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中央道トンネル天井板落下事故と衆院選公示

(薩埵峠から見る富士山、11月28日)

昨日、中央道のトンネルで起きた天井板落下事故では、9人の死者を出した。今日は責任追及のため、中日本高速道路などが家宅捜索を受けている。直接的には、地震などの自然災害による事故ではない。ボルトのサビや金属疲労による脱落が、天井板崩落を引き起こしたといわれている。戦後の復興期から高度成長期に、急ピッチで建設されたあらゆるインフラが、現在、建設から30年から50年経ってきている。それらが一斉に耐用年数が切れる時期になって、点検、補修、スクラップ、建替えなどが必要な時期に来ている。

建設当時、何れも100年、200年持つとの計算はしていなかった。30年持てば、あとは造り替えればよいとして、突き進んだのではなかったか。ところがその時期になって、日本の国力に陰りが出て、点検、補修の予算さえ削るようになってしまった。事故はそんな状況下で起きるべくして起きた気がしてならない。

そうであれば、中日本高速道路の責任追及をしてみても、問題の解決にはならないように思う。様々なインフラの中で、今後、モグラたたきのように、今回のような事故が頻発するような予感がする。古いものを補修するのは、新しく建設するよりも、はるかに少ない予算で出来るはずであるが、目に見える成果とはならないから、役人も政治家も真面目に予算配分をしないのではないか。

戦後、日本人が構築してきたあらゆるシステムも、復興、高度成長をもたらしたにもかかわらず、今ではシステム疲労を起して、十分な機能を果たさなくなっている。政治、官僚、産業、年金、医療、教育などなど、枚挙に暇がない。

今日、衆議院議員選挙が公示され、選挙日12月16日までの12日間の選挙戦に入った。これまでの半月ほどの間に、たくさんの党派が旗揚げをし、離合集散劇を演じた。しかし、こんなに短期間に、耳ざわりの良いマニフェストを、何の裏づけも無く示されても、とても信用できるものではない。マニフェストが実現されない例を、民主党政権下で、いやというほど見てきたから、マニフェストという言葉も地に落ちた気がする。マニフェストに対するほどの失望感を、有権者は、それまでの「公約」に対して持ったことはなかった。なぜなら、かつての「公約」は度々張替えされることが、有権者には判っていたからである。

戦後の民主主義の名の下の、選挙制度や政治体制も今やシステム疲労を起こし、どうにもならなくなっている。今度の選挙でどんな風に政治が期待に答えてくれるであろうか。今のような政治状況が続くと、大戦前のドイツのように、英雄待望論が幅を利かすようにならないとも限らない。
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