代表選挙について、悩ましい心の内を書き留めておこうと思う。
誰が首相であれ、これ程にまで首相が短期間にコロコロ代わってはならない。しかし、現政権ではあまりにも排除の理論が横行し、党内が一致結束できないことも事実。これほど悩ましい事態に晒されるとは情けない。また、私に、民主党に期待を寄せて下さった方々へ、この段階で、私がどう成すべきかを曇りなく示すことが出来ないことを、心からお詫び申し上げたい。
小沢候補が勝てば、゛政治とカネ゛で苦労した9ヶ月間の再来で、国会運営期ねじれに加え更に苦しいものとなり、国民世論も納得しない。゛大丈夫だ、乗り切れる゛という声が聞こえるが、私はそんなに甘いものではないと思っている。それは永田町の空気を吸いすぎると陥る感覚なのだろうか。地元の意見は非常に厳しい。蜂の巣をつついたように、野党もマスコミも、政治とカネの問題を一点に集中してくるだろう。混乱の末、法案は通らず、法案成立率戦後2番目に最悪といわれた先の通常国会どころの騒ぎではない。
菅候補が勝てば、経済は更に悪化する。マーケットの評価を聞くと「ペーパードライバーにエフワンを運転させるものだ」と゛現場゛の友人から指摘された。日本経済は奈落の底にと予想されるのだろうか?首相談話騒動の折、あれほど慎重にと訴えたにも拘らず、何の議論もなく押し切られた。民主主義が聞いて呆れる。人事について、またまた排除の理論で進めるというならば、政界再編への呼び水となる事態も否定できず、歴史的政権交代に影を落としかねない。
執行部の露骨な人事に疑問があることは党内の常識。かつ衆議院09マニフェストの修正に不満があり、参議院選挙で与党過半数割れにもなったにも拘らず執行部はそのまま続投。もはや、衆議院09マニフェストの゛完全実施゛は現実的には困難であり、幾つかの法案は修正も万已む無しと与野党協議に応ずる大人の対応が求められる。但し、マニフェストの撤回ではなく、「国民の生活が第一」という基本方針は変わらない。原理原則を尊重する挙党態勢の確立に向けて一致協力することが今の民主党に最も必要なことではないか。
極論、「国民の生活が第一」と考えるならば、誰が首相でも構わぬ。それぞれの立場で与えられた仕事をすればいいのである。なぜなら、目標は決まっているからだ。09マニフェストであるからだ。また、今回の選挙は2年に一度の定期選挙。党内闘争、政局を問うものではなくとも良い筈である。ただ、そこに立ちはだかるのが、永田町特有のポスト病、対する゛排除の理論゛なのだろうか?
よって、私は菅・小沢候補一騎打ちというのは避けていくべきと考えてきた。ある時期、実は心同じくする議員が多いことに一時の安心感を得た。が、事態はそんなに甘くないことを痛感している。
先日総理にお目にかかる機会を頂きブログに記した旨、訴えてきた。挙党態勢と政府与党渾然一体となった運営、賛否拮抗する議論には慎重を期する事。申し合わせたわけではないが、他にも同じ意見が総理にぶつけられた。しかし、挙党態勢に応ずる雰囲気は感じられなかった。あくまでもご自身の決意に終始されたことが妙に残念だった。
現状打開の為には2つの選択肢が考えられる。一つは、今からでも菅総理に、何が何でも挙党態勢を飲み込んでもらうこと。鳩山前総理は挙党態勢を取るならば支持をする、取れなければ支持できないというスタンスだったと思う。先の会談でこれは無理と判断し、小沢候補出馬となれば、こちらを支持するというのは筋が通る。多くの議員はこれを願っていたと思う。小沢前幹事長の周辺もこれを模索していた筈。そう、丁度これを記しているこの時間、鳩山・菅会談が行われている(午後8時半に終わったようだ)。菅・小沢それぞれの陣営が動き出している現段階で、難しいとはわかっていても、挙党態勢が取れる方向に向かって行くことを願って止まない。
この場合、代表選挙は無投票になるかもしれない。この点で国民有権者、党員サポーターから凄まじい非難を浴びることは覚悟しなければならないが、国会が空中分解し、混乱し、法案が通らず、国民生活が危うくなるくらいならば、イバラの道を進むしかないと思う。
もうひとつは、第三の候補を擁立することである。挙党体制が組めなければ、第三の候補者を擁立するしかない。今でも、一騎打ちは避けなければならないとジタバタしている。3ヶ月前の代表戦の主旨を貫く必要がある。兎も角、高い理念を掲げ、我が国をどうして牽引していくのかを国民に問いかける。菅・小沢対決だけでは、国民は、狭い狭い永田町の中で行っている権力闘争にしか感じない。経験のない次のリーダーが、第3の候補があえて総理を目指し、政策論争の代表戦に持ち込む。出来れば複数欲しいところ。選挙戦術は、永田町内の国会議員を対象とした多数派工作をせず、国民、とりわけ党員サポーターへ訴えるという形で全国行脚を実施する。ただ、推薦人20人。これが立ちはだかる。また、三つ巴(あるいは、四つ巴)の戦いを世論はどう受止めるか。゛青臭い理想゛は、所詮、゛茶番劇゛と揶揄されるのであろうか。
以上、私の戯言に過ぎぬと思う。政治とは生活であり、その実現の為に、政治には権力闘争を避けて通れぬ宿命がある。その挟間で、国民的世論、地元からのいろいろなご意見を頂きながら、積極的に、もがき、苦しみ、悩んでみようと思う。
誰が首相であれ、これ程にまで首相が短期間にコロコロ代わってはならない。しかし、現政権ではあまりにも排除の理論が横行し、党内が一致結束できないことも事実。これほど悩ましい事態に晒されるとは情けない。また、私に、民主党に期待を寄せて下さった方々へ、この段階で、私がどう成すべきかを曇りなく示すことが出来ないことを、心からお詫び申し上げたい。
小沢候補が勝てば、゛政治とカネ゛で苦労した9ヶ月間の再来で、国会運営期ねじれに加え更に苦しいものとなり、国民世論も納得しない。゛大丈夫だ、乗り切れる゛という声が聞こえるが、私はそんなに甘いものではないと思っている。それは永田町の空気を吸いすぎると陥る感覚なのだろうか。地元の意見は非常に厳しい。蜂の巣をつついたように、野党もマスコミも、政治とカネの問題を一点に集中してくるだろう。混乱の末、法案は通らず、法案成立率戦後2番目に最悪といわれた先の通常国会どころの騒ぎではない。
菅候補が勝てば、経済は更に悪化する。マーケットの評価を聞くと「ペーパードライバーにエフワンを運転させるものだ」と゛現場゛の友人から指摘された。日本経済は奈落の底にと予想されるのだろうか?首相談話騒動の折、あれほど慎重にと訴えたにも拘らず、何の議論もなく押し切られた。民主主義が聞いて呆れる。人事について、またまた排除の理論で進めるというならば、政界再編への呼び水となる事態も否定できず、歴史的政権交代に影を落としかねない。
執行部の露骨な人事に疑問があることは党内の常識。かつ衆議院09マニフェストの修正に不満があり、参議院選挙で与党過半数割れにもなったにも拘らず執行部はそのまま続投。もはや、衆議院09マニフェストの゛完全実施゛は現実的には困難であり、幾つかの法案は修正も万已む無しと与野党協議に応ずる大人の対応が求められる。但し、マニフェストの撤回ではなく、「国民の生活が第一」という基本方針は変わらない。原理原則を尊重する挙党態勢の確立に向けて一致協力することが今の民主党に最も必要なことではないか。
極論、「国民の生活が第一」と考えるならば、誰が首相でも構わぬ。それぞれの立場で与えられた仕事をすればいいのである。なぜなら、目標は決まっているからだ。09マニフェストであるからだ。また、今回の選挙は2年に一度の定期選挙。党内闘争、政局を問うものではなくとも良い筈である。ただ、そこに立ちはだかるのが、永田町特有のポスト病、対する゛排除の理論゛なのだろうか?
よって、私は菅・小沢候補一騎打ちというのは避けていくべきと考えてきた。ある時期、実は心同じくする議員が多いことに一時の安心感を得た。が、事態はそんなに甘くないことを痛感している。
先日総理にお目にかかる機会を頂きブログに記した旨、訴えてきた。挙党態勢と政府与党渾然一体となった運営、賛否拮抗する議論には慎重を期する事。申し合わせたわけではないが、他にも同じ意見が総理にぶつけられた。しかし、挙党態勢に応ずる雰囲気は感じられなかった。あくまでもご自身の決意に終始されたことが妙に残念だった。
現状打開の為には2つの選択肢が考えられる。一つは、今からでも菅総理に、何が何でも挙党態勢を飲み込んでもらうこと。鳩山前総理は挙党態勢を取るならば支持をする、取れなければ支持できないというスタンスだったと思う。先の会談でこれは無理と判断し、小沢候補出馬となれば、こちらを支持するというのは筋が通る。多くの議員はこれを願っていたと思う。小沢前幹事長の周辺もこれを模索していた筈。そう、丁度これを記しているこの時間、鳩山・菅会談が行われている(午後8時半に終わったようだ)。菅・小沢それぞれの陣営が動き出している現段階で、難しいとはわかっていても、挙党態勢が取れる方向に向かって行くことを願って止まない。
この場合、代表選挙は無投票になるかもしれない。この点で国民有権者、党員サポーターから凄まじい非難を浴びることは覚悟しなければならないが、国会が空中分解し、混乱し、法案が通らず、国民生活が危うくなるくらいならば、イバラの道を進むしかないと思う。
もうひとつは、第三の候補を擁立することである。挙党体制が組めなければ、第三の候補者を擁立するしかない。今でも、一騎打ちは避けなければならないとジタバタしている。3ヶ月前の代表戦の主旨を貫く必要がある。兎も角、高い理念を掲げ、我が国をどうして牽引していくのかを国民に問いかける。菅・小沢対決だけでは、国民は、狭い狭い永田町の中で行っている権力闘争にしか感じない。経験のない次のリーダーが、第3の候補があえて総理を目指し、政策論争の代表戦に持ち込む。出来れば複数欲しいところ。選挙戦術は、永田町内の国会議員を対象とした多数派工作をせず、国民、とりわけ党員サポーターへ訴えるという形で全国行脚を実施する。ただ、推薦人20人。これが立ちはだかる。また、三つ巴(あるいは、四つ巴)の戦いを世論はどう受止めるか。゛青臭い理想゛は、所詮、゛茶番劇゛と揶揄されるのであろうか。
以上、私の戯言に過ぎぬと思う。政治とは生活であり、その実現の為に、政治には権力闘争を避けて通れぬ宿命がある。その挟間で、国民的世論、地元からのいろいろなご意見を頂きながら、積極的に、もがき、苦しみ、悩んでみようと思う。