おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR高崎駅~前橋駅。その6。萩原朔太郎記念館。書斎、離れ座敷、土蔵。犬、猫。・・・(「利根川を歩く。第6回目。)

2021-11-13 20:47:00 | 利根川を歩く

                  「萩原朔太郎記念館」。

萩原朔太郎(1886~1942)は、1886(明治19)年に前橋で生まれ、38歳までこの地で過ごしました。1917(大正6)年刊行の第一詩集『月の吼える』と、1923(大正12)年刊行の詩集『青猫』によって日本近代詩史に不滅の金字塔を打ち立てました。

詩人の生家は、1968(昭和43)年まで前橋市千代田町2丁目にありました。往時の姿は左図に示したとおりですが、現在はポケットパークを残すのみとなっています。

生家の一部だった「土蔵」「離れ座敷」「書斎」を敷島ばら園内に移築復元し、1980(昭和55)年より「萩原朔太郎記念館」として長く保存公開していましたが、敷島公園からこの地に移築し、2017(平成29)年4月より同じく「萩原朔太郎記念館」として公開しています。

広瀬川を挟んで向かいに位置する前橋文学館の展示とともに、詩人の息遣いを感じ取っていただけたら幸いです。

※生家は「萩原医院」として、広大な敷地内に診察室や病室などがありました。

書斎。

生家の裏庭にあった味噌蔵を改造したもので、1913(大正2)年10月に工事を始め、約2ヶ月を要して完成しました。内部はすべてセセッション式に統一され、二重カーテンレール荷は東京三越から取り寄せたカーテンが吊り下げていました。特注品の机と椅子には朔太郎が考案した草花模様の衣装が施されています。『月に吠える』『青猫』などの作品はこの部屋で主に書かれたものです。また、マンドリンの演奏などにも使われ、書斎兼音楽室として使われていました。室生犀星や北原白秋と親しく語り合ったのもこの部屋でした。

 

屋根に猫のオブジェ。

書斎の屋根の上に設置してある猫のオブジェは前橋市出身の陶作家、林麻衣子さんの制作によるものです。左側は「悩ましい夜」、右側は「糸のような三日月」と名づけられ、猫の胸部、尾部には萩原朔太郎の詩「猫」のフレーズが彫られています。

まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』

       「離れ座敷」。

母屋と接続する渡り廊下で結ばれ、萩原家の客間として用いられていました。朔太郎の父・密蔵が1892(明治25)年に建てたもので、8畳の部屋と床の間、円窓のある水屋から成っています。この部屋からは築山をあしらった立派な庭園が眺められたそうです。北原白秋、若山牧水、室生犀星などが、朔太郎を訪ねた際、この部屋で過ごしたと言われています。

      

離れ座敷の前にある犬のオブジェは、前橋出身の陶作家、林麻衣子さんによって制作(2020年)されました。萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』を犬の形として作品化したもので、表面には詩篇や序文から抜き出した言葉が刻まれています。北原白秋がこの詩集に寄せた序文から採り、「正しく君の悲しい心」と作品タイトルが付きました。

「土蔵」。

・・・1945(昭和20)年8月5日の前橋空襲の際、この土蔵が延焼を食い止めたといいます。ここに保存されていたノート、原稿など数多くの朔太郎資料が今日残ったのも、この土蔵によるところが大きいと言えます。

        内部。

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