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道聴塗説 その六 1

(鉢のクリスマスローズ)

夜、帰ってきた息子が雹(ひょう)が降っているという。夜には所によって、雷を伴って荒れるとは聞いていたが、雹は予想していなかった。昼間写真に撮ったクリスマスローズはどうなっただろうかと心配する。雹では一たまりもないだろう。

追い打ちをかけるように、9時過ぎに停電した。すぐ回復して一度電気が点いたがすぐに消えた。息子がスマホで、中電から出る情報を確認している。スマホが唯一の情報源であった。原因不明のまま、回復には一時間以上かかった。便利な時代、便利さの大半を電気に頼っていることを思い知る。石油ストーブの暖房も停電すると消えてしまう。結局、暗い暖房のない部屋で毛布にくるまっていた。

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今日より「道聴塗説 その六」の解読を始める。

その六
一 問う。臨終に善知識を請して念仏を勧むる事、他流にはあれども、当流に用いずと申すは、如何が。
※ 善知識(ぜんちしき)- 正法を説いて人を導き入れ、仏道に精進させて解脱させる賢人のこと。真宗で法主(ほつす)のこと。

 答う。他流に限らず、当流にも用否は時宜によるべし。黒谷(法然)往生浄土用心の法語に、「日頃念仏申せども、臨終に善知識に逢わずば、往生し難し。また病(やまい)大事にて、心乱れ、往生し難しと申し候わんは、さも言われて候えども、善導の御意にては、極楽へ参らんと心ざして、多くも少なくも念仏申さん人の、命尽きん時は、阿弥陀仏(あみだほとけ)、聖衆とともに来たりて、迎え給うべし」と候えば、日頃だにも御念仏候わば、御臨終に善知識候わずとも、仏は迎えさせ給うべきにて候。(臨終知識なくとも、弥陀仏の他力ほど、善き知識はなし。これ故に、平生の念仏を勧め給う。仰ぎて信ずべし。)
※ 時宜(じぎ)- 時がちょうどよいこと。適当な時期・状況。
※ 往生浄土用心の法語 - ある人が往生するということに関して、はっきりしないことを尋ねたことに対する法然上人の解答としての法語。


また善知識の力にて往生すと申し候事は、観経の下三品(げさんぼん)の事にて候。下品下生の人などこそ、日頃念仏も申し候わず、往生の心も候わず、逆罪の人の臨終に、初めて善知識に遇いて、十念具足して往生するにてこそ候え。日頃より他力の願力を頼み、思惟の名号を唱えて、極楽へ参らんと思い候わん人は、善知識の力、候わずとも、仏は来迎し給うべきにて候。(この旨なれば、臨終の知識なくとも苦しからず。)
※ 十念(じゅうねん)- 浄土教においては、「南無阿弥陀仏」を十回称える作法のひとつ。
※ 具足(ぐそく)- 過不足なくそろっていること。
※ 思惟(しゅい)- 対象を心に浮かべてよく考えること。また、浄土の荘厳を明らかに見ること。


また云う。さればとて、徒(いたずら)に候わぬべからん。善知識にも向かわで終らんと思し召すべきにては候わず。
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