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中国のお年寄の今

(水で字を書く老人-西湖のほとり)

中国杭州西湖のほとり、土曜日の朝、碁盤の目に仕切られたコンクリート面に、大筆にバケツの水を含ませて、文字を書いている老人がいた。碁盤の目、一コマ一コマに一文字ずつ書く。漢詩であろうか、右から左へ適時に行を移しながら、ひたすら書いている。それをすぐそばに寄って見物している人もいる。水で書いただけだから右の方から文字が乾き始めている。端まで書き終わったら、その頃にはすっかり乾いている初めに戻って書き続けるのであろう。賽の河原の石積みのようで空しい作業に思えるが、手慣れて字はどんどん上手になるのであろう。こんな姿は何年か前、上海の魯迅記念館のある魯迅公園でも見た。暇なお年寄りの時間つぶしの一つである。

独資会社の董事会に行く貸切バスの中で日本語ガイドの男性が中国のお年寄り事情を話してくれた。

中国ではお金を持っているのは若い人たちで、会社勤めなどでどんどんお金を稼いでいる。一方、お年寄りは60歳になったら、若い人たちの仕事を奪ってしまうので、たとえボランティアでも一切働いてはいけないことになっている。だから街で見かけるのは若者ばかり、お年寄りの姿を見ることはほとんどない。

もともとお年寄り達の若い時代は共産中国で、生活し子育てするのがぎりぎりで、将来のために蓄える余裕など全くなかった。お金を持っていた人たちも紅衛兵の時代に根こそぎにされている。現在は年金暮らしであるが、年金は生きていくのがやっとほどの額でしかない。街にお年寄りの姿は見ないけれど、お年寄りはどこへいるのかと若い人たちに聞けば家にいますと答えが返って来る。どこにも出るお金がなくて家にいてひたすら時間をつぶしているのである。

公園に行くとたくさんのお年寄りが時間を無為に過ごしているのを見る。太極拳や野外で麻雀やトランプなどに興じたり、冒頭の水文字を書く老人は高尚な方である。日本に多いウォーキングをする元気なお年寄りなど探してもいない。カルチャースクール、ドライブ、旅行、買い物など、日本のお年寄りがあちこちに出没しているのとは大きな違いである。

若者たちは現在をエンジョイするに忙しく、孔子の国でお年寄りを大事にする気風が感じられないのが不思議である。
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