ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

長年敬遠して来た、期待度ゼロの沢へ・・・・

2013年06月20日 | 沢登り/多摩川・丹波川本流

2013/6/17  平日休みにS子と二人で沢登りへ。沢のガイドブックにルート図は掲載されているのに、まだ行ったことのない沢。交通の便もよく、技術的にもとても易しく、楽に日帰りできる沢。もうとっくに行っていて良さそうなものですが、行ったことのない沢があったのです。それがオオヤマト沢。
何故行かなかったかと言うと、ガイドブックに「堰堤とボサが多く、水が涸れるところまでワサビ田が続き、遡行の楽しさは少ない」とまとめてあるから。詳細を読むと、「ボサが沢筋を覆い、歩きにくい」「送水管が見え」「堰堤が連続する」「堰堤と堰堤の間はボサがかぶさって歩きにくい」「この沢は植林地の中を流れているようなものだ」「送水管が左岸にあり、せっかくの美観をそこねてしまっている」「放置されたままのワサビ田が次々と現われ、ボサが沢を覆って歩きにくい」「ワサビ田と沢との区別がつかず」・・・・
こんな表現が散りばめられている沢へはなかなか食指が伸びないものですよね?

それでも行くと決めてからは、二万五千図を眺め、ガイドブックを精読します。
あれっ? なんか変! 二万五千図とガイドブックのルート図とがしっくりと合致しません。

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▲二万五千図のオオヤマト沢に青い水線を入れてあります。この地形図を見る限り、どちらかと言えば右俣が本流です。流水域を比較しても右俣の方がほんの少しですが広く見えます。最奥までの距離も右俣の方が遠く、標高も右俣の方が60m高いのです!
普通の沢屋だったら、右俣に入ってそちらを紹介するはず・・・・?

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▲ところが、ルート図を見て下さい。(1:1)と記入されたところがありますよね。左右の水量の比が1:1と言うことですから、そこが二俣です。そこからは左に進んでいます。つまり、左俣に入っています。地形図からは右俣に入って当然。しかし、ルート図は左俣になっています。これは現場でその理由を調べてみるしかありません。
変だなぁ? と思った理由がもうひとつあります。ガイドブックにはこの沢の出合(入渓点)から終了点(登山道など)までの標高差が700mだとありました。地形図を見て下さい。出合は540m、右俣の終了点は1240mで標高差はちょうど700mです。左俣は標高差640mにしかなりません。誤差の範囲ではありません。これを書いた人物(宗像兵一氏)はやっぱり右俣を遡行したのではないでしょうか? ますます調べてみたくなりました。

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▲オオヤマト沢出合です。向こう側の橋は諸畑橋。その下を流れているのが丹波(たば)川です。少し下流の鴨沢あたりで多摩川あらため丹波川になるのです。「たま」も「たば」も、発音するとあまり違いはありませんから、狭い地域での方言のようなものだったんでしょう。10:03ころ。

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▲出合から山仕事用の道を拾いながら歩くことになるものと覚悟していましたが、沢らしい雰囲気が十分にあります。こんな立派な滝も・・・・! 10:14ころ。

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▲送水管のパイプがずう~っと続いています。パイプに耳を寄せて流れる水の音を聞こうとしましたが、聞こえませんでした。流れていないようです。10:20ころ。

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▲堰堤は確かに連続します。すべて左岸から越えました。10:38ころ。

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▲堰堤も繰り返し現れ、送水パイプも続いています。そのふたつに目をつぶれば、なかなか綺麗な沢ですね。10:43ころ。

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▲山仕事用の小屋跡です。この上流にもまだまだ堰堤は続きました。10:47ころ。

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▲11時前後に一回目の休憩を20分ほどとりました。再度歩き始め、標高640mで右岸から流入する支流を過ぎると、ワサビ田跡が出て来ます。11:23ころ。

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▲小滝や小ナメが連続するようになります。11:24ころ。

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▲気持ちいい沢歩きです。11:27ころ。

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▲植林もありますが、それ以上に広葉樹林が勝っています。確かに、左岸に設置されている送水パイプが美観を損ねているかもしれませんが・・・・ 11:32ころ。

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▲少しぬめる岩を慎重に越えて行くS子。11:33ころ。

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▲ここが二俣です。幾本もが束になって伸びている桂(多分)の木が印象的な場所。11:45ころ。
さ~て、どちらに行くべきか?
水量は左俣の方がわずかに多い。沢床の高さは見える範囲だけで言えば、左俣の方が低い。地形図なしで、この現状だけから判断するとしたら、右俣を選ぶか? 左俣を選ぶか?
と言う訳で、左俣を選びました。ガイドブックの遡行図を描いた宗像さんも、このように同様の判断を下したのだろうと。

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▲沢登りの最中は上記のように考えていました。
でも、家に帰ってよくよくルート図を眺めていると、(1:1)となっている二俣の上流に堰堤(=の記号)があります。左俣に入りましたが、堰堤はありませんでした。
ひとつ前の二俣の写真をよく見て下さい。桂の木の右奥から右俣が流下しているのですが、堰堤が見えますよね。背の低い堰堤があることは僕も現場で確認していたのです。
ということは・・・・・・・・

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▲こうなるのではないでしょうか? (1:1)の位置が誤って印刷されてしまったのでは?
やっぱり右俣を遡行していたのです。宗像さんは。

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▲左俣に入ると、ワサビ田跡が連続していました。11:53ころ。

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▲沢の右半分はワサビ田跡です。でも、荒れた感じはしません。水線通しに歩くのもワサビ田跡の平坦地を歩くのも自由です。11:59ころ。

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▲水は伏流しています。だんだん源流の様相になって来ました。12:10ころ。

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▲でも、再び水が現われました。12:43ころ。
2回目の休憩を12:15くらいから20分ほど取りました。標高820mあたりです。
もうこの頃になると、ルート図とはほとんど合致しないので、宗像さんが本当に左俣に入ったのか、疑いの気持ちが高まって来ていましたね。

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▲ルート図とは異なり、小滝やナメ滝がまだ現われるのは嬉しいことです。12:48ころ。

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▲宗像さんのルート図では高さ表示のある滝は2mが最高です。しかし、この滝は3mほどあるのでは? 12:54ころ。

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▲快適な沢歩きが続きます。12:57ころ。

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▲一歩一歩確実に、楽しみながら登ります。12:59ころ。

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▲小滝とは言え、こんなに多くの滝があるとは! 13:03ころ。

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▲ナメ滝ですが、高さは4mほどあります。13:09ころ。

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▲標高960m付近で“奥の二俣”になります。少し迷いましたが、まっすぐ左へ進むのが本流だと判断。すると、すぐにザレ場が出現しました。13:29ころ。

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▲少し進むと、今度は完全なガレ場になってしまいました。傾斜もありますから、S子には右岸の樹林帯を登ってもらうことに。13:36ころ。

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▲このガレ場の崩壊点です。標高は1030mあたり。崩壊の始まっている地点、もしくはその近辺から乗り上がろうとしたのですが、もろ過ぎて駄目でした。この写真を撮っている付近から左へと上がりました。13:39ころ。

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▲ガレ場を越えてからは、このような急登が続きます。素直な沢の詰め。ひたすら足の筋肉を酷使し続けます。登り続けるS子。14:01ころ。

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▲急登の途中でオトシブミ(左)を見つけました。右のは何だか知りません。「ご免ね」と謝りながら開いてみると、中はすでにもぬけの殻でした。ちょっとホッとします。14:05ころ。

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▲次第に傾斜がゆるんで来ました。左上に稜線が見えています。登山道もそこに通っています。14:16ころ。

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▲稜線到着です。14:21ころ。
ガイドブックの参考タイムが3時間40分。今日、S子は4時間20分で歩きました。休憩を2回とりましたから、ほぼ参考タイムと一緒です。

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▲ルート図の詰めの部分です。最後の分岐を左に行っているところまでは僕たちと一緒です。沢沿いに忠実に詰めると、このルート図では支尾根に詰め上げることになります。左俣へ入った僕たちは登山道に直接出ました。右俣へ入ったとしてもこのルート図通りになるかは不明ですが、やはり左俣ではなさそうです。

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▲装備解除を急いで、16:07のバスに乗ろうと思えば乗れないこともなかったと思います。でも、それではせわしないので、17:10のバスとし、超ゆっくりモードでの下山を選択しました。15:07ころ。
標高1000mを越えていますから、まだまだ新緑も明るくて鮮やかです。

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▲登山道脇にギンリョウソウ(銀竜草)が咲いていました。別名「ユウレイタケ(幽霊茸)」。15:13ころ。
小説の中で、「この花の下には死体が埋まっている」といった言い伝えが発端となって事件が展開していくストーリーがありましたが、それはどうやら間違いのようです。そればかりか、むかし学校で習った「ギンリョウソウは寄生植物」というのも違うみたいなのです。どうやら、菌類と共生(寄生?)している腐生植物という分類になっているようです。菌類を理解することは僕にはとても難しいので、この腐生植物というのも難しくて理解できそうにありませんね。

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▲大寺山山頂の仏舎利塔です。奥多摩湖からよく見えるあの白い塔ですね。15:37ころ。
この仏舎利塔は某日蓮宗系の団体が建てたもののようですが、この山にはそのもっと以前から寺院があり、生活の痕跡が今でも残っているのだとか。

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▲今日はあまり花には遭遇しませんでした。この山域に少ないのか、それともこの時期だからでしょうか? ただ、コアジサイだけはたくさん咲いていましたね。15:43ころ。

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▲大寺山から深山橋へ下る登山道は何回歩いてもあまり楽しい登山道ではありません。橋を渡った所がバス停です。16:58ころ。
ゆっくり歩いたせいでしょう。17:10がバスの時刻ですから、ゆっくりもしておれません。

バスで奥多摩駅へ行き、天益へ。ところが・・・・・

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▲あちゃ~~~っ!
本日休業とは! 残念! 17:44ころ。
悔やんでもせん無きことですから、気持ちを切り替えて拝島へ。そこで飲んで家路に着きました。
でも、チェーンの居酒屋さん! 芋焼酎のお湯割りを頼んだのですが、限りなくお湯に近かったですよ~っ! そこで二杯目は日本酒「沢ノ井」に。

今日はオオヤマト沢左俣を遡行しましたが、ルート図は右俣に違いありません。近いうちに右俣を訪れようと思います。
ボサもなく、ワサビ田もうるさいほどではなく、広葉樹林の美しい、佳い沢でした。沢歩きを楽しめる沢でした。宗像さんが遡行したのは1995年6月のこと。沢だって18年もたてばずいぶん変わるということです。この沢は佳い方向へ変貌していたので嬉しいですね。

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