人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

神祭り

2006-02-12 05:19:33 | Weblog
 外国人に比べると日本人の場合、宗教関係の行事への関わり方は
圧倒的に少ないようだ。むろん、同じ日本でも地方に住んでいる人と都会
に住んでいる人とでは異なるかも知れない。ところで諸外国との違いは
何だろう。キリスト教を信仰している国やイスラム教を信仰している国に
おいては日常生活そのものが宗教と深く結びついている。
 かつて日本でも日常生活の中に神祀りが深く根を下ろしていた時代が
あった。農耕民族である日本人にとって稲作と神祀りの行事は切り離せない
ものであった。その稲作が少なくなり、更に機械化されるに連れて神祀りは
単なる季節の行事になってしまった。
 今でもインドネシアなどでは土着の神が家の周辺にあり、欠かさず神に
捧げものをして神祀りをしている。日本でも同じように田には田の神様、
竈には竈の神様、井戸には井戸の神様がいて、私達の祖父や祖母の時代
には、これらの神様にインドネシアの人達と同じように捧げものをして
お祀りをしていた。

 さて、今日はそんな地域神の一つである荒神様のお祀りの日だ。当屋と
いう役回りが七年に一回やってくる。その当屋の一軒が我が家となった。
約九軒ほどの家が当屋となり、お祀り当日は地域からお金を集め、地元の
氏神様からお札を貰ってきてお祀りをすることになっている。お金を貰った
ところにはお札とお餅一個をお返しすることになっている。さしたる難しい
しきたりはなさそうだが、初めてのものにとってはやはり不安である。
 私も長い間、義母任せにしていてそう言った行事に関知していなかった。
今回、近所の古老からこの話を持ち込まれ、いきなり責任者にはなれない
とお断りした。そんな事もあって今回は何が何でもどんな事をすれば良い
のか見聞きしておきたいと参加した。
 反省しなければならないのは地域神が重要な位置づけを持っていた時代、
日常の暮らしの中に神祀りがあって世代間の受け渡しもきちんと行われて
いたのだと思われるが、今はほとんど忘れ去られている。信仰のあるなしに
関わらず今後は積極的に参加して地域の一員としての責任を果たして行き
たいと考えている。

 実は、私はもう一つの宗教関係の役回りを持っている。地元にある小さな
お堂に祀られている御大師様の管理である。これも先輩達から責任者を引き
受けて欲しいと懇願され、やむなく引き受けたものだ。こちらは対象となる
家は少ないが、それでも一年に一回は管理費を集金し掃除やお祀りが欠か
せない。
 今までは一部の人の好意に甘え管理をお願いしてきたが、その人達も年
を取って管理していくのが無理になったと言うことで、どうしたものかと
思案をしていたところ、意外と思えるほど大勢の人が後を引き受けても良
いと名乗りを上げてくれた。以前と同じように毎月一回集まって掃除や
お花をお供えしてくれるようになった。
 出来れば少しずつでもお堂の周辺の環境を整備して、地域の人みんなが
気に留めてくれるような環境にしていきたいと考えている。
コメント
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