以前にも私のホームページで何度か書いたことがあるので繰り返しに
なるが、もう一度考えてみたい。日本は緑豊かな国である。それは森林の
伐採の後、祖父や父の世代そしてそれ以前の祖先達が植林を続けてきた
からだ。その植林も過剰に過ぎて一部の山林では土砂崩れなどが発生し
山の斜面の崩壊などがあるようだ。そんな事の反省から杉や檜に代わって
広葉樹を植えることで復旧が続けられているようだ。
日本には幾多の美林がありながら、近年多くの材木を他の国に依存して
きた。その結果、熱帯雨林が失われ取り返しのつかない状態になっている。
今またタイガと呼ばれているシベリアの永久凍土帯にある針葉樹が無差別
に伐採され、その多くが日本などに輸出されているようだ。恐らくホーム
センターなどに置かれている価格の安い材木の一部はこうしたものかも
知れない。私も二度ほど買ったことがある。
日本の山林は切り出すのに不便な山間部が多く、莫大な手間賃がかかる
ため、せっかくの美林も役に立つことなく放置されているのが実状だ。他
国の山林や木を守るためにも日本の材木を利用できるようにならないもの
だろうか。
日本にもかつては森林伐採が過度に行われ、下流域に水害をもたらす
など天災の引き金になったことがあったようだ。そのことにいち早く気付
いて伐採後は植林を続けてきた。いくら雨が多く再生が早いとは言え植林
を行わなければ他国と同じように砂漠化が進んでいたのではないかと思う
と先人達の卓抜した智慧と努力に頭が下がる思いだ。
私は先年イースター島を訪れた事がある。巨大なモアイ像が島内至る
ところに立っており、これらの像には目がなく虚ろなくぼみが残されて
いるだけであった。モアイ像だけでも異様な雰囲気なのに島の中には熱帯
らしい木が一本も生えていない。今更ながらこの巨大なモアイ像をどの
ようにして運んだのだろうかという疑問が湧いてくる。石像を作っても
海岸近くまで運ぼうと思えばそれ相応の道具は必要だったはずである。
石像のみならず文明を持つものならば食料の煮炊きにも槇などが必要
だったはずである。いつの時代からこんな裸の島になってしまったのだろ
うか。木を切り尽くしてしまうまでに、このままでは木がなくなってしま
うことに何故気が付かなかったのだろうか。
かつて大文明を築いた中国でも黄砂舞う地帯に大きな墳墓が残っている。
このお墓の中には巨木でしか作ることの出来ない木棺や木棺の周辺や上を
囲む大きな板が用いられている。しかし今お墓の周辺は広漠たる黄土帯
だと言う聞いている。しかしお墓の様子からかつてここには大きな板や
木棺を作ることが出来るだけの豊かな森林があったようだ。植林をする
ことなく切り尽くしてしまったようだ。隣国の韓国にも日韓併合が行われ
るまでは植林を行うという習慣も考えもなかったようだ。
こうしてみると私達が当たり前のこととして考えている植林という考え
は意外に新しい考えだと言うことが出来るようだ。こうして森林を伐採し
木を植えずに放っておくと多くの森林は再生不可能となって周辺にあった
文明まで滅ぼしてしまうようだ。かつては個別の文明が時代を分けて崩壊
していったのだが、今は地球規模の同時進行で崩壊が進んでいる。砂漠化
が世界中至るところで起きているからだ。それはすべからく自然のもので
はない。私達人間自身の手になるものだ。それもたったここ百年以内の事
である。
かつて知床半島の砂漠化をくい止めた人の話がプロジェクトXで紹介
された事があるが、崩壊をさせるのも人間であればくい止めるのも人間で
ある。私達が今の生活をほんの少し考え直すだけで変えていくことが出来
ることではないだろうか。今、日本国内でも地方では単発的に自分たちの
生活を見直そうという運動が始まっていると聞いている。先進国ドイツ
では国を挙げて省エネ、自然エネルギーへの転換が始まっている。やれば
出来ることである。
あまたあるインターネット上のサイトの中には、環境問題はCO2の
問題ではないとする説もあるようだが、今の生活は過去数千年、私達人間
が行ってきた生活とは明らかに異なっている。大半は枯渇するかも分から
ないような石油に依存しているのである。また、進行が加速化している
この現状を黙って見過ごすわけにはいかないのではないだろうか。どうか、
一つでも二つでも私達の手で出来ることをやっていきたいものだ。
なるが、もう一度考えてみたい。日本は緑豊かな国である。それは森林の
伐採の後、祖父や父の世代そしてそれ以前の祖先達が植林を続けてきた
からだ。その植林も過剰に過ぎて一部の山林では土砂崩れなどが発生し
山の斜面の崩壊などがあるようだ。そんな事の反省から杉や檜に代わって
広葉樹を植えることで復旧が続けられているようだ。
日本には幾多の美林がありながら、近年多くの材木を他の国に依存して
きた。その結果、熱帯雨林が失われ取り返しのつかない状態になっている。
今またタイガと呼ばれているシベリアの永久凍土帯にある針葉樹が無差別
に伐採され、その多くが日本などに輸出されているようだ。恐らくホーム
センターなどに置かれている価格の安い材木の一部はこうしたものかも
知れない。私も二度ほど買ったことがある。
日本の山林は切り出すのに不便な山間部が多く、莫大な手間賃がかかる
ため、せっかくの美林も役に立つことなく放置されているのが実状だ。他
国の山林や木を守るためにも日本の材木を利用できるようにならないもの
だろうか。
日本にもかつては森林伐採が過度に行われ、下流域に水害をもたらす
など天災の引き金になったことがあったようだ。そのことにいち早く気付
いて伐採後は植林を続けてきた。いくら雨が多く再生が早いとは言え植林
を行わなければ他国と同じように砂漠化が進んでいたのではないかと思う
と先人達の卓抜した智慧と努力に頭が下がる思いだ。
私は先年イースター島を訪れた事がある。巨大なモアイ像が島内至る
ところに立っており、これらの像には目がなく虚ろなくぼみが残されて
いるだけであった。モアイ像だけでも異様な雰囲気なのに島の中には熱帯
らしい木が一本も生えていない。今更ながらこの巨大なモアイ像をどの
ようにして運んだのだろうかという疑問が湧いてくる。石像を作っても
海岸近くまで運ぼうと思えばそれ相応の道具は必要だったはずである。
石像のみならず文明を持つものならば食料の煮炊きにも槇などが必要
だったはずである。いつの時代からこんな裸の島になってしまったのだろ
うか。木を切り尽くしてしまうまでに、このままでは木がなくなってしま
うことに何故気が付かなかったのだろうか。
かつて大文明を築いた中国でも黄砂舞う地帯に大きな墳墓が残っている。
このお墓の中には巨木でしか作ることの出来ない木棺や木棺の周辺や上を
囲む大きな板が用いられている。しかし今お墓の周辺は広漠たる黄土帯
だと言う聞いている。しかしお墓の様子からかつてここには大きな板や
木棺を作ることが出来るだけの豊かな森林があったようだ。植林をする
ことなく切り尽くしてしまったようだ。隣国の韓国にも日韓併合が行われ
るまでは植林を行うという習慣も考えもなかったようだ。
こうしてみると私達が当たり前のこととして考えている植林という考え
は意外に新しい考えだと言うことが出来るようだ。こうして森林を伐採し
木を植えずに放っておくと多くの森林は再生不可能となって周辺にあった
文明まで滅ぼしてしまうようだ。かつては個別の文明が時代を分けて崩壊
していったのだが、今は地球規模の同時進行で崩壊が進んでいる。砂漠化
が世界中至るところで起きているからだ。それはすべからく自然のもので
はない。私達人間自身の手になるものだ。それもたったここ百年以内の事
である。
かつて知床半島の砂漠化をくい止めた人の話がプロジェクトXで紹介
された事があるが、崩壊をさせるのも人間であればくい止めるのも人間で
ある。私達が今の生活をほんの少し考え直すだけで変えていくことが出来
ることではないだろうか。今、日本国内でも地方では単発的に自分たちの
生活を見直そうという運動が始まっていると聞いている。先進国ドイツ
では国を挙げて省エネ、自然エネルギーへの転換が始まっている。やれば
出来ることである。
あまたあるインターネット上のサイトの中には、環境問題はCO2の
問題ではないとする説もあるようだが、今の生活は過去数千年、私達人間
が行ってきた生活とは明らかに異なっている。大半は枯渇するかも分から
ないような石油に依存しているのである。また、進行が加速化している
この現状を黙って見過ごすわけにはいかないのではないだろうか。どうか、
一つでも二つでも私達の手で出来ることをやっていきたいものだ。