろう。ピースボートを降りて以来、日本
各地に住んでいる友人達との交流が増え、これほどまでに東京が身近な
存在になろうとは想像もしなかったことである。在職中にも何度か上京する
機会はあったが、それは長い年月の間の数えるほどの事であり、東京へ
行くときには、いつも特別なところへ行くような感じを持っていた。
そんなわけだから、子供の頃の東京はまるで外国のような感じだった。
その東京にわずか半年ばかりの間に三度も上京するようになろうとは。
また、東京は高速バスに乗って一晩過ごせば翌朝は新宿に着いているのだ
から単に感覚だけのものではなく、実質的にもかなり近い存在になったと
言える。
こうして今回は、地球一周の旅の船で交流のあった「旅行記を書こうと
いう仲間の集まり」のために上京する事になったのである。この集まりは、
今までにも何度かあったようだが私自身の参加は帰国後、初めてのことで
あった。
心許せる仲間との語らいほど楽しいものはない。今回の集まりもそんな
人達の集まりであった。寝苦しいバスでの移動とあって、いささか睡眠不足
ではあったが、酔いつぶれることもなく夕方近くまで賑やかにおしゃべりを
してホテルまで送って貰った。みんな良い人ばかりで心から感謝している。
そんな目的があって上京した集まりだったが、皆さんに会ってそのまま
帰るというのは、いかにももったいない感じがして、上京の都度そうして
いるように、今回も「とげ抜き地蔵」と「お台場」に行ってみようと思って
いた。
東京の新宿着が午前六時四十分、そのまま山手線に乗り換えて巣鴨まで
行き、駅のコインロッカーに重い手荷物を預けて早朝の巣鴨界隈を歩いた。
その詳細はいずれ旅行記として書こうと思っているが、この場では簡単に
感じたことを書いてみたい。
上京する度に思うのは、ものすごいスピードで街の様子が変わっている
ということである。十年近く前、シンガポールに行ったとき超高層ビルが
林立している街の様子を見て正直驚いたものである。ところが今の東京が
まさに同じ状況である。シンガポールには昨年も旅の途中で立ち寄ったが、
高層ビルに関してはさほどの変化は見られなかった。ところが東京はその
数も増えるスピードもシンガポールを遙かに超えている。
高層ビルと高層ビルの間に更に新しい高層ビルが見えるような景色も珍しく
なくなった。この大きな変化をさすがは世界に冠たる大東京だと褒めるべき
なのかどうかは分からないが、お台場まで行く途中のユリカモメの車中から
見た新橋から汐留当たりまでの建設ラッシュも、いずれは新宿のようになる
のではないかという予感さえしたのである。
そして、お台場という人工の島に作られた新しい観光地は、外国からの
お客さんもたくさん集め、未来都市を予感させるような近代的な建物と緑
をたっぷり取り入れた開放的な空間が広がる街であった。
一方、東京に着いた日に歩いた「とげ抜き地蔵」周辺は、まだまだ昔の
面影を色濃く残す懐かしい街の姿をとどめていた。商店街から横に伸びる
細い路地、民家の軒先には所狭しと並べられた花の鉢植えや小さな庭、人々
の生活や息づかいまでもがそのまま感じられるような街だった。むろん巣鴨
地蔵商店街は「おばあちゃんの原宿」とも言われているように、人情味溢
れた街であり、老舗の店先には海産物が山ほど盛られ、手焼きのせんべい
屋さんの軒先では香ばしい匂いが漂っていた。
下町の風情がそのまま残っているような街並みと好対照の超近代的な
のっぽビル、これが東京という街の魅力なのかも知れない。
各地に住んでいる友人達との交流が増え、これほどまでに東京が身近な
存在になろうとは想像もしなかったことである。在職中にも何度か上京する
機会はあったが、それは長い年月の間の数えるほどの事であり、東京へ
行くときには、いつも特別なところへ行くような感じを持っていた。
そんなわけだから、子供の頃の東京はまるで外国のような感じだった。
その東京にわずか半年ばかりの間に三度も上京するようになろうとは。
また、東京は高速バスに乗って一晩過ごせば翌朝は新宿に着いているのだ
から単に感覚だけのものではなく、実質的にもかなり近い存在になったと
言える。
こうして今回は、地球一周の旅の船で交流のあった「旅行記を書こうと
いう仲間の集まり」のために上京する事になったのである。この集まりは、
今までにも何度かあったようだが私自身の参加は帰国後、初めてのことで
あった。
心許せる仲間との語らいほど楽しいものはない。今回の集まりもそんな
人達の集まりであった。寝苦しいバスでの移動とあって、いささか睡眠不足
ではあったが、酔いつぶれることもなく夕方近くまで賑やかにおしゃべりを
してホテルまで送って貰った。みんな良い人ばかりで心から感謝している。
そんな目的があって上京した集まりだったが、皆さんに会ってそのまま
帰るというのは、いかにももったいない感じがして、上京の都度そうして
いるように、今回も「とげ抜き地蔵」と「お台場」に行ってみようと思って
いた。
東京の新宿着が午前六時四十分、そのまま山手線に乗り換えて巣鴨まで
行き、駅のコインロッカーに重い手荷物を預けて早朝の巣鴨界隈を歩いた。
その詳細はいずれ旅行記として書こうと思っているが、この場では簡単に
感じたことを書いてみたい。
上京する度に思うのは、ものすごいスピードで街の様子が変わっている
ということである。十年近く前、シンガポールに行ったとき超高層ビルが
林立している街の様子を見て正直驚いたものである。ところが今の東京が
まさに同じ状況である。シンガポールには昨年も旅の途中で立ち寄ったが、
高層ビルに関してはさほどの変化は見られなかった。ところが東京はその
数も増えるスピードもシンガポールを遙かに超えている。
高層ビルと高層ビルの間に更に新しい高層ビルが見えるような景色も珍しく
なくなった。この大きな変化をさすがは世界に冠たる大東京だと褒めるべき
なのかどうかは分からないが、お台場まで行く途中のユリカモメの車中から
見た新橋から汐留当たりまでの建設ラッシュも、いずれは新宿のようになる
のではないかという予感さえしたのである。
そして、お台場という人工の島に作られた新しい観光地は、外国からの
お客さんもたくさん集め、未来都市を予感させるような近代的な建物と緑
をたっぷり取り入れた開放的な空間が広がる街であった。
一方、東京に着いた日に歩いた「とげ抜き地蔵」周辺は、まだまだ昔の
面影を色濃く残す懐かしい街の姿をとどめていた。商店街から横に伸びる
細い路地、民家の軒先には所狭しと並べられた花の鉢植えや小さな庭、人々
の生活や息づかいまでもがそのまま感じられるような街だった。むろん巣鴨
地蔵商店街は「おばあちゃんの原宿」とも言われているように、人情味溢
れた街であり、老舗の店先には海産物が山ほど盛られ、手焼きのせんべい
屋さんの軒先では香ばしい匂いが漂っていた。
下町の風情がそのまま残っているような街並みと好対照の超近代的な
のっぽビル、これが東京という街の魅力なのかも知れない。