平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
遍路の足跡の整理がようやく出来た
今回の53泊53日のお遍路の実績がようやく整理できた。53日で歩いた距離が1424キロ。一日平均26.9キロ。歩数の合計が226万歩。平均の歩幅は63.0センチ。これをどう評価すべきなのだろう。そんなものかで済ませるには少し惜しい。
ちなみに前回は、総歩行距離が1095キロ、総歩数が181万歩、平均歩幅が60.5センチだった。今回の実績の距離数には前回計算に入れなかった、迷ったり、遠回りしたり、余分なところに立寄ったりという距離も、記憶している分を入れた。その分、歩行距離は増え、歩幅も増えたことは想像できる。
自分の歩幅で計測して日本地図を作った伊能忠敬について、井上ひさしは「4千万歩の男」という小説を書いた。つまり伊能忠敬が歩幅の計測で4000万歩歩いたのだとすれば、その17.7分の1の歩数を歩いたことになる。
毎日の歩幅を計算してみると、最小は初日の43.2センチだが、これはどうやら電車に乗っているときから歩数の計測を始めてしまったための異常値である。50センチ台が8日あるが、焼山寺、鶴林寺と太龍寺、神峯寺、松尾峠、金山出石寺、岩屋寺、横峰寺と、いずれも山登りや峠越えである。一つだけ古岩屋荘から桃李庵までの13.4キロが50センチ台であるが、大きな山登りはないけれども、小さい登りがいくつもあり、距離が短かったために平均歩幅に影響したと考えている。つまり、山登りになると歩幅を狭くして登っていることが判る。
最大は70.7センチで70センチを越す日が2日ある。70センチを越した二日は、室戸岬に向かい、雨の平らな道をひたすら歩いた一日と、民宿日の出から四万十川を渡り安宿へ向けてひたすら歩いた一日、このコースもほぼ平坦だった。
歩幅の広い日は概してお寺が無くてひたすら歩いた日が多い。逆に狭い日はたくさんのお寺に立寄って、寺の中での移動が多い日である。寺の中の移動は距離に計測していないから、歩幅が狭く計算されるようだ。
それらを総合的に判断すると、平均歩幅は65センチぐらいが妥当と考えられる。とすれば、65センチの226万歩で1469キロとなり、寺の中での歩いた距離まで加えると、45キロほど増える計算になる。これを108の霊場で割れば、一つのお寺の中で平均416メートル歩いている計算になる。この数字が多いのか、少ないのか。その他にも80近い霊場にも詣でているから、妥当なところかもしれない。
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