575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「純潔の額」

2020年12月05日 | Weblog



金子兜太<かねことうた> 1919年 埼玉の生まれ。
父親は医師で俳号は「伊昔紅」。水戸高校在学中
に学生俳句誌「成層圏」に参加し、竹下しづの女
や中田草田夫らと交流。1941年 東京大学に入学
後、加藤楸邨より本格的に俳句を学びます。日銀
に就職しますが、海軍の主計中尉としてトラック
島に出征。下記は戦地で詠んだ句。

「海に青雲 生き死に言わず 生きんとのみ」<兜太>

1947年 東大の同窓である沢木欣一「風」の創刊
に参加し社会性俳句運動へ傾倒していきます。新
興俳句の西東三鬼と俳句の造形論を提唱し自らの
俳句においても、創作方法を理論化していきます。

「梅咲いて 庭中に青鮫が 来ている」<兜太>

1960年 無季俳句で知られる林田紀音夫や前衛俳
句の旗手といわれる堀葦男らと「海程」を創刊し。
主宰者となります。1983年 現代俳句協会会長や
朝日歌壇の選者となり2005年には日本芸術院の
会長となります。2015年 中日新聞と東京新聞の
選者をタレントのいとうせいこうと務めるなど分
野にこだわらない活動を行います。

「れんぎょうに 巨鯨の影の 月日かな」<兜太>

金子は、作者と対象との間に俯瞰した意識を設け
る俳句を提唱しています。これは造形俳句六章へ
発展を遂げていきます。また、種田山頭火研究に
没頭。漂泊の俳人を高く評価しています。金子は
個性を重んじるため、細かな添削は行わず作者の
自由にまかせたといわれています。母校に招かれ
た時も、子どもたちの句に笑顔で頷くのみ。指導
はしていません。

「おおかみに 蛍が一つ 付いていた」<兜太>

金子兜太。享年100歳。最晩年まで社会性を失わ
ず「アベ政治を許さない」のプラカードは金子の
揮毫。

「縄跳びの 純潔の額を 組織すべし」<兜太>


写真と文<殿>

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