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遠州高天神記 巻の弐 2 高天神より出張の者、甲州勢と合戦の事(二)

(高天神城大手口方面-井戸曲輪より見下ろす)

2週続けての台風、19号の関連ニュースを一日見て過ごした。曲折あったが、結局当地の近くを通るようだ。ただ列島を縦断するうちに、勢力も随分弱まってあと2時間もすれば、通り過ぎる。多分大事にはならないであろう。

「遠州高天神記」の解読を続ける。

さて、三俣へ出張の者どもは、塩買坂より打ち続き来たるを見、ここにて強みは、返って味方の弱みなりと見切りて、弓鉄砲を多く打ち掛け、颯っと引かば、獅子ヶ鼻の手と一所に成る。敵も左まで急にも攻め蒐(あつま)らず、しつしつと跡を慕い蒐る。その間に右京、三度輪乗りをして後、殿(しんがり)し、下知して云えり。
※ 右京-高天神城、大手池の段の大将、小笠原右京氏義。
※ 輪乗り(わのり)- 馬術で、輪を描くように馬を乗り回すこと。


仮粧軍の蒐引と云うは、ここ成るぞ。今ここにて強みを出し戦わば、二万余の大軍に取巻かれ、城へ付け入らせられん事、猜(うたがい)なし。手早やに兵を(引)上げよと、頭分の者どもに下知をなし、兵を(引)上げる所に、大坂村の山の際、狭所に逸り雄の若者ども、折り敷きて、両方の山崎に、弓鉄砲段々に立て、中道に鑓衾を作りて、慕い来る敵を追い拂わんと慕いける。
※ 化粧軍(けわいいくさ)- うわべだけの戦。
※ 逸り雄(はやりお)- 血気にはやる者。
※ 折り敷(おりしく)- 銃撃などのために、片ひざをついた姿勢をとる。
※ 鑓衾(やりぶすま)- 大勢が槍をすきまなくそろえ並べること。また、その状態。
※ 慕う(したう)- 逃げる相手を追う。


右京大きに怒りて、蒐も引も敵による。この勢と取り合う内に、跡の大軍に囲まれ、城へ付け入らせられん事必定なりとて、にて、急き立て急き立て引き上げる。老巧頭分の者ども、この所は手早やに兵を上げるが手柄ぞと、声々に下知して、兵を上げたりけり。
※ 鐸(たく)- 大きな鈴。昔、命令を発する時に鳴らして大衆を諌めたもの。

あの内藤が三段の備えは、心深き事在り。両頭の蛇の如く、中の手へ掛れば、跡先にて返り打ち、頭へ掛れば尾にて打ち、尾へ掛れば頭にて撃つ。その如くに、中へ掛れば先手後へ廻り取り切らんとす。先手へ掛れば跡の手、城と出張りの間を切らんとす。惣掛りにせんとすれば、塩買坂の大軍続き来る。兵を上げるより上の手はなきぞと見切りて、兵を上げたる武者使い天晴れぞと、敵方にも後々までも評判有るなり。城中には手に汗を握り見居たり。甲州方にも、この武者使いを能き図と武功を感じ、とにかく城中に能き者多しと称すなり。

さて跡に付いて内藤、大手の惣門近所まで追い込み、弓鉄砲を厳しく打ち掛け、早々繰り引くに、引き取る城中の若者ども、喰い止め、一合戦遂げんと門を開かんとせし所に、与八郎本丸より使番を走らせて、塩買坂の坂軍下へ下り、国安まで続きたり。それよりこの間五十町なり。喰い止め合戦最中に、二万余の勢にて付け入り、惣攻めに致すものならば、この城危うかるべし。今度始めて逢う敵と云い、その肌も知り難し。先ず構えず様子を見合う、もっともなりと云ければ、喰い止めず、内藤を静々と引かせけり。信玄公、内藤を褒美在りて、高天神の者どもをも誉め給うと云々。
※ 繰り退く - 退却にあたって全軍が一度に退却すると、総崩れになるので、一部から順に整然と退却すること。
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