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赤穂浪士の小野寺十内の手紙 - 古文書に親しむ

(庭のシュモクレン、日曜日撮影)

関与している茶問屋の株主総会に夕方出席した。今日は駿河古文書会の例会の日だったが、残念ながら欠席した。その代わりという訳でもないが、先週土曜日に「古文書に親しむ」の今年度の最終回に読んだ、赤穂浪士の小野寺十内の手紙を書き下して示す。

この手紙は赤穂浪士の討ち入り後、十内から家族に宛てて出された手紙である。手紙は相手との間で判っていることは書かれないので、読み解くのが大変に難しい。また手紙独特の省略した書き方もあり、かなの多いのも難しくしている。

六日七日の文、夕べ一度に届き申し候
母様何事のう御座なされ候は、うれしく存じ、随分心を付けて、朝夕をも上手き様にして進じ申さるべく候
そもじ、おいよ、無事一段の事にて候、この元の事、気遣いの由、もっともの事に候、さぞ/\と思いやり参らせ候

一 九左衛門、次右衛門、一両日中に上り申すべき積りにて候、それ次第、その様子によるとの事と見へ申し候、我等は存じの通り、当家の初めより小身ながら、今まで百年、御恩沢にて、おのおの等を養い、身暖かに暮らし申し候、今の内匠殿には格別の御情けには与からず候えども、代々ご主人包めて、百年の報恩、または身不肖にても一族日本国に多く候に、かようの時にうろつきては家のきず、一門の面汚しも、面目なく候ゆえ、節にいたらば、潔く死ぬべしと、確かに思い極め申し候、老母を忘れ、妻子を思わぬことはなけれども、武士の義理に命を捨てる道、是非に及び申さず候

がってんして、深く嘆き給うべからず、母御人様いく程の間も有りましく候まゝ、如何様ともして御臨終を見届け給わるべく候、年月の心入れにて、如才有るべしとは露ちり思わず、申すに及ばす候えども、頼み参らせ候

わずかの金銀家財、これを有るきりに養育してまいらせ、御命なお長く財尽きたらば、ともに飢死申さるべく候、これも是非に及ばず候、おいよ事、望みの方もありつれども、病いよく成りての事と、一日/\と延々にして、その事ならで今この様の時節になり候まゝ、今更進じ申すべきと、申すべきにもあらず、人の請取るべきにもなければ、そもじともにいう様にも長らえ、また世の中の有様どもも見申さるべく候

一 この先の住まいの事も、女の身として難儀の程、とりどり思いやり、いたわしく候、志し有る御方々など身を任せ申さるべく候

一 金拾両遣し申し候、御納め申すべく候、長兵衛娘、迎えに参り候に頼みて、遣し候命つなぎの為にて候、又々遣し申すべく候、この方に壱銭も入り申さず候、申すに及ばず候えども、わずかの金銀とても誰殿にも預かり申すまじく候、手を離すにおいてはこれきりの露命繋ぎめさるべく候、必々にて候外に書付の通り遣し申し候、おいよへも同じ事に頼み申し候と申し候、かしく
   四月十日                    十内
           おたんどの
返す々々いろ/\届き申し候、半三郎、ろくによく使われよと頼み入り候


お金が尽きたら餓死しろなどと書いているが、どうしてもという事ではなく、長らえて後の世の中のことを見るのも良いとも言っている。

実際には、十内が切腹した後、母親を見送り、身体が弱かった養女のおいよも亡くなり、妻女のおたんは自死したという。
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