朝、排便を済ませて、今日から少しジョギングを開始しようかなと着替えていたら
猛烈に便意を催した。
何度も何度もトイレに駆け込んだ。
下痢止め薬を飲んでも効き目がない。正露丸を飲んで横になっていた。
午前中はじっと死んだふりして読書をしたり、うとうとしたりしていた。
今、読んでいる本は金子光晴78歳の時の『ねむれ巴里』を読んでいる。
この本は11月に熱海図書館で「リサイクル」本になったものだ。
11月に貰って来たこの本を今回のこの旅の時に読むために持って来たのだ。
で、旅に出る前に金子光晴の本を立て続けに読んだ。
今回、「避寒」にマレーシアの地を選んだのも金子光晴の本を読んでからである。
金子光晴と言えば草野心平と対で取り上げられることもあるようだが、
確かに、草野心平は「富士山」という詩を中学か高校のころに習ったことが
あるような記憶があるが、出来の悪い生徒だったワタシは金子光晴については
トント記憶にないのだ。名前だけが知っているというくらいだ。
前回、マレーシアを徘徊した時に帰国してから
金子光晴の『マレー蘭印紀行』を読んだが
その時、金子はマレーシアの日本人相手に金を工面するために
「春画」を描いて売り歩いたことだけが記憶に残っていた。
そのことを思い出して、金子の中国・上海紀行である『どくろ杯』や
金子はどんな絵を描いていたのか知りたくて
『金子光晴旅の形象ーアジア・ヨーロッパ放浪の画集』(今橋映子編著
平凡社、1997発行)を三島図書館まで行って借りて来て読んだりした。
金子は絵を習っていたこともあって絵心がある。
その絵はこれだが、決してうまくはないが味のある絵だ。
(『金子光晴旅の形象』より。)
アジアを経てパリに渡った金子はパリで
絵描きになるつもりでパリまで来たのではなく、先に送りだした妻の森三千代を
追ってパリに上陸したのだ。
金子は生活に困った時に絵でも描いて売ろうとするが
「こんな下手な絵の画家は見たことない」と酷評されるありさまだったようだ。
1920年代から30年代のパリは世界中の芸術家の「あくがれ」の都で
「画家」を目指す日本人は300人くらいはいたそうだ。
かれらの多くは赤貧に甘んじ、それができないものは
日本からの旅行者のガイド(ポンビキ)として生計を立てたり
ゆすりたかり、万引きなどありとあらゆることを金子自身もやったようだ。
この本をよんでいたら
そうとう前にこの本を借りた人のメモ用紙が挟んであった。
すっかり茶色に変色し、
はさんであった本のページも同じように変色していた。
判読できるのは
8/1~8/12
アメリカ(ロサンゼルス、サンフランシスコ)
アメリカの風土に親しみ文化、史跡、風俗。教育等を見聞することによって
今後の教育指導の助長をはかる。
と目的などが女性の筆跡で書かれたメモだ。
きっと学校の先生だったのだろうな~~~~。
時の流れを感じさせる忘れ物だ。
ワタシは今回、旅に出る前に金子の詩を何篇か読んだが
「洗面器」と言う詩が心にのこった
洗面器
洗面器のなかの
さびしい音よ
くれてゆく岬(タンジョン)の
雨の碇泊。
ゆれて
傾いて
疲れたころに
いつまもでもはなれぬひびきよ。
人の生のつづくかぎり
耳よ
おぬしは聴くべし
洗面器のなかの
音のさびしさよ。
(『南方詩集』より)
この詩は中国人娼婦が事が終わった後に
洗面器に放尿する模様を詩にしたものだ。
猛烈に便意を催した。
何度も何度もトイレに駆け込んだ。
下痢止め薬を飲んでも効き目がない。正露丸を飲んで横になっていた。
午前中はじっと死んだふりして読書をしたり、うとうとしたりしていた。
今、読んでいる本は金子光晴78歳の時の『ねむれ巴里』を読んでいる。
この本は11月に熱海図書館で「リサイクル」本になったものだ。
11月に貰って来たこの本を今回のこの旅の時に読むために持って来たのだ。
で、旅に出る前に金子光晴の本を立て続けに読んだ。
今回、「避寒」にマレーシアの地を選んだのも金子光晴の本を読んでからである。
金子光晴と言えば草野心平と対で取り上げられることもあるようだが、
確かに、草野心平は「富士山」という詩を中学か高校のころに習ったことが
あるような記憶があるが、出来の悪い生徒だったワタシは金子光晴については
トント記憶にないのだ。名前だけが知っているというくらいだ。
前回、マレーシアを徘徊した時に帰国してから
金子光晴の『マレー蘭印紀行』を読んだが
その時、金子はマレーシアの日本人相手に金を工面するために
「春画」を描いて売り歩いたことだけが記憶に残っていた。
そのことを思い出して、金子の中国・上海紀行である『どくろ杯』や
金子はどんな絵を描いていたのか知りたくて
『金子光晴旅の形象ーアジア・ヨーロッパ放浪の画集』(今橋映子編著
平凡社、1997発行)を三島図書館まで行って借りて来て読んだりした。
金子は絵を習っていたこともあって絵心がある。
その絵はこれだが、決してうまくはないが味のある絵だ。
(『金子光晴旅の形象』より。)
アジアを経てパリに渡った金子はパリで
絵描きになるつもりでパリまで来たのではなく、先に送りだした妻の森三千代を
追ってパリに上陸したのだ。
金子は生活に困った時に絵でも描いて売ろうとするが
「こんな下手な絵の画家は見たことない」と酷評されるありさまだったようだ。
1920年代から30年代のパリは世界中の芸術家の「あくがれ」の都で
「画家」を目指す日本人は300人くらいはいたそうだ。
かれらの多くは赤貧に甘んじ、それができないものは
日本からの旅行者のガイド(ポンビキ)として生計を立てたり
ゆすりたかり、万引きなどありとあらゆることを金子自身もやったようだ。
この本をよんでいたら
そうとう前にこの本を借りた人のメモ用紙が挟んであった。
すっかり茶色に変色し、
はさんであった本のページも同じように変色していた。
判読できるのは
8/1~8/12
アメリカ(ロサンゼルス、サンフランシスコ)
アメリカの風土に親しみ文化、史跡、風俗。教育等を見聞することによって
今後の教育指導の助長をはかる。
と目的などが女性の筆跡で書かれたメモだ。
きっと学校の先生だったのだろうな~~~~。
時の流れを感じさせる忘れ物だ。
ワタシは今回、旅に出る前に金子の詩を何篇か読んだが
「洗面器」と言う詩が心にのこった
洗面器
洗面器のなかの
さびしい音よ
くれてゆく岬(タンジョン)の
雨の碇泊。
ゆれて
傾いて
疲れたころに
いつまもでもはなれぬひびきよ。
人の生のつづくかぎり
耳よ
おぬしは聴くべし
洗面器のなかの
音のさびしさよ。
(『南方詩集』より)
この詩は中国人娼婦が事が終わった後に
洗面器に放尿する模様を詩にしたものだ。