おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR高崎駅~前橋駅。その2。坂東太郎(兄)岩。前橋育英高等学校。南部大橋。平成大橋。(「利根川を歩く。第6回目。)

2021-11-08 17:22:39 | 利根川を歩く

「末風村」解説板。

この公園の名は「末風公園」ですが、付近の小字名の末風(すえかぜ)に由来します。その昔は、佐藤姓や斎藤姓など20軒程度の小さな末風村という村があったと言われています。

約300㍍西方にある寺の名前は山号を附しては末風山福徳寺であり、1604年にこの末風の地から移転して再建されました。

明治16年に刊行された「郡村誌」には『永禄年間(1558~70)には末風村と称す。慶長年間に分かって上新田、下新田となす』の記述があります。慶長とは1596~1615までですが、埼玉県児玉郡から中林・倉林が移り住んできたのもこの年と伝わります。

福徳寺が、なぜ、その地を移したか?や末風村がなぜ無くなったのか?について大胆な推敲をすれば、慶長年間の度重なる浅間山噴火の溶岩流によって必然的に村が消滅したか、意図的に閉村せざるを得ないほどの激しい自然現象であったことが図り知れます。

 

前橋市に入ると、この先、適度な間隔でトイレなど休憩施設や小公園があります。

サイクリングだけでなく、ジョギングや散歩する人などへの配慮が行き届いている感じ。

道も広く、舗装され、市街へ買い物に出かける人、小さな子どもを歩かせている若夫婦、年寄りの散歩など多種多様になってきます。

前橋という町は、利根川の流れと共にある、という印象。荒れ狂う利根川の治水との厳しい戦いの歴史でもあるようですが。

左手には瀟洒な住宅が並ぶ。

対岸は、「前橋市六供(ろっく)清掃工場」の大きな建物。

「坂東太郎(兄)岩」解説板。

対岸にある赤味を帯びた岩を、「鬼石(おにいし)」とも呼んでいました。この岩と育英高校東側の石が坂東太郎岩です。上流のそれは弟岩で、こちらが兄岩です。

むかしひとりの男が伊勢参りの際、やむを得ず宿代を借金しました。「上州の坂東太郎という者で、後で必ず払います」と約束して宿を立ちましたが、いつになっても、お金が届きません。宿の主人が上州までやって来ましたが、坂東太郎という若者などいません。利根川の中の大きな鬼石までやって来ると、岩の上に宿代が置いてあったという伝説があります。

昭和22年~24年のカスリン・アイオン・キティ台風による洪水で大きく河原の姿は変貌しました。昔は、川幅も今よりも狭く、こちら側から望む鬼岩はもっと大きく見えました。悠々と流れる坂東太郎の水際で赤褐色に映える鬼岩の景観は、とても素晴らしいものでした。

対岸のようす。正面の岩?

利根川の急な流れ。

茂みから猫が顔をのぞかせています。

「前橋育英高等学校」。

全校生徒数はおよそ1500人を超え、県内屈指のマンモス校として知られる。県内では「育英」 、全国的には「マエイク」の愛称で親しまれている。

体育系の部活動が活発であり、特に男子サッカー部は全国屈指の強豪としてもその名を知られている。また、近年は硬式野球部も甲子園へ頻繁に出場するなど、高校野球の常連校となるなど飛躍を遂げている。その他、女子サッカー部や男子バスケ部、柔道部、陸上競技部なども全国屈指の強豪として知られている。

進学面にも力を入れており、毎年50名前後の国公大学合格者を輩出している。

なお、宮城県にある仙台育英学園高等学校兵庫県にある育英高等学校奈良県にある奈良育英高等学校などとは無関係である。

(この項、「Wikipedia」より)

「坂東大橋から20.0㎞」ポスト。

        

「南部大橋」。

かつて当地に「実正の渡し」と呼ばれる渡船場があり、そこに実正船橋と称された舟橋1870年(明治2年)に架設されていた。この舟橋は1878年(明治11年)、復旧された際に真政船橋と名を変えて架け直された。翌年、舟橋に替わり、就安橋と称される木橋が架設されていたが、秋に流失した

現在の南部大橋 が架けられたのは1977年(昭和52年)のことである1978年(昭和53年)開通した

(この項、「Wikipedia」より)

1880年代のようす。「就安橋」の名。

2010年代のようす。少し上流に「南部大橋」が。

 

上流に見える橋は、斜張橋形式の「平成大橋」。

※「斜張橋」=塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造で、広義には吊り橋の一種。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

           奥に見える高い建物は、「群馬県庁」。

対岸は、「南町公園」。

この橋の下を抜けて行こうとしましたが、係員がいて、ストップ。マラソン大会のコースになっているのでこの先は、通行不能とのこと。

「平成大橋」を渡って対岸に。期せずして市内見物。

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