先日NHKで放映された「クローズアップ現代」。都立深川高校の卒業式を中心に、君が代問題をめぐっての現場の校長、教職員の思いや行動を追った番組。
昨年3月、東京都教育委員会は日の丸の壇上正面掲揚、君が代の斉唱指導を強化し、職務命令に従わなかった教師に処分を行った。今年は、生徒への指導を適切に行う内容も職務命令として行った。それに対して教育に携わる立場と公務員(上司の命令に従わざるをえない)という立場の中で、さまざまな思いを語る教師。校長として教育委員会の通達に従わざるを得ない立場。
都立高校では、これまで、校長と教職員とが対立し、生徒を巻き込んでしまい、学校が機能しなくなったという例は、ほとんどない。かつて、60年代後半から70年代始めにかけて盛んにあった「学校紛争」の時期を除けば。
色々対立しそうな事柄が起こっても、自分たちの授業や指導では、皆で(校長も教職員も)出来る限りまとまっていこうとする傾向が強い職場であった。そこには、「自分たちは都立高校の教師だ」との自負心も多くあったのだろう。全国的にも、東京都の先生は私立や他県の先生から見ると、ある種の羨望の対象とされた時期もあったほどだ。
それが近年、大きく様変わり。さまざまな権利が剥奪され、(例えば、研修日、夏休みなどの長期研修・・・)悪く言えば、事務職と同じように、公務員として「サラリーマン」化させられてきた。1時間の授業を行うのに、何時間も授業研究・準備をする、そのための研修などが、あたかも高校教員の悪しき特権かのように世間からも言われるようになった。
教師不信が増長され、次々と教師の暴力行為やセクハラ行為が報道され、世間からの教師不信がいよいよ募っていく。勿論、教員自身が、ある種の特権に居座っていたようなこともあったかも知れない。いずれにせよ、こうした中で管理体制が強化されていった。一部の人間の不正・背信行為が職場体制にかかわるものとしてやり玉にあげられ、教育委員会からの校長への指示・圧力は強まっていった。それでも、何とか学校現場では校長も、平教員も、中間管理職も、何とか折り合いを付けて一緒になってやっていこうとする、こうした考えや行動はまだまだ根強く残った。
そうした一連の流れの中で登場したのが、今回の日の丸・君が代の強制とみていいだろう。結果的に、これによって校長と教職員の分断は、修復しがたいほど激しくなり、学校組織の中で互いの不信感が増えていった。それでもなおどうにか出来ないものか。生徒の前での対立。卒業式・入学式という、教師にとっても生徒にとってもそれぞれ晴れがましい学校行事の場での混乱は何とかして避けたい。
NHKの特集は、このあたりの現場の実態がよく出ていた番組であった。
しかし、そうした現場での苦悩をよそに、横山教育長はただ「学習指導要領に従って欲しい。職務命令に従って欲しい。」としか発言しなかった、むしろ発言できなかった。大綱的基準にしか過ぎない「学習指導要領」に依拠してしか言えない、東京都の教育の総責任者。
小生の本音を言えば、全体としては、バランスよくというより、都教委の寄り放送内容ではなかったかと思ったくらいだ。
しかし、この程度の放送に、さっそく自民党がかみつき、抗議声明を出した。偏っている、と。あきれてモノが言えないとはこのこと。小生は、横山発言がねじ曲げられて放送されたのか?と一瞬思ったほどだ。そうでもなさそうだ。それくらいのお粗末な発言だったのだ。むしろ怒るなら、横山さんの無内容で強権的な発言を、議会できちんと問いただすべきではないか。
お門違いもいいところではないか。
そして、都教委も不満のコメントを出した。TV撮影に協力したのにこれは何だ、ことさらに対立を煽っている、と。俺たちの思うとおり、言うとおりに番組を作れということ? これもまた、まったくいかにいわんや、だ。
蛇足ながら付け加えると、「日の丸強制・君が代強制」は「学習指導要領」にしかその根拠はない。「国旗・国歌法」などの法律には強制の根拠がない。大綱的基準である「指導要領(文科省告示)」の中で、学校行事に関わって児童生徒を指導せよとして書いてあるから教員に強制させているだけなのだ。処分の理由は、そういう職務命令に従わなかったということのみ。
教員だけが集まる「辞令伝達式」とかでは、日の丸こそ壇上にあれ、「国歌斉唱」などという強制はしていない(できない)のである。公務員だから国歌斉唱は当たり前だというのはないのである。強制したら、それこそ憲法違反(思想信条の自由)なのだ。
昨年3月、東京都教育委員会は日の丸の壇上正面掲揚、君が代の斉唱指導を強化し、職務命令に従わなかった教師に処分を行った。今年は、生徒への指導を適切に行う内容も職務命令として行った。それに対して教育に携わる立場と公務員(上司の命令に従わざるをえない)という立場の中で、さまざまな思いを語る教師。校長として教育委員会の通達に従わざるを得ない立場。
都立高校では、これまで、校長と教職員とが対立し、生徒を巻き込んでしまい、学校が機能しなくなったという例は、ほとんどない。かつて、60年代後半から70年代始めにかけて盛んにあった「学校紛争」の時期を除けば。
色々対立しそうな事柄が起こっても、自分たちの授業や指導では、皆で(校長も教職員も)出来る限りまとまっていこうとする傾向が強い職場であった。そこには、「自分たちは都立高校の教師だ」との自負心も多くあったのだろう。全国的にも、東京都の先生は私立や他県の先生から見ると、ある種の羨望の対象とされた時期もあったほどだ。
それが近年、大きく様変わり。さまざまな権利が剥奪され、(例えば、研修日、夏休みなどの長期研修・・・)悪く言えば、事務職と同じように、公務員として「サラリーマン」化させられてきた。1時間の授業を行うのに、何時間も授業研究・準備をする、そのための研修などが、あたかも高校教員の悪しき特権かのように世間からも言われるようになった。
教師不信が増長され、次々と教師の暴力行為やセクハラ行為が報道され、世間からの教師不信がいよいよ募っていく。勿論、教員自身が、ある種の特権に居座っていたようなこともあったかも知れない。いずれにせよ、こうした中で管理体制が強化されていった。一部の人間の不正・背信行為が職場体制にかかわるものとしてやり玉にあげられ、教育委員会からの校長への指示・圧力は強まっていった。それでも、何とか学校現場では校長も、平教員も、中間管理職も、何とか折り合いを付けて一緒になってやっていこうとする、こうした考えや行動はまだまだ根強く残った。
そうした一連の流れの中で登場したのが、今回の日の丸・君が代の強制とみていいだろう。結果的に、これによって校長と教職員の分断は、修復しがたいほど激しくなり、学校組織の中で互いの不信感が増えていった。それでもなおどうにか出来ないものか。生徒の前での対立。卒業式・入学式という、教師にとっても生徒にとってもそれぞれ晴れがましい学校行事の場での混乱は何とかして避けたい。
NHKの特集は、このあたりの現場の実態がよく出ていた番組であった。
しかし、そうした現場での苦悩をよそに、横山教育長はただ「学習指導要領に従って欲しい。職務命令に従って欲しい。」としか発言しなかった、むしろ発言できなかった。大綱的基準にしか過ぎない「学習指導要領」に依拠してしか言えない、東京都の教育の総責任者。
小生の本音を言えば、全体としては、バランスよくというより、都教委の寄り放送内容ではなかったかと思ったくらいだ。
しかし、この程度の放送に、さっそく自民党がかみつき、抗議声明を出した。偏っている、と。あきれてモノが言えないとはこのこと。小生は、横山発言がねじ曲げられて放送されたのか?と一瞬思ったほどだ。そうでもなさそうだ。それくらいのお粗末な発言だったのだ。むしろ怒るなら、横山さんの無内容で強権的な発言を、議会できちんと問いただすべきではないか。
お門違いもいいところではないか。
そして、都教委も不満のコメントを出した。TV撮影に協力したのにこれは何だ、ことさらに対立を煽っている、と。俺たちの思うとおり、言うとおりに番組を作れということ? これもまた、まったくいかにいわんや、だ。
蛇足ながら付け加えると、「日の丸強制・君が代強制」は「学習指導要領」にしかその根拠はない。「国旗・国歌法」などの法律には強制の根拠がない。大綱的基準である「指導要領(文科省告示)」の中で、学校行事に関わって児童生徒を指導せよとして書いてあるから教員に強制させているだけなのだ。処分の理由は、そういう職務命令に従わなかったということのみ。
教員だけが集まる「辞令伝達式」とかでは、日の丸こそ壇上にあれ、「国歌斉唱」などという強制はしていない(できない)のである。公務員だから国歌斉唱は当たり前だというのはないのである。強制したら、それこそ憲法違反(思想信条の自由)なのだ。