ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

岩国の錦帯橋を歩きました

2013年01月14日 | 帰省の途中旅

2012/12/26  熊本の実家の母が病気になって以来、お盆と正月休みは熊本へ帰って顔を見せることにしています。ちょうど青春18きっぷが使える期間なので、行き帰りはそれを使います。東京を深夜に出ると、熊本へも深夜到着し、青春18きっぷ一枚で帰省することが可能。でも、それではけっこう疲れますし、第一つまらない。と言うわけで、途中の観光地巡りをすることにしているのです。
今回は山口県岩国市の錦帯橋。僕は過去2回訪れたことがありますが、S子は初めて。

ちなみに青春18きっぷでどのように行けるのか、お教えしましょう。
1225日)東京2310~(1226日)553大垣558631米原636924姫路938958相生10291317糸崎13231534岩国
東京から大垣へは季節運行の「ムーンライトながら」です。全席指定ですから早めに指定席券を購入しなければなりません。全席指定とは言え、普通車扱いですが。
今回はすべて予定通り進みました。珍しいことです。大雨や大雪、事故や他列車の遅れなどで、なかなか計画通りには進まないことが多いのです。

ホテルへチェックインし、明るいうちに岩国駅前の街を歩きます。一番の目的は晩の食事をする店を決めること。リーズナブルな価格で、土地の食材を頂ける居酒屋さんが主なターゲット。岩国と言えば瀬戸内海の魚や蓮根あたりがメインでしょうね。
それなりのお店を発見し、コーヒーも飲めるパン屋さんで少し休んで、再びホテルに戻りました。
しばし自室で休息、それから夕食へ出かけます。選んだ居酒屋さんは当たりでしたね。値段も手ごろで、魚も美味しくて、岩国の地酒『獺祭(だっさい)』が秀逸でした。

2012/12/27  翌朝は早めにチェックアウト。昨夕のパン屋さんが7時から営業しているので、そこで朝食です。パンとコーヒー。
駅前のバス乗り場②番から錦帯橋行バスがしょっちゅう出ています。電車で行くものとばかり思っていたのですが、昨日観光案内所で聞いてみたら、バスの方がずっと便利だということが分かりました。僕自身は小学校の修学旅行と若いころ埼玉県からの九州旅行を車で行った際に途中寄った2回ですから、今回のように電車で訪れるのは初めてです。

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▲錦帯橋のバス停から錦川へ向かうと錦帯橋はすぐ目に飛び込んできます。以前は無料だったのに、橋を渡ることが有料になっていたのには驚きましたが、それも仕方がない時代の趨勢でしょう。
朝早いので、写真を写す僕の影が長く伸びています。8:34ころ。

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▲橋に佇むS子。8:41ころ。
後の山の右に見えるのが岩国城。このお城へは行ったことがなかったので、僕の今回の目的はこのお城です。とは言え、何度来ても錦帯橋は素晴らしい橋です。

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▲今朝はすごく寒く、錦帯橋は白く、雪ならぬ霜に覆われていました。何の鳥だか、鳥も橋を渡っています。8:41ころ。

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▲錦帯橋を渡り終え、上流の岸辺から眺めました。この錦川では鵜飼も行なわれるとか。8:55ころ。

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▲佐々木小次郎の像がありました。吉川英治の『宮本武蔵』では出身地がこの岩国とされていたそうです。9:00ころ。

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▲作家の宇野千代も岩国市生まれだそうです。錦帯橋の下流に今でも生家があるそうですね。9:03ころ。
宇野千代生家のHPに彼女の言葉が出ていました。
「桜も日本一 錦帯橋も日本一
こんな日本一の故郷を持っている幸せ者が 二人とあるだろうか
私は、とても故郷に感謝している。
人間をつくるのは 故郷なのです。  宇野千代」

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▲神社の鳥居に小石がいっぱいのっかっています。僕が子供時代を過ごした九州や中国、関西では割と普通に見られる光景だと思うのですが、東京に出て来てからは東日本ではほとんど見かけません。
僕も子供の頃は鳥居と出くわすたびに小石を放って載せようとしたものです。うまく載ると幸運があるように感じていました。9:33ころ。

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▲この自動車、木炭自動車!なんだそうです! しかも、ナンバープレートも付いていて、公道を走れるのだそうです。恐らく全国でこの一台だけ! スゴイ!
ただし、もっと正確に言えば、ガソリンでも走れるそうですから、木炭とガソリンのハイブリッド車ですね。さらにすごい! 9:36ころ。

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▲ロープウェイで山へ登りました。ゴンドラの中から眺めた錦帯橋です。まだ早朝の霜が白く光っていました。9:40ころ。
 


▲ロープウェイの山頂駅からは山道を歩いて岩国城へと向かいます。9:46ころ。
 


▲天守台の跡です。岩国城は毛利一族の吉川広家が17世紀初頭に築城したお城。この天守台は半分以上が復元・修復されたもので、新しく建てられた天守閣はこの隣りにありました。9:59ころ。


▲天守閣最上階から望んだ城下町です。10:27ころ。錦川手前の城下町には上級の向こう側には中級・下級の家臣が住んでいました。川で分断された城下町をつなぐ橋が川の氾濫でしばしば流され困っていたので、このような頑健なアーチ橋を建造することになったのだそうです。
1673年に創建され、最初こそ流失することがあったものの、工夫改良を積み重ね、繰り返される川の氾濫にも見事耐え続けたのです。何と! 1950年の台風による橋の崩壊まで無事だったのです。
 


▲錦川の川幅はおよそ200m。川幅いっぱいに普通の橋脚を並べても、大水の勢いで流されてしまいます。それならば橋脚のない橋(=アーチ橋)にすればいいのではと、中国杭州の名勝西湖の絵に描かれた島から島へ渡る五連のアーチ橋を見て思いついたのだとか。
写真で見れば分かるように、飛び石のように4つの島(頑健な石組の橋脚)を作って、アーチ橋を五連でつなげていますね。

 
▲再建された岩国城です。最上階まで登ることが出来ます。10:36ころ。
 


▲ロープウェイで降りて来て、白蛇観覧所へ入りました。平成25年の干支は蛇ですけれど、さらに縁起の良いことにこの蛇は白蛇。アオダイショウのアルビノです。小学校の修学旅行の時にも見た記憶があります。11:05ころ。

 
▲この岩国あたりではこの白蛇が安定・集中的に生息しており、そのような例は世界的にも稀なのだそうです。普通なら目立ち過ぎて捕食されやすかったりするでしょうから、この岩国では生き長らえ易い何らかの条件が整っていたのでしょうね。
近年は都市化の影響などで生息数が減少。保護する努力がなされているそうです。
 


▲橋のたもとのお店「むさし」で岩国寿司を食べました。地元の野菜や魚を使った押し寿司です。合戦に備えた保存食が原点なのでしょうが、ちらし寿司風の見た目の豪華さからか「殿様寿司」とも呼ばれています。11:57ころ。
実際は大きな木枠の中で五段ほどに積み重ね、数十人分をいっぺんに作ってしまうそうです。そのでっかいのを大勢で囲んで食べてみたいものですね。

 
▲いよいよ錦帯橋を渡り返して、帰路に着きます。名残り惜しい。じっくりと橋を眺め尽しました。12:27ころ。
川岸からの最初の橋は正確にはアーチ橋ではありません。普通の木組みの橋脚で支えられています。反りを持った桁橋構造なのだそうです。

 
▲木の橋脚一本一本はこんな感じです。
 


▲これがアーチ橋。二つの石組の頑健な橋脚をアーチで渡しています。
 


▲木造アーチ橋の技術が結晶している部分です。この石組橋脚と木のアーチの接合部分が劣化しやすいので昔は20年おき、現在では50年おきの架け替えが必要なのだそうです。
 


▲錦川に映る錦帯橋の影。石組橋脚も流線型になっていますね。
 


▲錦帯橋を渡り終え、名残り惜しいので河原に降りました。ぽっかりと白い雲の下に、岩国城も見えています。何度来ても錦帯橋は素晴らしい。12:42ころ。
今でこそ、現代技術を駆使した素晴らしい橋をあちらこちらで目にすることが出来ますが、それでもこの木造アーチ橋は感動を与えてくれます。
江戸時代の旅人が何の予備知識もなくいきなりこの錦帯橋を目の前にした時の驚きは如何ほどだったでしょう。岩国の人々がこの橋を郷土の誇りとする気持ちも当然のことだと思います。
 

再びバスで岩国駅へ戻りました。今日中に熊本まで行かなければなりませんから、あまりゆっくりも出来ません。
岩国から熊本までの電車乗り換えの様子はこんな感じです。
岩国13471651下関16581712小倉17291948大牟田20042052熊本
ここも昨日同様順調に進み、定刻通り熊本に到着しました。

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