ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

時坂峠から浅間嶺、いにしえの生活道を歩く 2/2 ――― アップダウンの少ない歩き易い尾根道でした

2015年06月10日 | ハイキング/奥多摩

2015/5/15  S子のリハビリ山行として歩いたこのコースでしたが、とても歩きやすい登山道だったこともあったのでしょう、S子には何の問題もありませんでした。いいことです。


▲浅間嶺を出てからも尾根の北側に登山道がついていましたから、同じように新緑の森も続いていて、日陰の心地よい山道です。12:53ころ。


▲木の名前を調べるのは、僕には難しすぎます。この写真の木も名前は分かりません。でも、この特徴的な木の生え方は何でしょう? おそらくある時期にこのあたりの木が皆伐され、ほったらかしにされていたのでしょう。ひこばえが切株からたくさん芽生え、それでこんな形の木になったのでしょう。13:01ころ。


▲嵯峨源氏の流れをくむ渡辺綱(わたなべのつな)が羅生門(羅城門)で切り落としたとされる鬼女の腕に、この花を見立てたのだそうです。腕の形や色に見立てたのでしょうか? それとも、その妖艶さや奇怪さに見立てたのでしょうか? 僕には後者のように感じられます。でも、よく見ると、とても艶やかで綺麗な花ですよね。そんなラショウモンカズラの群生地が登山道脇にありました。13:04ころ。


▲すぐに植林の伐採地がありました。またスギ等を植林するのでしょうか? 13:12ころ。


▲コバノガマズミでしょうか? 13:26ころ。


▲登山道のずっと下に何やら小さな水たまりが見えました。写真は望遠で撮ったものです。こんな尾根の近くに水があるとは! 動物にとっては貴重な水場なのではと思います。13:30ころ。


▲これまで登山道は尾根の北側についていたのですが、このあたりからはほぼ尾根に通るようになりました。13:39ころ。


▲浅間石宮。浅の字は薄くなって読めませんね。13:48ころ。


▲これが浅間石宮のようです。なにやら由緒があるのでしょうが、分かりません。13:48ころ。


▲ついに浅間尾根の南側斜面に登山道が付くようになりました。でも、日陰が多いのでそれほど暑くならず、助かります。13:51ころ。


▲この斜面の上に一本松930.2mの山頂があるのでしょう。もともとはこの付近に周囲から目立つ一本杉でも生えていたのでしょうか? でも、この標柱のカッコの中は「一本桧」と読めるような気もするのですが・・・・ 13:57ころ。


▲ガクウツギだと思います。14:34ころ。


▲広葉樹林の森になると、気分も良くなりますね。コナラでしょうか? 巨木も見えていますね。14:35ころ。


▲何てこともない道端の岩に「サル石」と名前が付いていました。この看板の下の行にある通り「昔ここは、檜原村本宿と数馬を結ぶ重要産業道路」だった訳ですから、こんな岩にも名前を付けて、目印にしていたのでしょう。
サルの手形はよく探しても見つかりませんでした。14:37ころ。


▲これは馬頭観音でしょうか? 14:45ころ。


▲ミツバツチグリだと思います。14:47ころ。


▲右の文字が「馬頭供養」と読めますから、馬頭観音ですね。どんな方がお供え物をしたのでしょう。14:49ころ。


▲時間的に数馬峠(藤原峠)を回ると少し余裕が持てなくなりますから、数馬分岐で浅間尾根から離れることにしました。でも、しばらくは広葉樹林のなだらかな登山道です。14:55ころ。


▲山道から舗装された車道に出て来ました。15:17ころ。


▲民家やバス道路が見えて来ました。15:34ころ。


▲浅間尾根登山口バス停がすぐ近くだったのですが、時間があったので、ひとつ先のバス停まで歩くことにしました。途中の道路から下流を眺めました。次のバス停はどこでしょう? しばらくはありそうでないですよね。15:46ころ。


▲「数馬下」バス停に到着です。少し待ってバスが来ました。15:51ころ。

今回の山行でS子の腰は大丈夫でした。一週間もすると、熊本に行かなければなりません。二週間ほど滞在する予定です。東京に戻ってきたら、今度は易しい沢登りをしたいと思っています。

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