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ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

NZ旅№12―――この日は完全休養日

2015年04月20日 | ニュージーランド旅2013

2013/11/20  お久しぶりです。ニュージーランド旅からは1年半ほど経ちましたけれど、ブログの再開です。(今は2015年の4月なのです)

この日はいったい何をしていたのか、今となってはまるで記憶にありません。外出もしていないようですし、写真もほとんど撮っていませんでした。
おそらく、旅の疲れもあったでしょうから、完全休養日だったのでしょうね。華世ちゃんも藤井さんも気を遣ってくださったのでしょう。

旅の中でこんなにぽっかりと無為に過ごせる日があるとは、なんと贅沢なのでしょうか!
しかも、リアルニュージーランド社のツアーは昨日終了し、今日からは同じくリアルニュージーランド社にお世話になるとは言え、プライベートツアーなのですから。プランは全部華世ちゃんにおまかせ。楽しい旅になると思います。


▲夕方(と言ってもまだまだ明るいのですが)にこの邸宅の周りを散歩しているようですね。この写真が邸宅の入り口側。広い家なのですが、こちら側からの外見はウッディーで山小屋にも見える風情です。16:52ころ。


▲日本のアザミは葉に棘があるくらいですが、ニュージーランドのは全身棘だらけ。とは言え、このアザミは外来種だと思います。ニュージーランド固有種には白もしくは黄色の花しかありませんから。16:57ころ。


▲この邸宅の前の土地はヒツジの放牧地なんです。16:59ころ。


▲これも外来種でしょうね。紫色ですから。庭の花が野生化しているのでしょう。17:00ころ。


▲僕たちが泊まっている邸宅からは1本の道が出ていて、写真の左にずうっと行った場所に郵便受けとかが設置してありました。丘の上に見えている建物がその邸宅。17:16ころ。

この邸宅がどなたのお宅かはともかく(オープンにしていいという了解を得ていませんので)、こんな住宅環境は日本ではほとんどあり得ないでしょうね。この写真の周辺にも2、3軒の邸宅がありましたから、ニュージーランドでは特別なことではないのでしょう。羨ましい限りです。

まあ、日本にも散村という形態があって、田畑の中に、屋敷林に囲まれた一軒ずつの屋敷が散在しています。富山県の砺波平野などが有名ですよね。でも、人口密度が圧倒的に日本が高いですし、放牧地と水田との違いもありますから、これほど広々とはしていません。


NZ旅№11―――クライストチャーチからネルソンへ

2014年07月29日 | ニュージーランド旅2013

2013/11/19  リアルニュージーランド主催のボールパスクロッシングのツアーは今日が最終日、終わりです。
最初のプラン段階でも、「スタッフとはここでお別れ。*リアルニュージーランドスタッフと一緒にネルソンまで一緒にドライブも大歓迎!」となっていました。
でも、僕とS子はまだしつこくニュージーランド旅行を続ける予定です。しかも、華世ちゃんの世話になりながら。・・・・と言うことは、藤井さんの世話にもなるのと同義なんですが・・・・

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▲僕たちが泊まったハートランド・ホテル・コッツウォルドです。広い敷地にこのような二階建ての棟が並んでいます。チューダー様式と言うのだそうですが、僕にはよく分かりません。16世紀ころのイングランドの建物様式だそうです。
僕たちが泊まったのは確かこの棟だったと思います。左から回り込んで反対側へ行き、階段を上った二階の部屋でした。8:38ころ。

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▲あれ~っ? 記憶が本当に薄れています! こんな素敵な飲み物をどこで飲んだのでしょう? クライストチャーチからネルソンへ向かう途中、ちょっとした町でお店に入ったような記憶があります。何かしら、美術品のような骨董品のようないろいろな品物も同じ場所に置いてあって、それらも売り物であるようなお店。・・・・だったような気がします。11:13ころ。

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▲カイコウラに近づきつつあります。海を隔てて見える陸地はカイコウラ半島なのでしょう。12:18ころ。

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▲カイコウラ半島の先端部あたりなのだと思います。駐車場の端っこに、オットセイが普通に寝転がっています。12:33ころ。
今日はネルソンまでのドライブだけとしか思っていませんから、いったい車がどこを走っているのやら、ほとんど無関心でした。キチンと情報を入手しながら、もっと知的にも楽しむべきでしたね。

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▲これがニュージーランドのオットセイ。ニュージーランド・ファーシールと呼ばれているようです。12:33ころ。

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▲こちらの草地にもファーシールが。寝てますね。12:34ころ。

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▲海岸の岩の上でも寝ているファーシールが。12:36ころ。

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▲カモメもいます。アカハシギンカモメ(赤嘴銀鴎)だと思います。ニュージーランドでは普通に見られるカモメです。12:37ころ。

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▲さっきまで草地で寝ていたファーシールが動き始めました。ちょっと五月蝿いな~ぁ、とでも思ったのでしょう。12:38ころ。

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▲右のファーシールは服を着ています。12:42ころ。

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▲こんなところを総出でのんびりと歩いているのですから野生のガンではないでしょう。家禽のガチョウでしょうか? 12:43ころ。

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▲カイコウラを離れ、少し車を走らせたところで、再びファーシールが。写真には7頭写ってますね。家族なのでしょうか? 13:17ころ。

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▲The Store Kekerengu です。カイコウラから1時間ほど車を走らせ、遅いランチにしました。13:45ころ。

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▲天気もいいので、外のテーブルでいただきます。13:57ころ。

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▲どこまでがこのお店の敷地なのかはよく分かりません。でも、このお店1軒があるだけですから、この芝生はもちろん、すぐ下に広がっている海辺もすべてこのお店のもののようなもの。僕たちは中央のテーブルに見えますね。14:00ころ。

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▲これがおそらく僕が頼んだ料理なんでしょう。料理名は忘れましたし、分かりません。これまでに食べたことのない(はずの)料理です。味も覚えていませんが、美味しかったはず。何故なら、ニュージーランドでは幸運にも不味い料理には出くわさなかったからです。14:04ころ。

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▲カイコウラにいたと同じカモメ、アカハシギンカモメでしょう。お店の屋根に止まっていました。14:07ころ。

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▲ニュージーランドにも日本ほどではないようですがスズメはいました。お客さんが帰った後のテーブルに残された食べ物をちゃっかり食べているスズメです。14:17ころ。
このスズメはオスのようですね。日本のスズメはオスメス差がありませんが、ニュージーランドのはオスの方が顔付近が黒っぽいのです。もともとはヨーロッパにいた種類だそうで、人間とともに移入されたそうです。

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▲このお店の中はこんな感じ。素朴な作りでいい感じ。14:26ころ。

このお店を出て、ブレナムへ向かいました。そして、ブレナム郊外のマカナ・チョコレート・ファクトリーへ。写真を撮ればよかったのですが、チョコレートにほとんど関心のない僕ですから、撮り忘れてしまいました。
お土産用に Macadamia Toffee と個人的好みで 72%Dark Chocolate Snaps を購入しました。ダークチョコレートは日本に帰ってからチビチビと半年くらいかけてニュージーランドを思い出しながら食べました。混ざりものの少ないピュアなチョコレートですから、心地の良い苦みがあって僕の好みの味です。ブラックコーヒーとともに味わうとオツですね。

続いて、ワイナリーへ行きました。ブレナムやネルソンあたりのマールボロ地域はワイン造りで有名な地域なのです。2軒くらいは寄ったでしょうか? 利き酒でいろいろ飲ませていただきました。説明を受けながら「なるほど、なるほど」と思いながら美味しく飲みました。説明内容はさっぱり忘れましたけれど。
ニュージーランドワインの特徴を語れるほどの知識はまったく持ちあわせていないのですが、素人なりの感想を語らせてもらえれば、白ワインが美味しいということ。
ワインと言えば赤しか飲まない僕でしたが、ニュージーランドで飲む白ワインはどれもとても飲みやすい美味しい白でした。生産量も圧倒的に白が多いそうです。
また、外見的特徴ですぐに分かる点はスクリュー栓が使われていること。コルク栓は見かけませんね。

そして、いよいよネルソンに入りました。とくにどこかへ寄った記憶はありません。ただ、FreshChoiceという名のスーパーマーケットに寄っていますね。そこでの買い物は、
・有機玉子6個入り ・サラダ野菜 ・ベーグルパン ・GREENHOUGH CHARDONNAY(白ワイン) ・ベーコン ・ヨーグルト ・トマト ・VOGELS SOY & LINSEED TOAST でした。
最後のはどんな品物だったのか不明です。パンなのでしょうね。全部で52ドル。

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▲ここは今晩と明晩お世話になるおうちの客間です。ゲスト専用の部屋があること自体、日本では稀な、豪邸という印象が付随しますが、ニュージーランドではどうなのでしょうね? 台所もあり(S子がいる場所です)、荷物専用の部屋、左のドアを出てすぐ右には広々した浴室もあります。19:58ころ。

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▲窓の外には板敷のテラスがあります。このお宅は丘の上に建っていますし、まわりは羊が放牧されている牧場ですから、景色は抜群! 19:59ころ。
ちなみにすでに夜(?)の8時なのです。明るい! 
このお宅で改めて気付かされたことがあります。ニュージーランドの家の窓ガラスですが、複層ガラスになっている窓が多いように思います。このお宅もそうでした。日本でも複層ガラスが当たり前の時代に早くならないでしょうかね。

今日の午後からはもはや完全にプライベートな旅に移行しています。と言っても、すべてが華世ちゃんにお任せの気楽な大名旅行のようなもの。華世ちゃんにお任せということは彼女のボスの藤井さんにもお世話になりっぱなし。感謝以外の言葉はありません。
今までこのブログでは何も書いては来ませんでしたけれど、実は華世ちゃんはS子の姪にあたるのです。僕にも甥っ子がいて、その子供たちがいたりしますが、子供のいない僕にとっては半分自分の子供や孫のような感覚もありますから、S子にとっても恐らくは同様なのでしょうね。

明日からは基本はのんびりと過ごすのですが、どのような体験が出来るのかとても楽しみですね。


NZ旅№10―――山を去り、都会に戻りました

2014年06月19日 | ニュージーランド旅2013

2013/11/18  旅をしていても、毎日が印象深い日であるわけではありません。この日はいったい何をしていたんだろう? どんな気持ちの日だったんだろう? どんな会話があったんだろう? そのような印象に欠ける日がどうしても出て来ます。
11月18日はまさしくそんな日。今回のNZ旅のメインイベントを成し遂げて、高揚感を経て心理状態は抜殻みたいなもの。肉体的にも疲労感が漫然と心身を支配しているのです。脚の筋肉も強張っていて、歩くと少し痛いですし。

テカポ湖を何時くらいに出発したのでしょうか? 朝食は? 昼食は? 半年以上前のことだから覚えていないのではないようです。帰国直後でも覚えていなかったでしょう。

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▲途中、車を停めて、川岸を散策しました。カンタベリー平原を流れる川です。13:45ころ。

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▲この日は写真もほとんど撮っていません。もうここはクライストチャーチの今宵の宿です。ハートランド・ホテル・コッツウォルドのランドリールームですね。終了までに結構時間がかかったので、抜け出してホテルの周辺を散歩していました。17:38ころ。

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▲ホテルの近くのわりと庶民的なイタリア料理店に入りました。19:04ころ。
ニュージーランドのレストランはアルコール持ち込みが可能な店が多いようです。ここもそうだったようで、記念に持ち帰ったレシートが手元にあるのですが、MAIN DIVIDE CHARDONNAY をスーパーで購入していますね。18$です。ワイン名がMAIN DIVIDE なので買ったのでしょう。もう1本くらいは持ちこんだと思います。
レシートを見ると写真の料理名も分かります。Pasta Ripiena、Quattro Stagioni、Risotto Ligure、Spaghetti Roberto と読みとれます。
どのイタリア語がどの料理かは容易に分かると思います。ただ、Quattro Stagioni だけは消去法でしか分かりませんよね。Quattro Stagioni とは「四季」のことだそうです。転じて、Pizza Quattro Stagioni はピザの円形の生地を4等分し、それぞれに異なる具材をのせて焼いたものなのだそうです。写真を見ると、異なる具材を4分割してのせているようには見えませんが、4種類の具材がのっているのでしょうね。

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▲せっかくですから、藤井さんと華世ちゃんにもご登場していただきます。感謝をこめて。

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▲ハートランド・ホテル・コッツウォルドの僕たちの部屋です。ここはリビングルーム、左の入口を入るとベッドルーム、写真の左にはトイレと浴室があるのです。広~い! 21:08ころ。

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▲ベッドルームの様子。21:10ころ。

旅の中でこういう日は大切です。「無用の用」とはちょっと違いますけれど、無為と有為(うい)が分かち難いのです。
いいな~ぁ。こんなスケジュールに急かされない日があるのは。時間がたっぷりとあるのが、旅ではいちばんの贅沢ですよね。


NZ旅№9―――Ball Pass Crossing 実現の日です!

2014年04月07日 | ニュージーランド旅2013

2013/11/17  今日は登山最終日。Ball Pass Crossing 実現の日です! 
スタートは6時予定でしたが、10分遅れくらいでしたでしょうか。まあ、予定通りでしょう。

S子と華世ちゃんも起き出して、見送ってくれます。一緒に行けないのは残念ですが、ロングコースですし、安全第一。それに華世ちゃんなら次のチャンスはすぐあることでしょう!

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▲この日は小屋からアイゼンを装着して歩き始めました。アルパインレクリエーションで借りたアイゼンですが、違和感なく早朝の硬い雪面によく効きます。
今日は長丁場ですからスピードが大切。「速い=安全」なのです。先頭を行くマーティンも、昨日とは打って変わって僕たちを待ってはくれません。この程度のスピードなら付いて来れるかな? じゃあこんなスピードならどうだ! ってな感じで、藤井さんと僕をガンガン引っ張り続けるのです。
カメラをポケットから出して撮影する一瞬の時間的余裕すらありません。本当はその程度なら許されるのかもしれないのですが、こちらも緊張感を持って行動していますから、そんな悠長な要求は出来ないのです。
やっとマーティンが立ち止まりました。藤井さんも僕も初めて立ち止まり、このマーティンの写真、1枚だけを撮ることができました。向こうに見えているのが、ボールパス。6:52ころ。
そして、すぐにGO!

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▲小屋を出発して2枚目の写真がこれ。もう、ボールパス到着です。7:31ころ。
小屋からここまで1時間20分くらいで着いたことになります。前日は休憩を何度も入れつつのんびりとだったとはいえ、3時間20分ほどかかっていますから、倍以上のスピードで歩いたことになります。7:31ころ。
左のピークから、マウントクックのローピークとミドルピークですね。
昨日はここ Ball Pass からはマウントクック山頂が見えていませんでしたから、感動もひとしおです。

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▲Ball Pass から南西の方向を眺めます。昨日もフッカー氷河やその氷河湖は見えていましたが、山の尾根付近は雲で隠れていました。今日はよく見えています! 7:31ころ。
中央より少し右にある形の整ったピークは The Footstool 2765mではないでしょうか? まったく同じ方向の隣峰 Mt Sefton 3157mは隠れて見えないのだと思います。この山嶺は MAIN DIVIDE でもあります。ニュージーランドサザンアルプスの背骨ですね。
左に見える黒いピークは Mt Sealy 2637mなのでは? 右手前に平坦な氷河を抱えた山ですね。

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▲今度は前の写真の反対、北東方向です。7:32ころ。
もうこのふたつの山嶺はお馴染みですね。右の奥が LIEBIG RANGE で、左が MALTE BRUN RANGE です。
では、MALTE BRUN RANGE の山をもう一度紹介しておきましょう。多分、正しく同定出来ていると思いますよ。
右から、奥の LIEBIG RANGE と高さが重なっている山が Novara Pk 2299mです。その左に Mt Johnson 2682m、間に小さな氷河をはさんで Mt Chudleigh 2952m、重なるように続く山は Aiguilles Rouges 2911m、そしてその左に堂々としたピラミッド状のいちばん高く見える山が Malte Brun 3155mでしょう。

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▲MALTE BRUN RANGE の左を眺めると、遠くには真っ白に雪化粧した Minarets 3055mが幾つものピークを抱えてギザギザに見えています。
その左には黒く双耳峰の Anzac Peaks 2530mが聳え、その左のコルの向こうにも山が見えていますね。キャロラインハットからはニュージーランド第2の高峰 Mt Tasman 3498mが見えていましたが、ここから見えているのは別の山です。7:32ころ。

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▲僕と藤井さんで記念撮影。マーティンもここではたっぷり時間をくれました。7:34ころ。

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▲僕とマーティン。7:35ころ。

どれくらいの時間、Ball Pass にいたのでしょうか? 記憶にはありません。
ここまでは昨日も経験済みでしたから不安はありませんでした。いよいよここからが今日の本番! フッカー氷河への下降です。

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▲ボールパスからだいぶん降りて来ました。中央のコルがボールパスだと思います。8:16ころ。
氷の滑り台みたいな凍り方をしていたら、ザイルを出して確保しながらの下降になったのでしょうが、アイゼンがちょうど良く効く締まり方でしたから、快適に下降しました。まあただ、このような雪面の下降に慣れていなければ、怖く感じるかもしれません。
日本で言えば、北アルプスの剱岳東面の長次郎谷上部の傾斜くらいでしょうか?

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▲雪渓の途中、礫が堆積した場所がありました。安定した場所なので、ちょっと小休止したのです。8:16ころ。

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▲右端の鋭角のピークは The Footstool 2765mだと思いますが、その左のピークはあまり良く分かりません。でも多分、すぐ左が Mt Thompson 2636m、その左隣りの台形の山は Maunga Ma 2541mなのではないでしょうか? さらにその左下方には、うねるようにミューラー氷河が流れています。8:17ころ。

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▲どこで滑落しても危険なのですが、傾斜がきつい部分や下方の雪渓が口を開けているような箇所では、先頭のマーティンが丁寧に足を置く場所を作ってくれます。ときおり、ピッケルでカッティングしてくれることもあります。万が一に備えて、下方で見守ってくれることも多々ありました。
この時は、足で強く踏み込んで足場を作ってくれています。僕たちは少しの間待つように指示されているのです。ですから、カメラを出す時間もありました。8:34ころ。

どの時点で決めたのか分かりませんが、雪渓がフッカー氷河とつながっていそうだからという理由で、このまま谷筋を下降することにしました。上の写真でも分かりますが、直近のパーティー(おそらくアルパインリクリエーションのパーティーでしょう)が雪渓通しでフッカー氷河まで下降した際の足跡が残っていました。雪は今日よりは腐っていたようで、足跡のサイズも大きくなっています。
普通は、途中からこの谷(ルンゼ)の左岸(下流に向いて左側)に移って、雪のないガレ場を複雑にルートファインディングしながら進むのだそうです。ネットで調べると、このルートファインディングがやたらと難しく、このボールパスクロッシングの核心部なのです。

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▲動物の死骸がありました。首がありません。8:58ころ。

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▲続けて2頭目です。カモシカの仲間のタールでしょうか? それとも、山羊でしょうか? 9:01ころ。
ニュージーランドの陸地にはコウモリ以外の哺乳類がいっさい生息していませんでした。西欧人がこの地を訪れるようになった数百年前から、持ち込まれたり紛れ込んだりした哺乳類が棲みつくようになったのです。ですから、この写真の動物も野生だとはいえ、外来種なんですね。

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▲緊張感はまだ持続させていますけれど、急な傾斜だったり、谷が狭まったいたり、雪渓が口を開けて水流が音を立てていたりする危険地帯はもうあるようには見えません。最後の心配はこの雪渓が切れる箇所がどのようになっているのかと言うこと。そんな気分で、この写真も撮っていたのでしょう。9:02ころ。
写真右のふたつのピークの名前はよく分かりません。

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▲フッカー谷に出ました! 基本的にここからは危険地帯はありません。長い歩きがあるだけです。3人ともひと安心です。9:23ころ。
谷の上流、北方を眺めます。右の白いピークはマウントクックのローピーク。ミドルピークとハイピークは隠れているようです。
左の白いピークは La Perouse 3079mでしょう。
フッカー氷河もかなり下に見えています。

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▲La Perouse の左を見てみましょう。La Perouse の手前のコルが Baker Saddle 2179mのようです。ですから、左に見える高峰は Mt Beatrice 2530mや Dilemma Pk 2619mではないでしょうか? 確信は持てませんが・・・・ 9:23ころ。

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▲ボールパスから下降して来た谷です。中央のへこんだコルがボールパス。
休憩を終え、少し進んだ場所からよく見えるようになりました。左端の手は誰の手なんでしょう。「あそこから降りて来たんだ!」と言ってるのでしょうね。10:03ころ。

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▲マーティンも自分の役目は終わったんだと言うばかりに、気楽そうにスタスタと猛烈なスピードで歩いています。僕なんかは付いて行くのに必死でした。でも、御覧のようなゴロゴロしたガレ場ですから、注意を怠ると足を捻ってしまいそうです。10:04ころ。

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▲山の斜面が大規模に崩れています。標高差にして100m以上、その崩壊地を高巻かなければなりません。崩れていなければ、写真右下のずっと下をすう~っと通れるはずなのです。こんな箇所が数ヶ所出て来て、これがけっこう疲れます。マーティンが凄いスピードで登るのです! 10:17ころ。

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▲フッカー湖です。これも氷河湖。10:30ころ。

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▲「フッカーハットが見えている!」と言われても、なかなか見つけられません。何度も教えてもらって、やっと見つけることができました。でも、こんなに周りが崩れていて、どこから行けるのでしょうか? 10:32ころ。

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▲望遠で撮ったのを、さらに拡大してみました。フッカーハットです。

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▲休憩です。歩くスピードは速いのですが、休憩はよくしました。気分はすでに超のんびりです。マーティンが水筒に水を汲んでいます。11:05ころ。

ニュージランドの山の水はたいていがそのまま飲める水です。僕もそのまま飲みましたけれど、日本の沢の水と同じですね。美味しい!

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▲ボールパス以来の藤井さん登場ですね。彼はもともとラガーマンですし、今ではラン、バイク、カヤックと肉体を使う遊びが大好きですから、登山にも実に安定感とタフネスが感じられます。今日も余裕でこなしているようでした。11:05ころ。

ところで、途中の休憩時に僕はマーティンにこんな質問をしました。(藤井さんに通訳してもらいながらですが) 
「どうして僕にボールパスクロッシングが出来ると判断したのですか? 皆にあわせてゆっくりとしか歩いていないのに・・・・」
彼の回答は実にシンプル。
「その判断をすることが私の仕事ですから」
その言葉の重みは僕にも理解出来ますが、それだけでは身も蓋もありませんよね。もう少し具体的に聞いて見ると、
「歩き方、岩場での身のこなし方、雪上の歩き方、・・・・ いろいろ観察して大丈夫だと判断しました」
もう少し具体的に説明してくれたように思いますが、詳しい表現は忘れました。ただ、参加している客のあらゆる面をよく観ているのだな、と深く感じいったことはよく記憶しています。

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▲フッカー氷河末端です。今この瞬間にでも崩壊しそうな巨大な氷塊がありました。望遠で撮っていますから、湖面の上の部分も数10mは高さがあるでしょう。水中部分の高さはその何倍もあるに違いありません。11:26ころ。

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▲後ろを振り返ってみました。11:26ころ。

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▲マウントクック山頂を望遠でのぞいてみました。白くいちばん高く見える峰がローピーク、その右に低く見えていますが、実はこちらの方が高いミドルピークです。11:26ころ。
ハイピークは見えていないと思うのですが・・・・

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▲再び崩壊地の出現で、高巻かなければならなくなりました。本当なら氷河よりの縁を歩けたはずなのです。11:42ころ。

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▲フッカー湖が間近に見え始めます。氷塊は明らかに浮いていますから、水中には見えている氷の10倍近くが隠れていることになりますね。12:21ころ。

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▲写真中央の稜線に山小屋が見える、と教えてくれます。でも、なかなか分かりません。12:24ころ。

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▲その小屋がこれ。僕の地図には Sefton Bivouacs(セフトン ビバークス、セフトン小屋)と記してあります。クリックして少し拡大すると、赤みを帯びた屋根が見えるかもしれません。12:25ころ。

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▲後ろを振り返りました。先ほどまでは見えていなかったボールパスがこの辺りからは位置が分かるようになりました。12:25ころ。
もちろん本当にこの矢印の位置にボールパスがあるかどうか、確信があるわけではありません。家のパソコンに取り込んだ写真や地図を何度も何度も見つめ、稜線や雪形の形をあの写真この写真と比較し、多分ここだろうと自分なりに推測した結論に過ぎません。
でも、あの辺りを越えたんですね。


▲予定よりも速いペースで歩けているので、「ちょっと寄り道しよう!」とマーティンが言います。フッカー湖畔沿いに歩こうと言うのです。13:26ころ。
通常ルートから外れ、フッカー湖へ下りはじめます。


▲湖畔です。氷河が融けた水は白く濁っています。13:30ころ。


▲湖面に浮かぶ氷塊には石や砂がたくさん乗っかっていました。13:31ころ。


▲フッカー湖の末端が近づいて来ました。その岸辺にはさっきまで多くのハイカーたちの姿が見えていました。今はそこから坂道を上って帰るようです。13:41ころ。
前方の小さな丘はモレーンでしょうね。モレーンによって堰き止められた湖が出来たわけです。
 

▲まだ何人かのハイカーがいます。13:45ころ。


▲写真はマウントクックリリー。たくさん咲いていました。13:51ころ。

フッカー湖の南端の岸辺からはマウント・クック・ビレッジまでのトレッキングルートになっています。吊り橋や木道も整備され、歩き易いルートです。
マーティンはもう僕たちを見守る責任はないと判断したようで、ときどき姿を現す程度。先を歩いたり、後方からなかなか姿を現わさなかったり、気楽なものです。
緊張感はフッカー谷に出て以降、弛んで来てはいましたが、トレッキングルートと合流すると、緊張感は雲散霧消してしまいました。
僕は藤井さんと高校の話題などをいろいろと語り合いながら、歩いていました。


▲マーティンと藤井さん。歩き易い木道です。14:10ころ。


▲写真の中央あたりにマウント・クック・ビレッジが見えて来ました。プカキ湖も見えています。14:36ころ。


▲僕たちの到着を歓迎してくれたのはパラダイスダックの一家でした。15:10ころ。
英名 Paradise Shelduck 、和名はクロアカツクシガモ。オーストラリアとニュージーランドに棲息しています。頭の白い方が雌で黒いのが雄。右にいるのが雛です。


▲いちばん近い駐車場に置いておいたアルパインレクリエーションの車。登山靴を運動靴に履き替え、足も心も軽くなりました。15:14ころ。

今日の行程は平均して10~12時間かかると言われていましたが、9時間で歩ききることが出来ました。天気も雪渓の状態も良かったですからこの時間で歩けたのだと思います。
それに、マーティンが速い! 藤井さんも余裕で付いていっている! 二人に負けそうな僕がいちばん頑張った結果がこの時間でしょう。
S子と二人で山を歩くとき5~6割の力で歩いているとしたら、若いO橋君などとは7~8割(まあ、これくらいが最適ペースだと思います)、それが今日は9割以上の力を出しています。もう少しでアップアップ! でも、肉体の限界領域にもう少しで近づくレベルでの登山は久し振りですから、体へのダメージは蓄積されていますけれど、精神的には高揚感あふれています。快感があります。


▲S子たちとの集合場所になっているニュージーランドアルパインクラブのロッジに向かいました。15:38ころ。


▲これがロッジ。15:39ころ。


▲ロッジの中で温かい飲み物をいただいたり、本を見たりしながら過ごしました。15:41ころ。

S子と華世ちゃんは当然僕たちより先に到着しているものと思っていました。第一日目、四駆を降りてからキャロラインハットに着くまで、休憩込みで7時間40分かかっています。ですから、下りは遅くても休憩込みで6時間あれば十分だと考えていました。9時のスタートですから、四駆とは15時に合流出来ます。
でも、本当はもっと早く下山して、フッカー・バレー・トラックを歩いている最中に彼女たちが迎えに来てくれるのではと期待していたほどだったのです。
ところが、来ません。
アルパインクラブの人(だと思いますが)で四駆で迎えに行っている方から、まだ下山しておらず合流出来ていない、との連絡が入ったようです。
冷静なマーティンがほんのちょっといらいらした表情を見せました。心配なはずです。とりあえず現時点ではどうしようもないことですから、マーティンはソファーに横になり寝てしまいました。
僕たちも心配です。このロッジの大きな窓、そこから見える荒れ地の道を四駆の車が戻って来るはずなのです。砂煙をあげて近づいて来る車、その姿が分かるようになるまで、見続けます。何台も何台もあの水色で四角い四駆ではない車ばかりが続きます。
こんな時、人は悲観的な想像ばかりしてしまいます。あらゆるケースを悲観してみます。
嫌な時間・・・・・・・・

ずいぶん長く、嫌な時間が続きました。


▲華世ちゃんとS子、ギィディアンが帰って来ました! 二人とも笑顔です。17:46ころ。

キャロラインハットを9:30過ぎに出発したことや、途中でザイルをセットして下ったこととかを、話してくれました。予想外に時間がかかったみたいです。
とにかく無事に下山出来て万歳ですね。

さっそく荷物をアルパインレクリエーションの車に積み込んで、帰路につきます。


▲プカキ湖のビュウーポイントに再び戻って来ました。来る時は霞がかかったようなマウントクックでしたが、今日はシャープに見えます。18:27ころ。


▲マウントクックを望遠で撮影。18:27ころ。


▲左の矢印から、ローピーク、ハイピーク、ミドルピーク、マウント・タズマン、キャロラインハットのある辺り。18:27ころ。


▲記念撮影。18:29ころ。
5月に母が亡くなって以来、伸ばしっ放しの髭がだいぶん長くなりました。


▲アルパインレクリエーションの事務所に到着しました。その庭隅にもマウントクックリリーが咲いていました。19:14ころ。


▲山の装備が整然と並べられている事務所の倉庫。19:14ころ。


▲登山靴もいろいろなサイズが揃っています。19:15ころ。


▲名残惜しそうに語り合うマーティンと華世ちゃん。19:22ころ。
年輩の優しそうな女性はこのガイド会社の社長さん。ご主人が創設した会社ですが、亡くなられたので引き継いで続けているのだそうです。


▲左からマーティン、ギィディアン、僕、S子、社長さん。19:23ころ。


▲アルパインレクリエーションの庭先に停めさせてもらっていたリアルニュージーランドの車に乗り換えて、テカポ湖畔の前と同じホテル、しかも同じ部屋、に戻って来ました。20:29ころ。

もう少し早い時間ならば、テカポ・スプリングスという屋外温水プールに行って、疲れを取る予定でしたが、部屋のバスタブで我慢です。まあ僕などは、この方が精神的にリラックスできていいのですがね。


▲僕もS子もお風呂できれいさっぱり洗い流し、これから下山後の打ち上げです。20:34ころ。

この打ち上げをどんなお店でしたのか、まったく記憶していません。ただただ、心地よい疲労感に浸っていたのだと思います。
藤井さんと華世ちゃんと、何を語り合ったのかも、まったく記憶のかなたです。
華世ちゃんにこの企画を知らせてもらわなければ、行くこともなかったわけです。強く誘ってくれて有難う、という気持ちしかありません。
藤井さんはもちろん、その大元、責任者ですから、彼から生まれたひとつの企画が華世ちゃんルートで僕の心を動かしたわけです。ブログでは何も書きませんでしたけれど、藤井さんと僕との有り得ないような接点も不思議な気持ちですね。


▲ホテルの部屋に戻って来ると、テカポ湖に月が映っていました。22:25ころ。


NZ旅№8―――重大発表がなされる2日目の夜でした

2014年03月28日 | ニュージーランド旅2013

2013/11/16  今日のボールパスまでの往復は実に楽しめました。天気は最高。何よりも風がほとんどありませんでした。ニュージーランド最高峰マウントクック、僕の永年の憧れの山マウントクックをすぐそばに眺めながらのんびりとした登山! 下方にはニュージーランド最長氷河・タズマン氷河が横たわり、その末端には氷河湖、さらに遠く下流にはミルキーなスカイブルー色のプカキ湖も見えるのです。

もちろん、もう少し朝の出発が早く(午前中の天候に若干の不安要素があったのです)、我々の歩くスピードがもう少し速ければ、ボールパス到着後にカイティアキ山にも登頂出来たかもしれませんし、さらに余裕があれば、少し谷底へ下ってボール氷河探索も可能だったのかもしれません。そんなことも体験してみたかったのは確かですが、それらがなくとも今日のボールパス往復は充実感に満たされるものでした。

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▲サーモンですね。19:38ころ。
相変わらず、食欲の方が先走りますから、途中で思い出して、慌ててシャッターを切るのです。ニュージーランド産の脂ののったサーモンだったと記憶しています。

ところで、3時間ほど前にこの小屋に到着していますから、3時間の間なにをしていたのでしょうか? よく覚えていません。おそらく、温かい飲み物を飲みながら語り合っていたのでしょう。

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▲ディナーの主食はこのチャーハン。窓からはマウントクック右側の山々が連なっているのですが・・・・ 19:38ころ。

今晩の夕食担当はギィディアンでした。写真以外にも美味な一品があったように思うのですが、思い出せません。昨晩、僕たちが寝袋に入ってからギィディアンが寝室に来て、消えたストーブの中に何か紙でくるんだようなものを入れるのを見ました。余熱を利用していたのでしょう。
ギィディアンという名前は中東に多い名前なのだそうです。とは言え、彼の知る限りでは先祖にその方面の人はおらず、彼自身はオランダ人とオーストラリア人の間に生まれたのだとか。学者のサポート役として南極にも行ったことがあり、プロの料理人という一面も持っているそうですから、じっくりと話せればいろいろと面白い人なんでしょうね。

もっと英語の勉強をせねば!!!
高校の時に英語で落ちこぼれて、赤座布団(落第点)すれすれの低空飛行を3年間続けましたから・・・・。 真面目に予習やテスト勉強すればよかったと、今になって後悔します。意地になって全然しませんでしたからね。変な生徒でした。

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▲食事風景。右手前からS子、華世ちゃん、藤井さん、マーティン。19:45ころ。
窓の外の山の様子が見えるように写しましたから、部屋の中は少し暗く写っています。

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▲左からマーティンとギィディアン。19:46ころ。
マーティンはヴェジタリアンで、チャーハンの中から肉を取り除いて食べるのです。

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▲食事中の華世ちゃんと藤井さん。窓の外は、左にはキャロラインフェース、右下にはボール尾根が見えていますね。19:46ころ。

重大発表がいつ行なわれたのか、記憶にありません。夕食前だったのか? 後だったのか?

3日目の明日、ボールパスを越えてフッカー氷河へ下るメンバーを発表するのです。Ball Pass Crossing ですから、誰しもがフッカー氷河まで行きたいと思っているのです。

発表は淡々と行われ、僕と藤井さんが行けることになりました。
S子に関しては今日のスピードでは10~12時間で行かなければならないところを18時間はかかるだろうと言われ、難しい、と。
華世ちゃんが何と言われたかよく覚えていません。1日目にバテたことが影響しているのかもしれません。そして、総合的なこのレベルの登山の経験不足。ただ、これは僕の個人的見解ですが、華世ちゃんがリアルニュージーランドスタッフであることも考慮して、下山組をS子一人にしない心遣いだったのではと思っています。

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▲夕食後、小屋の外へ出てみました。風はなく、まだ昼間の温もりも残っています。こんな心地よい山中での夕暮れ時が僕は大好きです。眼下にタズマン氷河が見渡せます。LIEBIG RANGE の山嶺に残照が当たっていました。20:38ころ。

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▲少し左へパーンすると、MALTE BRUN RANGE です。左に見える紅く輝く鋭鋒は Mt Chudleigh 2952mと Malte Brun 3155mではないかと思うのですが、自信はありませんね。20:38ころ。

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▲少しずつ左へパーン。手前にどっしりとボール尾根が入って来ます。MALTE BRUN RANGE の鋭鋒も見えていますね。中央にはタズマン氷河最奥の峰々が純白な姿で見えています。20:39ころ。

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▲上の写真の中央部を望遠で捉えてみました。白く夕陽に輝いている右奥のピークは Elie de Beaumont 3117m、山頂部がギザギザしている中央のピークは Minarets 3055mなのかな~と思うのですが・・・・ 20:39ころ。

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▲右の岩峰は Anzac Peaks 2530m、左はキャロラインフェースです。その隙間から覗いているのがニュージーランド第二の高峰マウント・タズマン3498m。純白の鋭鋒で美しい山ですね。20:39ころ。
ちなみに、写真右側のコル(峠orキレット)ですが Cinerama Col 2333mと名付けられているようですね。

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▲前の写真でもお気づきの方はおられたでしょうが、満月が出ているのです。それだけで幸せ気分ですね。20:40ころ。

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▲ちょっと寄り道しましたが、左へのパーンは続きます。アオラキ/マウント・クックです。久し振りに正式名称で記してみました。
右には Cinerama Col やマウント・タズマンも見えています。20:45ころ。

ちなみに、マウントクックにはピークが3つあるのです。高い方からハイピーク、ミドルピーク、ローピークです。あまり自信はないのですが、この写真で見えている中央のふたつのピークがミドルピークとローピークでしょう。それぞれ3722mと3593m。
ハイピークはミドルピークの少し右奥に、ミドルピークとローピークの距離と同じくらい離れてあるのです。ですからこの写真では隠れて見えていないはず。
そしてこのハイピークの標高がちょっとした問題なのです。僕が持っている古い地図では3764mになっているのですが、今は正式に3754mとなっています。それは1991年11月14日の山頂崩壊によって低くなってしまったためです。当時の僕のあやふやな記憶によれば、山頂のアイスキャップが大崩壊したのだと覚えています。その影響で、しばらくは山頂に近づけず、その手前のピークで登頂が認められた、と記憶しています。
そして、さらにさらに驚くべきニュースが今年になって飛び込んで来ました。
標高が30mも低くなって、3724mになっているというのです!
今年1月、オタゴ大学の研究者の測量でそれが判明。どうやら、1991年の大崩壊の影響がその後も継続的に影響を及ぼしていたようです。

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▲キャロラインハットは実に素敵なロケーションなんです。20:46ころ。

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▲小屋の北東側に付いているベランダのような場所でS子の記念撮影。20:48ころ。

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▲綺麗に片づけられた台所。右の窓には Minarets 3055mでしょうか? 21:07ころ。

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▲僕のベッドです。シュラフと敷布団は小屋のもの、青いインナーシュラフと緑の枕カバーはアルパインレクリエーションの事務所で借りたものだったと記憶しています。22:15ころ。

ボールパスクロッシングのメンバー発表の際に告げられたことと思いますが、明朝の出発は6時なのです。今日ボールパスまでは行って来ましたから、明日の心配はさほど感じていませんでした。
S子たちは9時に出発して昨日登って来たボール尾根を下降するのです。

2013/11/17  何時に起き出したのかは忘れました。朝食を食べ、出発の準備をします。もうベッドは使いませんから、そのあたりの片付けもしました。

小屋の外に出て、いつ出発してもいいようにマーティンを待ちました。

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▲マウントクックの山頂に朝陽が当たり始めました。5:57ころ。

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▲ほんの6分後には、こんなに広く陽に当たるようになっています。6:03ころ。

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▲ミドルピーク(右)とローピーク。6:03ころ。

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▲今日はS子とは別行動です。ここでお別れ。6:04ころ。