ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

岡山県の閑谷(しずたに)学校を訪ねました

2016年01月24日 | 帰省の途中旅

2015/12/26  青春18きっぷの旅は時間だけは贅沢にある旅です。伊勢市から熊本まで一気に行くことは不可能なのですが、途中でどこかに寄って旅を続ける計画を考えてみました。
そこで考えたのが岡山県備前市の閑谷学校です。僕は中学生のころ(多分)と20代のころの2回、訪れたことがあります。岡山の池田藩の藩校であるという知識くらいしか、今回再再度訪れるまでは持っていませんでした。ただ、山深い中に静かにたたずむ江戸時代の古い建物や周囲の雰囲気が素晴らしかったことだけは記憶にありましたから、S子をそこへ連れて行ってあげたかったのです。


▲閑谷学校の最寄駅は山陽本線の吉永駅です。岡山県東部の備前市にあります。田舎の小さな駅でした。11:08ころ。

ちなみに青春18きっぷの旅程をお教えしましょう。
伊勢市4:45~5:56亀山6:02(関西本線)~6:27柘植6:34(草津線)~7:22草津7:36~9:33姫路9:39~9:58相生10:30~11:00吉永
この日はホテルで超早起きしました。


▲閑谷学校までの道のりは3~4kmほどですから、最初からぼちぼち歩こうと考えていました。時間次第ではタクシーを使うこともあるでしょうが、今日は天気もいいことですし、歩いて行くのが気持ちいいですね。途中のコンビニでお昼ご飯を購入して、散歩気分で歩き始めました。歩くS子の頭上の道路標識には閑谷学校まで3kmと標示されています。11:28ころ。


▲道路脇に妙なものがありました。寄って行ってみると、いびつに曲がった太い自然木がゲートのように設置してあります。11:42ころ。


▲ゲートの右隣りには牛の像があり、その周りにも小さな牛の置き物が並べられていました。賽銭箱らしきものも置いてありますし、牛頭観音などと関係があるのでしょうか? 11:42ころ。


▲急ぐ旅でもありません。ゲートの先に続く長い階段を登ってみることにしました。11:44ころ。


▲登り切ったらそこは展望台のような場所でした。吉永駅の周りの街並みが一望できます。12:13ころ。ちょうどお昼時ですし、ここでお昼ご飯にしました。12:13ころ。


▲こんな感じの展望台でした。12:14ころ。


▲車道を進んで行くと、大きな池の先で歩行者用の道が車道から分かれていました。おそらく昔の車道なのでしょう。以前来たときには山中の車道をくねくねと登って来た(その時には車で)淡い記憶がありますから、この車道だったのでしょうか? 12:53ころ。


▲トンネルを抜けると、いきなり閑谷学校が始まりました。でも石塀の中に見える建物は僕にとっては初対面です。12:55ころ。


▲この建物は何でしょう? 明治時代の学校みたいですね。これが何かは後で判明します。12:55ころ。


▲「信勤倹 学びの跡
講堂に端座する学生服の一団をみるか  経書の一章を師について朗読するを
火除山の草に大の字になる少年を見るか  天空駆けて夢膨らます大志の行方よ
閑谷川に太古の響き  大成殿に風の清澄  
赤松に赤松の匂い  楷樹に楷樹の輝き
我らはこの地に学んだ  疾風怒濤の青春を生きた
懐旧と往年の熱  呼びさまして願う  
この谷の弦誦の声の  永遠なることを」
この石碑が何故ここにあるのかも最初は理解できていませんでした。以前来た際には、これは見ていませんし。「学生服の一団」とありますから、江戸時代ではないですしね。12:58ころ。


▲校門は修復中だったのか、被いで囲われていました。受付の門へ向かいます。そこには「日本遺産決定!」の看板が。昨年4月に「近世日本の教育遺産群」として弘道館、足利学校、咸宜園などとともに日本遺産第一号と認定されたのだそうです。この静けさが気に入っていた場所なのに、有名になって観光客が増えるのは個人的には好ましいものではないですね。13:00ころ。


▲聖廟(せいびょう)です。1684年に建てられた閑谷学校の中でも最も古い建物。江戸時代ですから儒学の祖・孔子を祭っているものです。
階段の両側の二本の巨木は楷(かい)の木。ウルシ科の落葉高木で左は赤く、右のは橙に紅葉するそうです。写真で見ましたが、実に美しい紅葉の姿ですよ。大正4年に中国山東省曲阜にある孔子の墓所で採取された種を日本に持ち帰り、十数本が育苗に成功しました。そのうち2本が閑谷学校へ寄贈されたのだそうです。東京の湯島聖堂や佐賀県の多久聖廟の楷の木も同じときのものだそうです。13:13ころ。


▲聖廟の中はこんな感じ。左は厨屋(くりや)、中央は孔子像が納められている大成殿かと思います。13:15ころ。


▲広場の向こうに見えているのは国宝に指定されている講堂です。今では備前焼瓦ですが、創建当初は茅葺きだったそうです。「学問の殿堂」のシンボル的存在ですね。13:18ころ。


▲講堂の中は静まり返っており、心引き締まります。重厚な雰囲気に圧倒されます。13:19ころ。


▲講堂は10本の欅の円柱で支えられています。周囲には花頭(かとう)窓があり、柔らかい光が差し込んで来ます。写真に見える額には「克明徳」と第9代藩主・池田治政により書かれています。13:22ころ。


▲講堂と隣接して小斎や習芸斎、この写真の飲室があります。飲室は教師と生徒たちの休憩室、喫茶室だったそうです。火の使用はここの囲炉裏だけに限定されていました。しかも、炭火だけしか使ってはいけなかったようです。火の管理には厳しかったみたいですね。当然ですけれど。13:25ころ。


▲講堂の先に建っている蔵は文庫と呼ばれています。閑谷学校所蔵の書籍等を保管しておく土蔵。入り口は四重戸で厳重に管理されています。でも、規則には「文庫の書籍諸生望次第之を貸与す」とあったそうですから、大らかな校風でもあったようですね。
この文庫の裏に小高い丘がありますが、これは火除山(ひよけやま)で、石垣の上に大量の盛り土をしたものです。実は、この丘の向こう側には生徒や教師たちの生活の場があるのです。そちらでは火を使いますから、万が一にも飛び火しないよう、人工的な火除山を作ったのですね。13:29ころ。


▲火除山を越えると、この建物が立っています。江戸時代には教師や生徒の生活の場であり、小さな集落があったようですが、今はそれは残っていません。どうやらここは資料館になっているようですね。中の展示物を見て、この建物が何なのか、分かりました。14:31ころ。

この建物は明治時代に建てられたもので、藩校としての使命が終わった後もこの地を教育の場として生かし続けたい人々の手により、閑谷学校に隣接するこの地に、閑谷精舎、閑谷黌、私立閑谷中学校、私立閑谷黌、岡山県閑谷中学校、岡山県立閑谷高等学校、岡山県立和気高等学校閑谷校舎などと名称を変えながらも昭和39年まで学びの場として存続したのでした。
僕が最初にこの地を訪れた際にはこの校舎に気付きませんでしたが、学校自体はすでに使命を終えていたのですね。

この資料館で僕は初めて知りました。1670年に岡山藩主の池田光政が藩士のためではなく一般領民のためにこの閑谷学校を建設したことを。以前訪れたときには、何も考えず、当然武士の子弟が集まって教育を受けていたものと考えていました。今回、じっくりと見て、武士の子弟ではなく一般領民のための学校だと知り、その革新性に驚きました!


▲資料館(この写真では中央の文庫(土蔵)の向こう側にあります)から戻って来ました。14:33ころ。


▲講堂前から聖廟とその右の閑谷神社を望みます。閑谷神社は創始者・池田光政を祀る神社。この二つの建物は光政から閑谷学校の建設や運営を任された津田永忠が学校の永続を図って建てたものです。一般領民のための学校など藩主が変わり教育への情熱がしぼんでしまうと、いつ廃校となってしまうか分からなかったからです。孔子と光政の廟や神社があれば、無碍にはなくすことは出来ないだろうと考えたのですね。写真右の小高い丘は椿山と呼ばれています。池田光政の髪、爪、歯などを納めた供養塚があるそうです。14:34ころ。


▲閑谷学校から500mほど離れた場所に建つ黄葉亭へも初めて行ってみました。学校を訪問する客人のため設けた応接の場です。茶室ですね。途中には津田永忠の住居跡もありました。14:51ころ。


▲2時間ほど閑谷学校と資料館を見て回りました。いろんなことが分かった2時間でした。昔この地を訪れたときは山中に本当に静かに佇んでいましたから、独特の静謐さがありました。今はいろいろな建物が周囲に建っています。次第に観光地化して行くのでしょう。日本遺産にもなりましたし、世界遺産登録への動きもあるようです。こういう学校の存在が知られるようになることはいいことと、思うしかないでしょうね。15:05ころ。


▲資料館前を通りすぎます。この校舎は1905年に建てられたものですが、その後60年間も生徒たちの学び舎として生きて来たのです。15:07ころ。


▲のんびり歩いて吉永駅へ向かっていました。でも途中で、この電車に間に合いそうだと分かりましたから、少しだけ歩を速めました。これから岡山市へ向かいます。15:54ころ。

岡山駅までは40分ほどしかかかりません。駅のすぐそばのホテルにチェックインし、街へ出かけます。何となく雰囲気の良さそうな居酒屋さん(〝居酒屋もりもと”だったような気がします。後で知ったのですが、なかなかの人気店ですぐに満席になりますから座れたのはラッキーだったようですね)がありましたから、そこへ入りました。僕たちが入ってからお客さんが次々に来て、すぐに一杯になりました。最初からカウンターに座らされた理由が納得できます。


▲大根とジャコのサラダと黄ニラの卵とじです。黄ニラは岡山県の名物らしいですね。全国の約7割を岡山県で生産しているのだそうです。太陽に当てないで育てることで、普通の青いニラよりも柔らかく、甘く、香りも淡く上品になるのです。確かにそれは当たっています。通常のニラの強烈さはありませんがね。18:47ころ。


▲鯨刺しがあったので頼んでみました。18:51ころ。


▲向う側のはアジ(?)のなめろうだったでしょうか? アジだったと思います。手前のは鮟肝だったかと思います。冬ですから、名古屋でも伊勢市でも頼んで食べました。3つのお店とも素材は似た感じでしたが、このお店が味付けやアレンジが上手で頭抜けて美味しかったですね。写真では写っていませんし、銘柄も忘れましたが、地酒も頼みました。美味しかったです。純米酒中心にいいお酒を揃えていましたね。19:47ころ。

カウンターのお隣の席にお二人楽しそうに語らいながら飲んでおられました。何がきっかけだったかは忘れましたが、その方たちとお話しが弾むようになったのです。酒も入っていい気分になっていましたから、何を話したのか内容は全然覚えていないのですが、とても楽しい会話だったことだけは記憶に残っています。
別れ際にこのブログのタイトルだけを告げたように思います。もし、このブログを読んでくださっていたら、「楽しい会話が出来てありがとう」と言いたいですね。


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