徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人のひとりごと 熱海日乗(令和6年5月5日、日曜日、晴れ)

2024年05月06日 | 日記

  今日も朝阳がきれいだ。朝の気温がもう少し高くなったら、釣りに行って食料を調達しに行くのだが、ワタシにはまだまだ寒い朝だ。午前中は陽だまりで読書をしながら体に熱を入れる。今夜の酒のつまみにするためベランダの下のフキを3本採った。今日のプロ野球ニュースで楽天とロッテの戦いで楽天の投手の名前が内(うち)でロッテの打者の名前はソトと、面白い名前対決でソトがウチの球をホームランしたという。笑っちゃうね。ドジャースにも「アウトマン」という選手がいるね。

 昨日、三島図書館に返却した本のなかに『インド人ジャーナリストが体感した禅とトイレと温泉と 日本でわたしも考えた』という本があった。書いた人はインド人の女性ジャーナリストでパーラヴィ・アイヤールという方でスペイン人のご主人の関係で中国、インドネシアに滞在経験があり、日本での滞在中に感じたことを書いたものだ。原題はOrienting; An Indian in Japanなのだが邦題は『日本でわたしも考えた』だ。借りる時、題名の『日本でわたしも考えた』は堀田善衛の『インドで考えたこと』のもじりかと思った。この『インドで考えたこと』をもじって昭和軽薄体の椎名誠が『インドでわしも考えた』というインド旅行記を書いているが、日本語に翻訳し出版する段階で、この題名にしたようだ。確かにもじりではあるが「パロディー」ではない、確かな文化比較の本だった。この本を翻訳したのは笠井亮平氏というインド専門家なので確かな訳になっている。だが、残念なことにパソコンで翻訳作業をしたのであろう、変換ミスが2箇所ほど見つけてしまった。(ワタシなどこのブログで変換ミスや入力ミスはしょっちゅうだが、他人の場合は気になる)書籍にする場合、校正は何度もすると思うのだが・・・。

17ページの「バイクの廃車サービスから」は「バイクの配車サービス」の変換ミスなのは可愛げがある。知らない人は、インドにはバイクの廃車サービスがあるのかと思うかも。

 ただ、ちょっとこれは致命的じゃないかあな〜と思うのは、185ページのタゴールの「迷い鳥」という詩の

 夏の迷い鳥が、わたしの窓にきて、うたをうたい、飛び立つ。

 そして、秋の黄ばんだ木の葉が、うたうでもなく、吐息まじりい舞い散る。

 が、「秋の黄ばんだ」が「秋の基盤だ」と変換されたままになって校正をすり抜けている。これは翻訳ではなく、タゴール詩集の『迷い鳥』の翻訳者川名澄氏の訳詩をそのまま引用しているので、これを変換ミスはちょっとな〜?と思うのだ。

 というわけで、昨日、新たに借りてきた本にはタゴールの上記の『迷い鳥』や『最後の詩』、笠井亮平氏の『インドの食卓』、『考古学者が発掘調査していたら、怖い目にあった話』を借りてきた。ワタシを知っている人はワタシが詩なんて合わないと誰しも言う。顔から雰囲気から、行動から、絶対、詩的人間ではないと笑うことだろう。それでもいいのだ。(笑)『考古学者・・・』は一日で読んだ。面白い本だ。

  夕方、散歩に出た、いつものコースだ。途中、大木が伐採されていたところがあった。倒木の危険があるので伐採したんだろうね。夜はフキを煮て酒のつまみにした。水菜が冷蔵庫に残っていた。鍋以外のレシピを知らない。調べて、それをヒントに香港の家庭料理トマトとタマゴを炒めるように、水菜とタマゴをオイスターソースで炒めて、これも酒のつまみだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする