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誰とも出会わず、美波海辺の道を行く

(海亀の上がる大浜海岸)

一日、誰とも親しく話すことなく、美波町の海辺を歩き、土曜日で宿も考えたところに断られ、前回に泊まった民宿に頼んだ。今では余りお遍路も泊まらない宿で、食事をしたらすごすごと部屋へ帰り、暖房をつけて、早々に一寝入りした。

平等寺辺りでは、ちらほら歩き遍路も見えていたけれども、そっけなく薬王寺を目指していく。平等寺に一番遅く来て、郵便局に寄ったり、弥谷観音に1.4キロほど余分に歩いて立ち寄ったり、すでに美波町の海辺に出る前の遍路休憩所で昼食を取ったりして、流れに乗っていなかったのだと思う。

雨が落ちそうで落ちないどんよりした雲の下をスタートした。勝手を知った遍路道で、大根峠も何ということなく越した。下りた里では田植えが始まっていた。苗を運んでいたおじさんに、声を掛けた。早い田植えですね、今植えると収穫は何時になりますか。8月には収穫だ。色々問題の多い米作りですけど頑張ってください。これではまるで政治家の視察だ。

平等寺で昨夜同宿だった、故郷が島田という男性に会った。朝、挨拶して先に出て行って、それまでと思っていたら、また会った。聞けば、道を間違えて大根峠を越さずに車道を来てしまったという。呼び名を付けていなかったので、「F1」さんと名付けよう。とにかくスピードが速くて、時々暴走して炎上する。これで会うことは無いだろうが、何かと噂は伝わって来そうである。

山中の国道55号線を行く遍路道と、海岸線を行く遍路道の分岐点で、地元の男性に声を掛けられた。昔は薬王寺へ詣でるには山の道を通った。自分の子供の頃もそうだった。何だか近頃は海辺の道を通る人が増えた。海辺の道は景色が良いから、人気があるみたいですよと自分。


(美波海岸の遍路小屋)

自分で歩いて感じたのだが、海辺の道は整備されて人気が出るようになったのだろうと感じた。お遍路休憩所が点々とあり、薬王寺までの距離を示した道標がたくさん立ち、トイレの標示がきっちりされているのには感心した。距離は少々遠いが、特に女性の場合は断然海辺の道を選ぶだろう。山の道にはトイレもほとんどない。

風が冷たかった朝と比べて、海辺に出る直前にすっかり晴れ上がって、風が心地よく感じるほどになった。その海辺にJR牟岐線が通っている。スケールが違うが山陰海岸に似ていると感じ、父のことを思い出した。父は戦後は会社勤めで、メーカーから農協へ品物を卸す会社で注文取り(今でいうセールスか)を長く勤めていた。当時車は無く、山陰線で出かけては、最寄の駅からそれぞれの農協まで、ひたすら歩いて出向いて商談をしてくる。それが日課だったようだ。毎日、毎日、30分、1時間と黙々と歩いていた父は何を考えていたのだろうか、今は何か判りかけてきたような気がする。その父が94歳で亡くなって、もう13回忌も終えた。

海は山陰海岸と同じようにきれいだった。日本海の荒波にもまれる山陰海岸よりも優しい美しさだった。おにぎり二つではエネルギー切れで、点々とある遍路小屋の一つ一つで休憩を取りながら、4時過ぎに民宿に入った。薬王寺を打つ時間はあったが、体力の限界で、明日朝一番に打つことにした。
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