長尾たかしの・・・未来へのメッセージ

自民党衆議院議員長尾たかしのブログ。平成11年からネット上で情報発信を継続。サラリーマン生活を経て政界へ。

学校教育における政治的中立性

2016-12-08 11:13:07 | 教育
一昨日の文部科学部会で、学校教育における政治的中立性に関する議論がありました。

生徒の父親が国会議員だということを知らぬ講師の先生が、学校の授業で徹底的に政治家を批判し、扱き下ろし、授業中に娘が過呼吸になり倒れ、保健室へ担ぎ込まれるという騒動があったことを思い出しました。

部会では、物議を醸した「学校教育における政治的中立性についての実態調査」の結果が公開されましたが、内容の詳細には一切外部にお話できません。資料も全て回収でした。

唯一言えること。
「酷い事例が多々ありました。これでは生徒が政治的に利用されているのではないかと危惧せざるを得ません。」
とだけ申しておきましょう。

これの実態が明らかになることで「困ってしまう方々」がたくさんいらっしゃるのだと思います。だから、実態調査に反対し、「秘密警察だ!!!」と、過敏に反応するのだと思います。

この問題に関わらず、教育の独立性の功罪を整理する必要があると確信しました。

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待機児童解消問題で危惧すること

2016-05-11 08:43:05 | 教育
子供の養育は一義的には夫婦でおこなうものです。

保育所へは、経済的な理由でどうしても働かなければ生活が出来ないご家庭から「優先」して、順次入所が認められます。保育所の目的を考えれば、このような方々が待機児童問題で路頭に迷うことは断じてあってはなりません。この点で待機児童解消は我が国の緊急課題であることに間違いありません。

働き方の多様性も議論される時代であると思います。一億総活躍社会のなかで女性活躍社会は、企業や男性の理解協力の下、仕事と家庭との両立なしには実現できません。その際、家庭において保育に欠ける部分は保育所や幼稚園で対応するということが選択肢となると思います。

ただ、働き方の改革を目的として保育所に入所できないことを問題視し、待機児童問題を議論するには、少々畑が違うのではないかと思います。

保育所存在の根拠は児童福祉法であって、働き方改革ではありません。待機児童の定義に加え、運用の対象となる事例の個々対応が、今のままの一括り議論では、育つ芽も育たないのではないか?

ということを危惧いたします。

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2つの補助金

2015-12-01 15:58:33 | 教育
大阪府は私学の授業料支援補助金を大変充実させています。無償化に近い形です。保護者負担の軽減による、自由な学校選択の機会を確保しています。

が、その一方で学校法人への経常費補助金は大幅に削られています。青線と緑線にご注目ください。私学の経営が危うくなれば通う学校も無くなってしまう危機的状態。

主戦場は大阪府と府議会ですが、国会においてもこれを放置出来ません。やはり惜敗が悔やまれます。

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いじめ防止対策基本法案・骨子案・・・注目すべき気になる事

2013-02-02 23:14:16 | 教育
与野党それぞれから、いじめ防止対策基本法案が議員立法を基本として提出されるようです。まだ、骨子案の段階で、今、法案骨子案を手にしているのですが、少々細かく精査する必要がありそうです。またこの法案、どうも与野党共にリベラル派からの議員立法が予定されている事についても、注目しその推移を厳しく見守る必要があると思っています。

いじめを防止する適切な措置を講ずる必要は間違いなくあると思います。大前提です。ただ、それが「基本法」なのかというところを一寸立ち止まって考える必要があると思うのです。

基本法という概念を作る事でいじめはなくなりません。現実です。今緊急に必要な事は、「いじめが犯罪行為として取り扱われべきものであると認める時は、警察と連携してこれを対処するものとし、いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命又は身体の安全が脅かされている時は直ちに当該警察に通報し、必要に応じ適切に、援助を求めなければならないこと」です。これは、法案の中に盛り込まれています。

私は、まずはこの部分を走らせる事、これは法律で縛る事ではなく、現行法の枠組みで可能な事だと思うのです。そうでないと、基本法が出来たということで、本来緊急に適切な措置が必要な部分に社会的関心が集まらず、結果、隠蔽体質を孕んだ現場対して逃げ道を与えてしまう。犯罪は学校の中にまで入り込んでしまっているという事態、そういう時代を迎えてしまっているという現実を受け入れなければなりません。今そこにある犯罪を犯罪と言えない風潮がある筈です。・・・・どうもまだ上手くいえませんので、今自分自身の論理を整理しているところです。

そして、危惧する事としては、人権侵犯事件に係る救済制度等についても触れている事です。んーーーっ、扱いを間違えると、これは私が徹底抗戦した「人権擁護法案」等議論再燃の可能性があるのではないかと。

いじめの定義、人権侵害の定義が曖昧ならば、受け手の恣意的な解釈により、不幸な事態にもなり兼ねません。いじめの中にある、明らかに犯罪として限定出来る事象に対する厳重な取り締まりからはじめていく事が先決ではないか思っています。

道徳教育さえ行き届いていれば、法律等必要ないのですが、、、、。一刻も早い教育勅語の精神を汲んだ道徳教育の復活が望まれます。



【教育勅語・現代語訳】
 私が思うには、我が皇室の先祖が国を始められたのは、はるかに遠い昔のことで、代々築かれてきた徳は深く厚いものでした。我が国民は忠義と孝行を尽くし、全国民が心を一つにして、世々にわたって立派な行いをしてきたことは、わが国のすぐれたところであり、教育の根源もまたそこにあります。

 あなたたち国民は、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、行動は慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ、学問を修め、仕事を習い、それによって知能をさらに開き起こし、徳と才能を磨き上げ、進んで公共の利益や世間の務めに尽力し、いつも憲法を重んじ、法律に従いなさい。そしてもし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい。これらのことは、単にあなた方が忠義心あつく善良な国民であるということだけではなく、あなた方の祖先が残した良い風習を褒め称えることでもあります。

 このような道は、実にわが皇室の祖先が残された教訓であり、その子孫と国民が共に守っていかねばならぬことで、昔も今も変わらず、国の内外をも問わず、間違いのない道理です。私はあなた方国民と共にこの教えを胸中に銘記して守り、皆一致して立派な行いをしてゆくことを切に願っています。
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領土問題を語る前の、「もっと手前の教育」

2013-01-27 11:51:30 | 教育
我が国の国境線は海の上にあります。国境線を見たことのない日本民族。陸上に国境線を目の当たりにする国々に比べ国境意識、領土意識が希薄になるというのはある種の宿命。だからこそ、希薄にならぬように日頃から国境意識、領土意識を熟成させなければなりません。

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都教委:来年度の独自教科書に尖閣、竹島 「日本固有の領土」記述 

毎日新聞 2013年01月25日 地方版

 都教委は24日、独自に作製している高校生向けの近現代史教科書「江戸から東京へ」の13年度版で、尖閣諸島(沖縄県)や竹島(島根県)に関する記述を大幅に増やすと発表した。「都も関わりがある現在進行形の事象について、高校生に学んでもらうため盛り込んだ」(高校教育指導課)としている。

 教科書は今年度から都立高で日本史が必修科目になったのに合わせて作製。各校が副読本として使っているほか、20校は日本史とは別に「江戸から東京へ」という近現代史の授業を設けている。

 13年度版で内容を変更したのは、明治初期の国際問題の章。これまで領土の画定に関し樺太・千島交換条約と小笠原諸島を取り上げていたが、今回は12年度版の「東京の島々」の章で触れるだけだった竹島と尖閣諸島についても記述。「尖閣諸島については1895年に編入し、竹島については遅くとも17世紀半ばに領有権を確立していた」と明記した。

 また、同じページの琉球の帰属に関係したコラムを「領土をめぐる問題」と題する文章に差し替えた。冒頭で「北方領土、尖閣諸島、竹島はいずれも歴史的にも国際法上も日本固有の領土である」と書き、その理由を説明。尖閣諸島の購入を都が計画し、その後に国有化された経緯なども盛り込んだ。北方領土は「ロシアによる不法占拠が続いている」と指摘している。

 改訂した「江戸から東京へ」は、4月に都立高に入学する生徒約約4万9000人に配られる。【柳澤一男】
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非常に好ましいことです。しかし、尖閣諸島や竹島を教える前に、「もっと手前の教育」が必要であると思っています。私のタウンミーティングで、領土問題を特集した際必ず触れる話題です。皆さんも一緒に考えて欲しいのです。

日本の面積は世界第61位。領海を含めば世界第6位。多くはここで止まりがちですが、海の深さを考えて欲しいのです。実は体積では、ロシアを抜いて世界第4位となるのです。だから、資源に恵まれた大海洋国家であると教えることが出来るのです。

島国であると口では言うけれど、では島の数?6,852です。うち有人離島は432、裏を返せば、無人島の総数は6,415(本州等勘案)となります。無人島がこれ程多いと思うならば、島嶼防衛つまり防衛上無防備状態であることも認識出来ます。

一番大きいのは本州、次に北海道、九州、四国。これらは島ではありませんが、日本で一番大きな島は?・・・・答えは、択捉島です。以下国後島、沖縄、佐渡島、奄美大島、対馬、淡路島、天草下島、屋久島、種子島となります。この質問、私も恥ずかしながら当時沖縄と答えたひとりです。北方領土を返せと口ではいうものの、択捉島、国後島という存在を忘れ、沖縄と答えてしまったのです。

これが私の指摘する「もっと手前の教育」です。知らず知らず国境意識が希薄になることへの危機感を先に持ったものの責任として、学校教育にこれら基本的な知識を導入することを主張したいと思います。
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教育の術

2013-01-16 15:21:20 | 教育
ある学校で一年間に50件以上の盗難が、主には現金だというのですが、発生しており、首謀者は特定されているものの解決出来ていないという件に接した事があります。学校側が所謂ヤンチャな生徒との距離の取り方を間違っているようでした。

ヤンチャな生徒と上手く人間関係をもっている先生は良い先生と見えるのでしょうか?一見正しいように聞こえますが、良く聞いてみると実は甘やかしているだけでした。彼等が場合によっては犯罪に手を染めた、あるいは染めようとしている場合、阻止出来きていない。「一線を越えて仲良くなってしまう」、「同化してしまう」ということは、事を荒立てないという点では最良の対処法かもしれませんが、臭いものに蓋をしているだけなのです。そして、盗難は無くなりませんし、エスカレートする。周囲の学校に対する不信感は増幅します。実に無責任で安易な対処法です。

教育現場における、「教育の術」の低下が散見されると思います。

親が、社会が、教育現場に求めてはならないものまで求めている現状の中で、世間が騒動する先生の仕事とは、想像以上に現実とかけ離れています。これは、社会教育、家庭教育にも同様に求められる「教育の術」の欠如であり、軽々に学校教育への責任転嫁に限定して済まされてはならない問題だと思っています。

今、社会問題化している体罰についても同様です。体罰という諸刃の剣を使うことのできる術を失っているのだと思います。私も体罰を受けた事があります。しかし、記憶にはありませんがきっと心のケアがあったのだと確信します。前提として、先生と生徒との間に積み重ねられた人間関係があったのだと思います。そして、心のケアは、学校教育に止まらず、家庭教育、社会教育にも存在し、学校教育内で発生した体罰を、家庭が、社会がそれぞれの立場で見守っていた、機能していたのだと思います。

権利と義務、自由と秩序、同じように、体罰と心のケア。両輪でなければなりません。よって、体罰が良いのか悪いのかという議論も、二極対立で考える事は正しくないと思っています。残念ながら今は、家庭が、社会が、自らの術の欠如を棚に上げ、体罰の是非を問うという安直なムードの中、正しい議論を排除しているような気がしてなりません。

同時に私は体罰を推奨しません。体罰なく教育が出来るならば、それに越した事はありません。教育現場は想像以上に我々一般人が認識している事とは大凡かけ離れて疲弊しています。思わず体罰だけに走ってしまう瞬間は数知れないのだと思います。しかし、体罰という教育の術を会得せずこれを使えば、今回のような惨事に繋がるのだと思います。

教育だけではなく、「生きる術」を人として会得出来ているか?これは我々大人にとっても人生の課題だと思います。
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すべての意思ある人が質の高い教育を受けられる国

2010-01-21 00:35:30 | 教育
「すべての意思ある人が質の高い教育を受けられる国、子育てや教育は未来への投資として社会全体が助け合い負担するという発想。」鳩山総理の所信表明演説の一節である。

そこに、公立私立の区別は不要。しかし、現実には教育への公費支出は公立私立に格差がある。授業料の格差である。私学は一定の経済力がないといけない。授業料に格差がなければ私立を希望することが多い(私立52%、公立17%)という現状にあって、ここは所信にあるとおり、格差を是正すべきではないか?現実、平成19年度、高校生1人あたりの教育費は効率も私立も殆ど変わらない。公費の差は48万円。保護者負担は5倍。

今後検討の余地があると思う。
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大分県教委汚職

2008-07-12 16:13:39 | 教育
大分県教委汚職、答案など期限前に破棄(産経新聞) - goo ニュース

次々に出てくるこの問題。実は大分県民の血をひく私だが、この問題、親族に聞いてみても、「そんなん、どこにでもあることでは?だから教育がダメなんよ」と、妙なに冷静。しかし、これは実に恥ずべき行為。

っというか、大分県の教育はもうダメなんじゃないかと思う。はもや、どの容疑者がどのように処分され裁きを受けようが、「子供にどうやって説明するんかねぇ」と呟く親族の言葉が心に染入る。生徒が先生を尊敬出来なくなると教育は不可能。

当事者たちが犯したこと、そしてそれらを見て見ぬふりした方々の罪は大きい。どうやって対応するのだろうか?

以下、陳情に関する私の意見。※過去のブログより

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議員、行政の利用の仕方・・・正しい陳情のあり方
2007-09-07 10:24:02 / 政治信条
【陳情】・・目上の人に、実情や心情を述べること。特に、中央や地方の公的機関、または政治家などに、実情を訴えて、善処してくれるよう要請すること。また、その行為。(大辞泉)

私の事務所にも、いろいろな相談事、陳情の為に訪問される方がいらっしゃる。基本的に全てお話を聞き、繋げるものは繋ぎ、無理なものは無理とハッキリと申し上げている。

法律の枠組み内で「ナビゲート」させて頂けるものと、所謂「無理難題」、法律の枠を超えて「何とかしてくれ」というもの。「何とかして欲しい」という陳情にも2種類あるということである。

前者において国民は、議員、行政を徹底的に使えば良いとおもう。私も積極的にネットワークを使って相談に乗らせて頂いている。というのは、特に行政に係わることは、何処に相談に言ったらよいのかが実にわかりづらい。私でもわからないことが多く、時には行政の側もわからなかったりする。俗に言う「たらい回し」である。ここにナビゲート役がいればよろしい。議員事務所から相談に伺えば先方に何を言うこともなく丁寧に教えてくれるものである。言葉は悪いが「知ったモノ勝ち」のようなところがある。「何だ、こんなよう方法が認められているのか」。しかし、それが広く一般に知らされていない。知らせなければならないが、ありとあらゆる行政の案件を、全部知らせ切ることには限界がある。これが実に悩ましい。

行政に係わる案件の対応をしていると、時々行政の側の不勉強を感ずることがある。最たる事例は、年金安心ダイヤル。全くの素人さんに対して、付け焼刃の勉強で国民年金と厚生年金の区別すら付いていない。そんな担当者が電話口に立たれても、こちらとしては如何ともし難いし、その人も気の毒である。対応をしていますよというポーズのための窓口なら全く意味がない。クレームが増えるだけで、無い方が良い。

後者の場合、これは「出来ない」と申し上げるべきである。よく言われる「交通違反を何とかしてくれ」。私の事務所でも接する機会がありお断りしたところ、「アホかっ、役立たず!」とのたまわれ、呆然としてしまったことがある。

法律の枠を超えて、時には違反して何とかしてしまう。これが陳情と勘違いしている政治家が多いよなぁ。これこそが世の中の不公平の源である。これがまかり通ると、特定の政治家や、行政と繋がりのある人が、ルール違反をして得をする。何のお咎めもない。

今までの自民党政治の中では、おそらく当初は、前者の「ナビゲート」から、何時しか「無理なことを、何とかしてしまう」へと、やっていることの認識が麻痺してしまったのだろうと思う。議員に頼む、議員は何とかしようとする、行政に何とかしてもらう、議員が行政への監視が効かなくなる。主導権は行政が握るという構図が生まれた。

ところが、平成の時代、予算も限られ、監視も厳しくなり、今まで何とかできていたことが、出来なくなってきた。よって、政治家は無能、政治離れ、という構図も一部にはあるのではないだろうか。

ただ、一部にあるであろうこの構図は正さなければならない。政治家の役割とは何か、国会議員ならば、法律を作ることであり、口利きをすることではない。行政の役割、そして、国民の議員や行政の利用の仕方も変化していかなければならない。

勿論、法律が時代に則しておらず、陳情の内容が妥当であるならば、法律を変えていく。これもまた、あるべき姿である。
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先生と生徒という関係

2008-02-24 22:42:29 | 教育
本日某中学校の同窓会にお招き頂いた。新任で来られた先生が、今年60歳で定年退職をされるというめでたい席だった。場違いかと思ったが、たまたまその先生や同窓生の多くと、顔見知りであったため共にお祝いをさせて頂いた。

そういえば、昨年私も実に34年振りに小学校の同窓会に参加した。私の場合毎年゛長尾は何処に行った?゛という存在だったらしい。それが、ミクシィで小学校時代の女友達から突然連絡をもらって、参加することになった。本日と同じように、新任で来られた先生の定年退職祝いを兼ねていた。義務教育では9人の先生にお世話になるわけだが、何人の先生とその後お会いすることがあるだろうか。すべては先生のご人徳である。更に、その同窓会をきっかけに新しい輪が広がったりする。

私も人の親として、また立場上、教育現場でいろいろなお話を聞くことがある。私がお世話になった先生方の時代と、今とは教育現場がまったく変わってしまっている。本来、家庭教育がなされるべきことが成されず、学校教育にシワ寄せが来ている。こんなことを学校で先生が教えなければならないのかと愕然とすることもある。

学校教育を巡る環境の変化で、先生と生徒という関係に大きな変化が生じている。おそらく、親の視線があの頃と異なっていると思う。また、体罰が出来なくなった。当然、指導方法も変わって来ざるを得ない。先生と生徒という関係は、友達ではない。しかし、友達関係を求める周辺の環境が存在している。それで良い筈がない。゛仰げば尊し゛が卒業式でまったく歌われなくなった。生徒にとって教師とは゛仰ぎ尊しとする対象゛でなければならないのである。どこでどう道を間違えてしまったのだろうか?

゛親学゛という言葉がある。正常な学校教育環境を取り戻すためには、自分を含め゛親学゛を実践して行こうと思う。子供の善導はすべて親の姿勢からはじまると思う。このままでは、我が子が成人して後、昨年や、今日のように、先生の定年退職を生徒が心からお祝いするという宴席が消滅してしまうかもしれない。

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式をとるということ

2008-02-06 09:54:36 | 教育
結婚記念日、誕生日、七五三、入学式、卒業式、結婚式、還暦、喜寿、米寿、お葬式、命日・・・全て「式」である。

式を取るということは、始めに戻ること。つまり、それまでの過去を振り返り感謝するという一つの節目である。

だから、「式」は厳粛であり、厳かなのである。子供から親への感謝、親から先祖への感謝、先祖から大自然への感謝、これを確認することを大切にしていかなければならない。

これは宗教というものではなく、自然への畏敬の念。日本人特有の信仰心であると思う。我国の教育には、゛宗教ではない信仰心゛が欠如している。だから、子が親を、親が子を殺めるという事件が起こるのではないか。
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信仰心について

2007-12-07 10:14:38 | 教育
信仰心とは何か?

以前、゛サムシング・グレート゛について記したことがある。私の命は私の命であるが、私だけの命ではない。脈々と続く命の連鎖の中でようやく頂いた私の命。だから、その命は重い。そして、これからも重い。命の連鎖の過程で起こる何か大きな力。それを尊ぶということ。親を配偶者を、我が子を尊ぶ。敬愛・親愛・慈愛。自分が何故今ここにいるのかを尊ぶということ。それば自分を尊ぶということよりも、生命の源流を尊ぶということ。一人ではない。※選挙も一人では出来ない。

日本の教育には信仰心が欠けている。
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我が校には、いじめはありません

2007-05-11 09:44:19 | 教育
数年前あるテレビ番組で、「女優とは?」「インチキ」。へぇー、なかなか良い受け答えをするなぁと感心し、それ以来、出来るだけ彼女のドラマを見るようにしている。

で、今放映中の「わたしたちの教科書」。これは彼女に関心があるから見ていると言う領域を既に超え、背筋がゾッとするドラマである。女子生徒の自殺をきっかけに、クローズされた教育現場に何とか食い込もうとする弁護士。理想と現実の間を右往左往する新任教師の葛藤。

旧教育基本法にあったように、「第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」が拡大解釈され、学校はある意味、聖域化されてしまった。学校の中が一種の自治体組織となり、外部からの一切の介入を許さない、治外法権化している部分がある。

「我が校には、いじめはありません」

この一言によって、親が教師が、内部が外部が、そして生徒が行き先を失ってしまっている。

友人に中学校教師が数人いる。いろいろな情報交換をする。数年前「長尾よぉ、学校の全てとは言わないが、教育現場は゛大変なところ゛まで来てしまっているよ」と、吐き捨てるように語った友人は、追われるように教師を辞めた。教育現場にどんな魔物が住んでいるのだろうか、、、、凡その察しは着く、が、それを掴む事は出来ないのか、許されないのか。

政界に入り教育問題で幾度かの意見の食い違いに接してきた。「長尾さんは、教育現場に携った経験がおありなんでしょうか?」「親と言う立場以外にはない」。ならば、アンタはイチイチ立ち入るなという空気が伝わる。一方、親の側。人のことを言えた義理ではないが、「子供が子供を育てている」と錯覚を覚えることがある。だが、これは錯覚ではなく、現実。教師は大変だ。

この番組、少々キツイ展開もあるが、タブーに挑戦しているところを評価したい。所詮ドラマと言わず、宜しければご覧下さい。


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教育改革・・・小川義男先生

2007-03-15 14:45:34 | 教育
昨年の12月4日、日本会議大阪中河内支部設立総会が行われたことは以前記したとおり。今回、日本会議会報を編集するにあたり、小川先生の講演内容のリライトを仰せ付かった。掲載される内容は1200程度ではあるが、ここにリライトの全文を紹介する。先生の主張を自分なりに理解し、今後の政治活動に役立てていきたいと思う。

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アメリカがこの極東の危険な民族国家日本を軍事的だけではなく、精神的にも武装解除をしようとした。我々の文化歴史、伝統のようなものを全面的に否定する。特に、神社仏閣に象徴されている我国の民族の一体性、これを打ち壊す。神社というものは宗教ではないんです。国民のよりどころだった。それをアメリカが無理矢理宗教とすることで神社に対する国民の一体感というものが滅ぼされていった。そういうことを考える意味で、多神教国家である我国の宗教的情操の育成は非常に大切なんです。特別な宗教を持っていなくとも、何か人間を超える偉大なものがあるらしい、その偉大なものに謙虚な気持ちを育てるということは非常に大事です。

もう一つは、国家は悪いものだ、敵である。その風土の中で教育基本法が作られたのです。どこの国家でもシミはあります。しかし、自分の国家を庇いたいという気持ちがなければいけないんです。この一体感を育むという事が愛国心なんです。地球国家、コスモポリタズム、無国籍主義的傾向が広がっていくと、国民の一体感は充分に出来ない。

自殺はうつる。自殺があると校長も教育委員会も文部科学大臣も「命を大切に」と云うんです。そう云っておけば誰からも文句は言われない。自分に責任がかからないようにする。実は自殺には、弱い自殺と強い自殺がある。子供の自殺は抗議するという側面がある。この場合、この理不尽ないじめについて、学校は何もしてくれない、命を捨てて抗議する。そんな場合、「命を大切に」と言っても役に立たない。「お前の命はお前だけのものではない」このことをしっかりとわからせる必要がある。自殺しようなんて絶対に言うな、それは人間のクズのやることだ、大体俺を置き去りにして死ぬようなやつの葬式には絶対に行かないと凄むんです。そうするとやはり子供もハッとする。

いじめの原因は何か。それは存在感のある先生がいなくなったからです。存在感のある教師とは、まず子供を可愛がる、舐めるように可愛がる、愛すれば好かれる、人気のある先生になる、人気のある先生に叱られるから怖いんです。そして、怖い先生でないと、ほめることも出来ないんですよ。

イタリア共産党のグラムシヒトニシが構造改革論というのを唱えている。共産党のシンパを国家機関に潜入させて、国家の中枢から自分たちの意のままに動かす。そして、日本の教育を教員養成課程で潰してきている。アカデミックフリーダムという学園統治の名の下にこういう非生産的思想が拡大生産されています。孫子も言っているように、天下を統一する上で一番大切なのは謀略であります。寺脇研さんというゆとり教育を進め日本の教育を駄目にしたその人も、教育を駄目にしようとする目的意識的潜入分子だった可能性もあります。

教育改革で見落とされているのは、六三三制の改革です。子供の発育にこの制度があわなくなっている。読書をしなくなった原因は中学3年の間高校入試があるから本を読んでいられない。1年生、2年生、3年生は教育の客体としての側面が圧倒的に多い。この時期に服従の教育をしておかなければいけない。4年生になったら自我が芽生え、先生は少し譲らなければならない。高校生になったら、ほとんど譲る。発達段階に応じてある程度踏み込んだ教育が必要なんです。幼稚園の年長から小学校に入れる。5年生まで小学校、今の高校一年までを中学校、高校二年から大学に入れる。大学を5年にする。我国の教育を悪くするという教育が、国立大学の中で意識的系統的に行われているが、国民が全く口に出すことが出来ない。実は筑波大学は抜本的に何とかしなければならないということで出来たのですが、東大紛争が終わってから、自民党がサボってしまった。独立行政法人にしても問題は全く解決しない。

このことが我国の教育改革のネックになっていることを最後に申し上げ、日本会議大阪中河内支部の発足が成されましたことに敬意を表しまして終わらせていただきます。
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以上。

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手本となるべき大人

2007-03-06 10:03:22 | 教育
子供は親の姿、振る舞いを見て人間とはどうあるべきかを自然に学んでいく。しかし、社会や大人達の不祥事が明るみに出ることで、それもまた子供達は学んでしまう。

背骨をへし折られる痛手を被っても尚、戦い続ける日本に対して、アメリカは物理的な武装解除とともに、精神的な武装解除をしようと企てた。国の歴史、伝統、文化を全面的に否定する。その為には、神社を中心とする独特の民族的一体性を打ち壊そうと考えた。

同時に、国家は敵であるという精神を注入させた。国家よりも、個人が重要。「秩序なき自由」と「義務なき権利」、そして、「悪平等」を教えた。

眼前の利益や、刹那的な欲求に身を任せ、何事であれ思うままであることが、尊いことだと錯覚するようになった。大人が、アメリカ流を無反省に信仰したり、目先の欲望の充足を最優先することで、子供もまた、これを信仰した。

彼らにとって「したいこと」とは、ただ、自分の興味と欲望の赴くままに成すだけのこと。そこには、善悪の基準も、未来への希望も、大いなる志も存在しない。

大人が手本にならずして、健全な子供は育たない。自分も反省しようと思う。

※倫風宏話・4月号 
※小川義男18/2/4講演 
         参考

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学校現場に、専門のカウンセラーを

2007-01-24 15:03:16 | 教育
いじめは、なくならない。

過去7年間いじめがなかったとする当局の調査結果は一体なんだったのか?ともかく、いじめの渦中にいる子供達を救い出さなければならない。

池田小学校事件の後、校内では子供達の心理的なケアの必要性が叫ばれた。当時、これを教師に新たな職務として負わせるのではなく、専門のカウンセラーがその職務を実施した。いじめの把握も同じである。

私は昭和37年生まれ。中学校の頃は「校内暴力」が蔓延しつつあった時代だ。しかし、今ほど陰湿で、把握の難しい状況ではなかったと思う。

今日のいじめは、陰湿で、悪質で、その存在の把握が出来るのは専門家しかいないと判断する。仮に教師が実態を把握したとしても、どんな優秀な教師でも基本的に問題解決は不可能ではないか。残念ながら「いじめは犯罪」であると認識しなければならないところまで事態は深刻化していると思う。

学校現場において、繊細な子供達の心の問題解決は専門家に委ねるべきだろう。もちろん、教師も専門家ではあるが、いじめ問題は別の領域で専門性高い問題へと変化してしまったのだ。先生にも友達にも両親にも相談できない「声なき声」を聞くために、学校内に専門の窓口を設置し、そこをいじめを受けている子供達の頼みの綱、駆け込み寺として、心理的に対応して行く必要がある。

ゆとり教育の見直しは必要だが、これを見直しても、いじめの問題は解決されない。

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