ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

熊本地震の4ヶ月後、近見と熊本城の現状

2016年09月24日 | 熊本起点の旅や遊びなど

2016/8/16  今年の熊本への里帰りは短期間になってしまいました。行きには長崎の叔母さん宅に寄りましたし、帰りは京都を巡ったりしたいと思っていますから、結局、熊本では5泊しかできませんでした。

しかも、これまでは必ず実行していた熊本滞在中の登山も計画すらできませんでした。その理由は熊本地震です。地震の影響でいまだ熊本から阿蘇への鉄道が不通になっているからです。夏なので、せめて標高1000mくらいはある山に登りたいですよね。阿蘇方面以外で鉄道等を使っていける山は標高数100mくらいしかありませんから、暑くてたまらないのです。

登山は実行できませんでしたけれど、是非行ってみたい場所がありました。熊本城です。ですから、熊本に来た翌日すぐに訪れました。ともかく実際に自分の目で見てみたかったのです。

家を出て、バス停に向かう道々にも、地震の爪跡は残っています。

 
▲実家のそばの市道沿いの商店は大打撃を受けていました。12:15ころ。


▲歩道沿いの植木の囲いもこんなに砕けてしまっています。12:15ころ。


▲先ほどのビルのお隣りのビルですが、折れて、曲っています。12:15ころ。


▲この電柱、どこか可笑しいと思いませんか? 12:17ころ。


▲この電柱なら分かりますよね! そうです。沈んでしまっています! 住所表示は普通、目線の高さにありますよね。12:18ころ。


▲以前からこの石柱の表示の意味が分かりませんでした。「大正八年十月架?」「近見橋」と書かれています。確かに、幅1m半ほどの溝のような流れはあるのですが、それに架かっていた橋を記念して石柱を立てるとは思えません。今回、地震に付随して報道された記事を読んで合点がいきました。それは熊本市内を流れる大きな河川、白川と緑川、その二つを結ぶ流れがこの市道付近を流れていたそうなのです。そこに架かっていた、それなりの大きな橋が大正時代にはあったのでしょうね。12:19ころ。

この辺りを川が流れていたとすると、川砂が堆積しているのは当然のことかもしれません。それで、この付近に集中して地震による液状化現象が起きていたのです。


▲このお店も営業再開できないままなのですね。割れたガラスもそのまま放置してあります。12:21ころ。


▲残ってる溝のような流れがこれ。4ヶ月たっても路肩が補修されていません。12:23ころ。


▲日吉小学校の前にあった文房具屋さんには「危険」を示す赤い紙が貼られていました。「地盤の沈下。建物の著しい傾斜」がその理由です。12:25ころ。


▲建物と建物の隙間を覗いて見ると、大変なことになっています。12:27ころ。


▲日吉小学校の正門。一見、何事もないようですが・・・・ 12:25ころ。


▲玄関の様子です。だいぶん綺麗に整えたのでしょうが、盛り上がっていますね。12:28ころ。

バスに乗り、交通センターへ行きました。途中、工事中のシートで覆われた建物が普段より多いような気がしました。熊本随一の繁華街である通り街でも、地震の影響で閉店している店もちらほらとありました。
そして、熊本城へ向かいます。


▲最初に目に飛び込んで来た惨状がこれ。14:21ころ。


▲近づいて見ると建物も崩れ落ちたのですね。国指定の重要文化財、北十八間櫓、東十八間櫓、五間櫓です。14:31ころ。


東十八間櫓の南側石垣が民間駐車場へ落ちたのだそうです。その石をここへ運び、石の位置などを記録し、復旧に備えています。14:39ころ。


戌亥櫓と崩れた石垣。14:43ころ。


▲あまり人目につかない場所もこんな感じで崩れていました。14:43ころ。


▲このように観光客も通れるようにしてくれてあります。14:43ころ。


熊本城でいちばん好きな宇土櫓。昔のままの姿を保っている国指定の重要文化財です。右につながっている部分が潰れてしまいました。14:46ころ。


▲ちょっとした石垣もこんな状況でした。14:50ころ。


▲天守閣の周囲をドローンが飛んでいました。お城の現状を撮影し、調べているのでしょう。14:51ころ。


▲大天守と小天守。14:52ころ。


▲小天守の土台もこんな状態です。14:54ころ。


▲西大手門。角の石垣でかろうじて支えられていますね。14:58ころ。


▲戌亥櫓と石垣を先ほどとは違う角度から写しました。15:00ころ。


戌亥櫓も角の石垣で支えられていました。15:05ころ。


戌亥櫓から西大手門に続く長塀も崩れてしまいました。15:11ころ。


▲二の丸駐車場のトイレにも「要注意」の黄色い紙が。15:18ころ。


▲調べたのですが、この櫓がどこかは分かりませんでした。15:22ころ。


▲飯田丸五階櫓を支える工事が始まっていました。15:25ころ。


▲馬具櫓だと思います。15:32ころ。

お城のガイドさんがお客さんに「市役所の14階からよく見えますよ」と話すのが聞こえましたから、行ってみることにしました。


▲飯田丸五階櫓が見えていました。15:38ころ。


▲熊本市役所14階の展望ロビーに上がってきました。15:47ころ。


▲熊本城の全貌を見渡せます。レストランもあるので、思いのほか穴場ですね。15:49ころ。


飯田丸五階櫓は手前角の石垣一列だけでかろうじて支えられていましたから、応急処置が進められていました。15:49ころ。


▲本丸御殿大広間は外見だけを見る限りでは大丈夫そうでした。15:51ころ。

交通センターへ戻り、バスで家へ。


我が家のお墓はそれほどの被害はなかったのですが、周囲には大変なお墓があったようです。
まだ手付かずのお墓もあって、どうにかしてあげられないかと思ってしまいます。17:45ころ。


▲倒れたままになっている墓石がたくさんあります。元に戻すにも、確かに重くて大変。こんな実情なのも、仕方がないと思います。遠くに住んでおられたり、ご高齢だったりするのでしょうね? そのままなのを責めることは出来ません。17:50ころ。


▲近見神社の鳥居もこのありさまでした。17:51ころ。


▲鳥居の上のこれが落ちたのです。17:51ころ。


▲「支那事変記念碑」の大砲の弾でしょうか? 落ちてしまいました。17:52ころ。


やっぱり実際に自分の目で見ると、その大変さがよく理解できます。今後も長く見続け(見守り続け)て行きたいと思います。


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