大分県教委汚職、答案など期限前に破棄(産経新聞) - goo ニュース
次々に出てくるこの問題。実は大分県民の血をひく私だが、この問題、親族に聞いてみても、「そんなん、どこにでもあることでは?だから教育がダメなんよ」と、妙なに冷静。しかし、これは実に恥ずべき行為。
っというか、大分県の教育はもうダメなんじゃないかと思う。はもや、どの容疑者がどのように処分され裁きを受けようが、「子供にどうやって説明するんかねぇ」と呟く親族の言葉が心に染入る。生徒が先生を尊敬出来なくなると教育は不可能。
当事者たちが犯したこと、そしてそれらを見て見ぬふりした方々の罪は大きい。どうやって対応するのだろうか?
以下、陳情に関する私の意見。※過去のブログより
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議員、行政の利用の仕方・・・正しい陳情のあり方
2007-09-07 10:24:02 / 政治信条
【陳情】・・目上の人に、実情や心情を述べること。特に、中央や地方の公的機関、または政治家などに、実情を訴えて、善処してくれるよう要請すること。また、その行為。(大辞泉)
私の事務所にも、いろいろな相談事、陳情の為に訪問される方がいらっしゃる。基本的に全てお話を聞き、繋げるものは繋ぎ、無理なものは無理とハッキリと申し上げている。
法律の枠組み内で「ナビゲート」させて頂けるものと、所謂「無理難題」、法律の枠を超えて「何とかしてくれ」というもの。「何とかして欲しい」という陳情にも2種類あるということである。
前者において国民は、議員、行政を徹底的に使えば良いとおもう。私も積極的にネットワークを使って相談に乗らせて頂いている。というのは、特に行政に係わることは、何処に相談に言ったらよいのかが実にわかりづらい。私でもわからないことが多く、時には行政の側もわからなかったりする。俗に言う「たらい回し」である。ここにナビゲート役がいればよろしい。議員事務所から相談に伺えば先方に何を言うこともなく丁寧に教えてくれるものである。言葉は悪いが「知ったモノ勝ち」のようなところがある。「何だ、こんなよう方法が認められているのか」。しかし、それが広く一般に知らされていない。知らせなければならないが、ありとあらゆる行政の案件を、全部知らせ切ることには限界がある。これが実に悩ましい。
行政に係わる案件の対応をしていると、時々行政の側の不勉強を感ずることがある。最たる事例は、年金安心ダイヤル。全くの素人さんに対して、付け焼刃の勉強で国民年金と厚生年金の区別すら付いていない。そんな担当者が電話口に立たれても、こちらとしては如何ともし難いし、その人も気の毒である。対応をしていますよというポーズのための窓口なら全く意味がない。クレームが増えるだけで、無い方が良い。
後者の場合、これは「出来ない」と申し上げるべきである。よく言われる「交通違反を何とかしてくれ」。私の事務所でも接する機会がありお断りしたところ、「アホかっ、役立たず!」とのたまわれ、呆然としてしまったことがある。
法律の枠を超えて、時には違反して何とかしてしまう。これが陳情と勘違いしている政治家が多いよなぁ。これこそが世の中の不公平の源である。これがまかり通ると、特定の政治家や、行政と繋がりのある人が、ルール違反をして得をする。何のお咎めもない。
今までの自民党政治の中では、おそらく当初は、前者の「ナビゲート」から、何時しか「無理なことを、何とかしてしまう」へと、やっていることの認識が麻痺してしまったのだろうと思う。議員に頼む、議員は何とかしようとする、行政に何とかしてもらう、議員が行政への監視が効かなくなる。主導権は行政が握るという構図が生まれた。
ところが、平成の時代、予算も限られ、監視も厳しくなり、今まで何とかできていたことが、出来なくなってきた。よって、政治家は無能、政治離れ、という構図も一部にはあるのではないだろうか。
ただ、一部にあるであろうこの構図は正さなければならない。政治家の役割とは何か、国会議員ならば、法律を作ることであり、口利きをすることではない。行政の役割、そして、国民の議員や行政の利用の仕方も変化していかなければならない。
勿論、法律が時代に則しておらず、陳情の内容が妥当であるならば、法律を変えていく。これもまた、あるべき姿である。
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