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今、考えている その8

(庭のヒイラギの花)

“念”を携帯電話の電波のようなものだと例えた。超能力者が過去の“念”を感じるのは“念”が残留すると考えれば理解できる。しかし、未来予知をする能力はどう考えればよいのだろう。

町の霊能者に家の普請の時期について観てもらうと、今年は年周りが悪いから来年にしなさいと言ってくれる。来年のことが判っていて予知をしているのであろうか。四柱推命のような易学では生年月日などから年回りを認識して判断するが、霊能者は依頼人やその親族の“念”を感じ、その人の“気”の充実振りを判断して、普請を実施するに“さわり”がないかどうかをみる。その時期が悪ければ、“気”の充実に掛かる時間を考え、年回りに問題があるという理由で、来年にしなさいと託宣を述べる。年回りと婉曲に言っているが、その実は依頼人及び親族の“気”の充実があるかどうかを感じ取っているのであろう。そんな風に考えれば未来の予測が何とか理解できる。

インチキ霊能者も多く、霊能者もコンディションによって出来不出来も多いと考えるが、依頼人が列をなすような霊能者までも、迷信だとかインチキだと言ってしまうのは不遜だと思う。ただし、女房は霊能者に視てもらいに行くが、自分は行かない。自分に気の充実がなければ、託宣を待たなくても自ら普請を延期すると思うからである。

超能力者が未来予知出来るメカニズムの話である。我々は3次元の世界に住んでいるのではなくて、時間軸を加えた4次元の世界に住んでいるといわれる。しかし渦中にいる我々には3次元までは五感で理解できるが、時間軸を加えた4次元の世界は五感では実感できない。

たとえば、地球上にいる我々は地球が24時間で一回転していて、地球とともに実に秒速430m以上のスピードで回っている計算になり、音速よりも早く回っていることになる。しかし知識では理解できても、五感では実感出来ない。4次元の話はこれと同じだというと乱暴であろうか。
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