私的図書館

本好き人の365日

一月の本棚 2 『兎の眼』

2007-01-29 14:49:00 | 本と日常
今回ご紹介する本は、昨年の十一月に亡くなられた灰谷健次郎さんの作品です。

小学校の教師として十七年間、子供たちと接し、その後、37歳で突然教師をやめ、沖縄やアジア各地を放浪した灰谷健次郎。

その後、作家として1974年に発表したのがこの作品。

*(キラキラ)*『兎の眼』*(キラキラ)*でした。

体の底から涙と感情があふれてきます*(びっくり2)*
こんな作品、もっと早く読んでおくべきだった!

舞台となるのは1973年。
アメリカ軍がベトナムから撤退したり、オイルショックがあったり、時代背景は今の日本とは少し違うけれど、この作品の持つ力は、そんな時代を飛び越えてこちらに伝わってきます!

登場するのはそんな時代に生きる子供たち。
そして先生。

でも、私たちとちっとも変わらない。

教育とは何か?
学校とは?
家庭とは?
子供たちに必要なものは何なのか?
この作品を読んで、心がズンときました。

ここに、大切なものがある!

大学を出て小学校の教師になった小谷先生は、まだ新婚ホヤホヤの新米美人先生。

そんな小谷先生の受け持つ一年生のクラスで、ある日事件が起こります。

事件を起こしたのは臼井鉄三という男の子。

この鉄三。
無口でたとえしゃべったとしても「う」という一言でおしまい。
小谷先生にも決して心を開こうとはしませんが、自分の中の正しいことのためになら、大人だろうと先生だろうとためらわずに飛びかかっていきます。

その行動にはちゃんとした理由があるのに、大人たちにはわからないから、まるで狂犬あつかい。

小谷先生も思いっきり突き飛ばされたり…

この学校のうらにはゴミの処理場があります。

そこで働く人々が暮らす長屋から通っている子供たちは、大人や一部の先生、町の子供たちからも差別を受けています。
鉄三もその一人。

鉄三が同級生に噛み付くシーンでは、噛み付かれた同級生の男の子の傷口から骨が見えて、小谷先生はその場で気を失ってしまいます。

ここは小谷先生じゃなくても、ちょっとショッキングなシーン。

…でも、教育って、生きるって、キレイごとばかりじゃすまされないですよね。

この本は、上辺だけの理想論がとうとうと書かれている教育本ではありません。

血も、涙も、汗も流す、教師と生徒じゃない、お互い人間として触れ合うことの大切さ、すさまじさ、傷つけあうことの愛(いと)しさが、作者の深い観察眼を通して描かれています。

足立という先生が言う、私がこの作品中で一番印象に残ったセリフがあります。

「きみ(春川きみ)は悪いことをしたと思ってあやまってるわけやあらへん。すきな先生がきて、なんやら、やめなさいというているらしい。地球の上でたったひとりかふたり残ったすきな人がやめとけというとる。しゃーないワ。きみの気持はそんなとこやろ」

地球の上でたったひとりかふたり残ったすきな人…
その人がやめろと言う。
だったらやめなしゃーないワ。

悲しい。
幼い子供がこんなことを思うこと自体が悲しいことだけれど、あなたは?
あなたはこの地球の上に、すきな人が、たったひとりでもいい、残っていますか?

最近の事件などを見ると、もしかして、彼らにはそのたったひとりでさえ、いないのでは…と思ってしまいます。

そのことほうが、もっとずっと悲しい。

子どもたちの残酷な行動にくやし涙を流し、夫ともケンカしてしまった小谷先生は、大好きな善財童子という彫像を見に、学生時代よく通った西大寺というお寺にやって来ます。

その祈りをこめた、もの思うかのように、静かな光をたたえたやさしい眼差しは、人間の眼というより兎の眼のよう。

小谷先生はつぶやきます。

「どうしてあんなに美しいのでしょう」

そして…

「わたしはなぜ美しくないの、きのうの子どもたちはなぜ美しくなかったの…」

鉄三の意思の強さ。
処理場の子供たちのやさしさ。
学校に逆らっても意見を曲げない足立先生。

体面ばかり気にする教頭。
自分の意思で物を言わない役人。
集団の中でその一部となってしまっている子供たち。

…人間は、自分の意思を持って、それを押さえつけようとする力に抵抗することを忘れてはならない。

「人間が美しくあるために抵抗を…」

あまり抜粋していると、全文写してしまいたくなってしまうので、このあたりでやめておきますが、本当に心に残る文章ばかりなんです。

まだまだ、鉄三のおじいさんの朝鮮人の友人の話とか、足立先生のお兄さんの話とか、紹介したいところはたくさんあるのですが、それもやめておきましょう。

どうぞ、ご自身の目で確かめて見て下さい。

最初は泣いてばかりいた小谷先生。
クラスの子供たち、処理場の子供たち、そして鉄三と接し、彼らを知るうちに、その心の輝きを見つけ出していきます。

そして、その輝きはまるで小谷先生自身をも輝かしているような…そんな風に読めました。

生徒の父兄(といっても母親ばっかり)に詰め寄られた小谷先生は言います。

(母親)「…学校の先生は子どものために仕事をなさるのではありませんの」

「わたしは自分のために仕事をします。ほかの先生のことは知りません」

頑張れ小谷先生!
泣くな小谷先生!!

あれだけ心を開こうとしなかった鉄三が、小谷先生に作文を書きます。

それも、どうぞご自身の目で確かめて見て下さい。
その場面だけは、小谷先生が涙ぐむ気持が、痛いほどわかります。

忘れたくない一冊になりました☆










灰谷 健次郎  著
角川文庫