ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

YYDの山行で、鷹ノ巣谷を大滝まで往復して来ました

2022年06月02日 | 沢登り/多摩川日原川水系

鷹ノ巣谷へはもう10回以上は入渓していると思います。でも、遡行回数だけではなく、僕にとって鷹ノ巣谷が特別なのは、鷹ノ巣谷が僕が沢登りをした最初の沢だった、ということなんです。

本当のところは、鷹ノ巣谷の前にカロ―川谷に入ってはいます。普通のハイキングの格好で入り、裸足になってナメ滝を登り、次の滝を高巻こうとしましたが、危険と判断してそこで終了しました。

その直後から本屋さんで「僕がやろうとしている、沢沿いに山へ登る行為は一体何なのか?」知ろうと思い、本を探しました。そして、それが沢登りだということを知ったわけです。沢登りの解説本を1冊、沢のルート図集を1冊購入しました。ルート図集の方は、当時はそれしか販売されていなかったと思います。そのルート図集は『東京周辺の沢』(昭和54年5月10日 初版発行 草文社)でした。

そして、1980年5月3日、僕は単独で鷹ノ巣谷へ行きました。地下足袋に草鞋、それだけの装備でした。ハーネスもヘルメットも、もちろんザイルなんて使い方が分かりませんから、持っていません。シュリンゲとカラビナは1つずつ持っていたかもしれません。解説本で投げ縄のことが書かれていましたから、それ用に持っていたかと思います。今は投げ縄なんてしませんが、当時は幾度か実践した記憶があります。

高巻ける滝はすべて巻いて、大滝も右から高巻きました。大滝はその後、滝の右斜面が崩れましたから、巻きづらくなりましたが、当時は比較的楽に高巻けたのです。さらに、上流では金左小屋窪に入り、水が消えてからは猛烈な笹藪漕ぎになりました(その後、増えた鹿の影響で笹藪は消滅しました)。この深くて長い笹藪漕ぎで凄く不安になったことを今でも覚えています。このまま永遠にこの笹藪から脱出できないのではないかとの恐怖に囚われたのです。もちろん、登れば必ず稜線に飛び出します。稜線に出た瞬間、僕の眼前に富士山の姿が飛び込んで来ました。感動しました。

それで、僕は沢登りの虜になってしまったわけです。

以下、沢登りを初めてやり始めた1980年の遡行記録です。

5月3日 鷹ノ巣谷

5月5日 鷹ノ巣谷

夏    川苔谷逆川

9月15日 水根沢谷

9月21日 盆堀川棡葉窪

10月10日 盆堀川千ガ沢石津窪

10月26日 海沢

ほとんどは単独行ですが、山に一緒に行っていた友人(沢登りは未経験)を誘ったこともありました。沢登りの危険性が全然分かっていなかったからです。

 

僕の鷹ノ巣谷思い出話はここまでとして、YYDのY山さんが鷹ノ巣谷の計画を出しました。大滝までの往復です。Y山さんの山行には出来るだけ参加したいと思っています。それに今回は怪我が快復したS藤さんの復帰山行でもあります。お祝いの気持ちを込めて参加したいと思いました。

 

2022年5月29日(日) 鷹ノ巣谷/大滝までを往復

▲9:43。日原川の本流に鷹ノ巣谷が右から出合っています。

 

▲9:51。沢装備を準備して出発です。

 

▲9:59。先頭を行くのはN坂さん。続いて、前の週に長尾谷で一緒だったK田さんが続きます。

 

▲10:05。みんな水線通しに攻めてますね。僕はと言うと、濡れるのがあまり好きではありませんから、ひとり水線から離れて遡行しています。

 

▲10:23。この日は都心は真夏日、奥多摩町も真夏日の暑さ。陽射しも暖かです。でも、沢の中は別天地で涼しいですね。

 

▲10:29。この日のリーダーのY山さん。凄い勢いで流れる滝にも突っ込んでいきました。

 

▲10:34。K藤さんがへつりにチャレンジしています。失敗してもドボンするだけですから、危険はありません。でも、みんなドボンせずに突破してました。

 

▲10:43。K田さんはどこもすべてチャレンジします。

 

▲僕もK田さんに続きましたが、この先で右から高巻いたような記憶が微かにありますね。みんなが辿ってないルートを辿ろうと思う気持ちもあったりしますしね。この写真に写っているのは僕です。(撮影:Y山)

▲10:52。上の2枚の写真の最上部かなと思います。Y山さんが念のためにザイルを出しているみたいですね。

 

▲11:02。沢らしい光景が続きます。

 

▲11:09。A宮さんもどんどん水の中に入って行きます。僕は水から離れて高みの見物。

 

▲11:12。シャワーを浴びるのが好きなんでしょうね。僕はさほど好きではありませんけどね。すぐ左にはY山さんも待機して、順番を待っています。

 

▲11:21。ここは僕も水線通しに行ったような記憶があります。でも、さほど濡れずに突破できました。

 

▲11:49。S藤さんが触っている岩の下から登るのですが、N坂さんがリードして、ザイルをセットしました。それほど難しい岩場ではありません。この写真でこれから水流を渡るのですが、水の勢いが強い時は足が弾かれ流されそうで怖いのです。1ヶ所のプロテクションの箇所でザイルの向きが変わるので、そこではカラビナの掛け替えをしなければなりません。それを外してしまうと、以降の人が万が一落下した場合、滝の流れの中に振られて落ちてしまいます。長尾谷の時もそうでしたが、このような状況で共通の判断が出来るメンバーが増えなければ駄目ですね。そのためには、実戦経験を数多く積むことはもちろんですが、他人事ではなく自分事として考え体得していかなければ、何回経験しても頭の上を素通りしていくだけだと思います。

 

▲11:54。支沢に美しい滝がかかっていました。2日前に雨がたくさん降ったので水量が多いせいなのでしょうね。

 

▲12:15。こんなところあったかな? と思いました。残置シュリンゲが何本もぶら下がっています。N坂さんがリードして、他のメンバーはザイルで確保されて登りました。僕も残置シュリンゲは使わずに登ろうとしましたが、やっぱり残置シュリンゲに頼ってしまいました。

 

▲N坂さんの確保の様子。(撮影:Y山)

 

▲僕が最後だったのかな? これから登り始める僕。(撮影:Y山)

 

▲12:41。大滝が見えて来ました。

 

▲12:45。この日の鷹ノ巣谷は平水よりも少し水量が多いですから、大滝も美しく飛沫が舞い上がっています。

 

▲12:53。この滝をリードするのはA宮さん。

 

▲12:56。大滝自体は1段20mですが、登攀する右壁には途中に広いテラスがあって2段になっています。土が流されてしまったようで、そのテラスには水が溜まって釜のようになっていました。A宮さんは順調に登攀していきます。写真では姿がよく見えませんけれど、もうすぐ上に抜けるところです。

 

▲13:23。他のメンバーは固定されたザイルにフリクションノットで登って行きました。

 

▲13:23。ラストの僕は途中のテラスで大滝の飛沫をパチリ。

 

▲13:38。大滝の上でこの日初めての休憩。

 

▲僕は対岸にひとり渡って休憩。(撮影:Y山)

 

▲13:49。いつもはさらに上流へ遡行し、稜線まで詰め上げるのですが、この日はこの大滝から下降する計画です。早速、懸垂下降です。順番を待つ間もちゃんとセルフビレイを取って待ちます。

 

▲13:58。K藤さんが懸垂下降します。

 

▲14:04。S藤さんも懸垂下降します。

 

▲14:16。僕はこの日初めてルベルソ5を使った正式な懸垂下降を実践してみました。赤いシュリンゲを使ってルベルソ5の設置位置を体から離れた場所に置き、体のすぐそばにマッシャ―結びでフリクションノットを作るのです。

 

ATCでの懸垂下降は慣れているのですが、正式な方法ではありませんでした。つまり、フリクションノットを使っていなかったのです。懸垂下降の途中で何事かが発生した場合、体がそれ以上下がらないように仮固定しなければならないことがあります。8環での懸垂下降なら簡単に仮固定が出来ます。ATCで懸垂下降していた際に、「どうやって仮固定するんだろう?」と疑問に感じていましたが、常にフリクションノットをセットしておくのですね。これなら何時でも両手を離すことが出来ます(もちろん正式固定もしなければなりませんが)。

ところが、です。

実際にこれで懸垂下降してみると、体がまったく下がって行きません。マッシャー結びが固すぎて、制動が効きすぎるのです。そのマッシャー結びの部分にザイルへの重みが全部かかってしまうので、ルベルソ5には僕の体重が1kgもかからなくなります。結果的にまったく体が下降していかないのです。

ですから、力づくでマッシャー結びを下げていかなければなりません。ゆっくりゆっくりしか、下降できませんでした。

たっぷり時間がかかって下まで降りると、僕はY山さんに聞いてみました。「マッシャーが効きすぎて動かないんですよ。どこが駄目なんでしょうかね?」。Y山さんは「マッシャーが巻き過ぎなんじゃないでしょうかね?」と言います。天覧山あたりで繰り返し練習して、適切なフリクションノットを見出さなければならないようですね。

ブログを書きながら思ったことがあります。ルベルソ5をセットしている赤いシュリンゲとマッシャー結びの黄色のシュリンゲが同じ安全環付カラビナにセットしてあることが間違いかなと思いました。マッシャー結びに遊びがないんですよね。遊びがないと緩む余地も乏しいのかもしれません。これも試してみたいですね。

この日は、それ以降の懸垂下降ではマッシャー結びはセットせずに懸垂下降しました。

 

▲14:24。大滝ともサヨウナラですね。

 

▲14:46。大滝に続く2ヶ所目の懸垂下降です。K藤さんですね。

 

▲14:56。登りでは滝を直登したんだと思いますが、高巻きで下ります。

 

▲15:23。3ヶ所目の懸垂下降。S藤さんですね。

 

▲16:07。4ヶ所目の懸垂下降は木にセットしました。S藤さんとK藤さんかな。

 

▲16:13。最後にA宮さんが懸垂下降していますね。

 

3回目の懸垂下降まではY山さんと僕とでセットしたザイルを回収し、束ねました。1度ならともかく、2度目3度目ともなると、Y山さんと僕とは苦笑いを交わすようになります。この日の女性メンバーには沢屋として自立してもらいたいとの願いがありますから、ルートファインディング、滝のリード、懸垂下降のセット等々、Y山さんは彼女たちにほとんどを任せているのです。僕もそれは分かっていますから、邪魔をせずに口出しも控えています。(まあ、高齢者ですから連れて行ってくれて、一緒に遡行させてくれるだけで感謝ですけどね)

ですから、4回目の懸垂下降のセット回収には僕は関わらないことにしたのです。

 

▲16:24。小滝をクライムダウンし、釜の脇をへつり(トラバースし)ました。

 

▲16:51。日原川本流の流れが見えて来ました。鷹ノ巣谷出合です。木橋が見えていますね。以前は渡れましたけれど、今はほぼ垂直に傾いています。

 

▲16:53。巳ノ戸橋を渡ります。この橋は日原川に架かっています。巳ノ戸沢は鷹ノ巣谷の支流でここからは離れた場所にあります。どうしてこれが巳ノ戸橋なのか、不思議ですね。個人的には鷹ノ巣橋がいいと思いますけどね。

 

▲16:59。中日原の集落に出て来ました。先頭を歩くのはK田さん。

 

▲17:07。東日原バス停に到着です。右の薄黄色の建物はトイレです。以前に比べると、とっても綺麗になっていました。

 

▲17:07。日原川の下流側を眺めると、谷の隙間に遠くの山が見えています。地図で確認すると、どうやら本仁田山1224.5mのようですね。奥多摩駅の裏山です。

 

上の写真で本仁田山の右、日原川に落ち込んでいる尾根(カラ沢尾根)に白っぽい岩場が見えますよね。緑の木々の中に埋もれているように見えますが、この岩場は尾根を形成している岩峰なんです。地元ではトゲ山と呼ばれているのですが、奥多摩の山岳救助隊員の間ではまってろ岩峰と呼ばれているそうなんです。この岩峰でそれ以上降りられなくなった登山者(遭難者)に、日原から拡声器で「いま救けに行くからそこを絶対に動くな。そこでまってろ~と呼びかけるからなんだそうです。

何故、登山者がこんな岩峰の上で立ち往生してしまうかと言うと、石尾根を奥多摩駅へ下る予定の登山者が石尾根上の城山で道を間違えて、カラ沢尾根に入ってしまうんだそうです。そして、この岩峰まで来るのですが、ここからの下り方が分からない。日原の集落からはこの岩峰にいる登山者が見えるので、駐在さんに通報するという訳です。

でも、今はほとんどそんな登山者はいません。山岳救助隊が城山のカラ沢尾根入口に「通行禁止」のロープを張ったからです。

カラ沢尾根への取付はちょっと複雑です。日原集落から対岸へ橋で渡り、カラ沢を過ぎて、東隣りのタル沢尾根の山道に入ります。カラ沢出合のすぐそばにある直登不可の滝の上流にその山道は続いています。カラ沢を渡り、渡った場所から斜面を登ればカラ沢尾根に出ます。記憶だけを頼りに書きましたから、不正確あるいは間違っているかもしれません。

 

17時30分のバスに乗りました。前の週の長尾谷の時と同じバスですね。この日はS藤さんの復帰祝いでもあるので、彼女の希望や都合に合わせることになっているみたいです。18時14分の電車に乗るとのことなので、僕は天益に挨拶だけしに行きました。

 

▲18:06。電車の中ではA宮さんが撮影した動画を見せていました。今は本当に性能がいいですから、コンパクトなデジカメくらいの大きさでも凄く精緻な動画が撮れるんでしょうね。詳しくは分かりませんが、カメラをスマホに接続して、スマホ画面で観ているのかな?

 

青梅駅で乗り換え、河辺駅で下車。駅前の河辺温泉 梅の湯でお風呂に入りました。僕はここは初めてですね。ここまで戻って来たら、家に帰った方が早いですしね。8時に全員がお風呂から出て来て、館内の立派な居酒屋さんで集合。楽しいひと時を過ごしました。


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