15歳 診断される。それとなく、医者や親の言動で視野がだんだん狭くなり、見えなくなるんだと知る。
テレビドラマ「教師びんびん物語」(田原俊彦主演)で感動する。(私はいつまでドラマをこの目で見て感動するのかと思う。このころは明日にでも目が見えなくなると思っていた。)
16歳 目が見えなくなった時の趣味として、フォークギターを買う。(もちろんFコードを弾けず挫折)
NHKかなにかで、盲目の若い弁護士を見る。(本当は医者になりたかった私、目のこともあり、理系はあきらめる。弁護士なら目が見えなくても仕事やっていけるんだと思う)※今は目が見えなくても医師免許交付されるようです(?不確実情報)
17歳 本「家庭の医学」で網膜色素変性症を引いてみる。難病、治療法無しを改めて知る。
19歳 大学入学で1人で都会ぐらし。大きな本屋で医学書を見る。網膜色素変性症の項目を見る。「60歳から70歳でほとんど失明する」との記述(内容曖昧記憶不確か)(人が多い本屋でくらくらとなる、人混みの中で少し呆然) ※今考えるとあと40年もあるのにね・・・
25歳 初めて司法試験の択一試験に受かる。(受かっても次の論文試験に向けて、気が滅入る。将来への絶望を感じる。弁護士になれば、自立してお金も稼げて、好きな人とも結婚できるにちがいないという、短絡的な考えにひたる私)
26歳 目が見えなくなったときのために、深夜ラジオを録音しはじめる。(MBSヤンタン、ANNなど)。テレビ番組で、網膜色素変性症の人がでると、ドキッとして、チャンネルを変える。(認めなくなかったんだろうなこのころは、自分が網膜色素変性症であるってことを)
27歳 目が見えなくなったら、死んだらいいんだ。という考えにひたる私。(※今思うと、目が見えている間精一杯生きてやろうという決意の裏返しだったんだろうけど・・・)このころは一日のうち外にでるのは食事の買い物に近所のスーパーやコンビニに行く程度。他の時間はずっと部屋にいる。勉強せねばせねばとおもいつつ。勉強しない日々。どんどん気が滅入る。
28歳 親からの仕送りがなくなる。ショックだったな。親は私の不安定な気持ちを分かってくれているのだと確信してただけに・・・。やむをえず、バイトを始める。このころ視野がせまくなっていてよく仕事場で怒られる。ただバイトで気分はすこし晴れる。働いているから勉強はできないのはしかたないよという論理に妙になっとくして勉強時間、熱意ともに減る。お互いのために親とは距離をおこうと心になんとなく誓う(親との関係はまた後日)。
30歳 司法試験制度改革。ロースクールできる。択一に落ちて、気が滅入る。視野が一気に狭まった(ような気がする)将来への不安が絶頂期。障害者手帳を取得。司法試験の他の道を模索。(障害者手帳をとるにあたり、葛藤があった。それはまた後日)。障害者国民年金1級でもたいしたお金は貰えないことを知る。はじめてなっちのコンサートに行く。
結婚して幸せな家庭を築くことをあきらめる(自分の子供をつくることはずいぶん昔にあきらめる→じゃ結婚する意味ってなに?とよく考えた)。それが私の生きる道だと妙に納得。なんか心の視野が広がった(笑)。あきらめて初めて見えてくるものもある。獲得された絶望感。
31歳 はじめて障害者手帳でJRの乗車割引をうける、それでなっちのイベントに行く。(新幹線の特急料金分の割引はなし)
はてさて、私はこれからも、視野が狭まり、視力が落ちていくたび、絶望するのだろう。それを受け入れ。獲得された絶望感に昇華していかねばならぬ。なんとも、まぁ人とはちがった生きる道だな。まぁそれが私の生きる道。それでもそれなりに楽しそうだよ。
テレビドラマ「教師びんびん物語」(田原俊彦主演)で感動する。(私はいつまでドラマをこの目で見て感動するのかと思う。このころは明日にでも目が見えなくなると思っていた。)
16歳 目が見えなくなった時の趣味として、フォークギターを買う。(もちろんFコードを弾けず挫折)
NHKかなにかで、盲目の若い弁護士を見る。(本当は医者になりたかった私、目のこともあり、理系はあきらめる。弁護士なら目が見えなくても仕事やっていけるんだと思う)※今は目が見えなくても医師免許交付されるようです(?不確実情報)
17歳 本「家庭の医学」で網膜色素変性症を引いてみる。難病、治療法無しを改めて知る。
19歳 大学入学で1人で都会ぐらし。大きな本屋で医学書を見る。網膜色素変性症の項目を見る。「60歳から70歳でほとんど失明する」との記述(内容曖昧記憶不確か)(人が多い本屋でくらくらとなる、人混みの中で少し呆然) ※今考えるとあと40年もあるのにね・・・
25歳 初めて司法試験の択一試験に受かる。(受かっても次の論文試験に向けて、気が滅入る。将来への絶望を感じる。弁護士になれば、自立してお金も稼げて、好きな人とも結婚できるにちがいないという、短絡的な考えにひたる私)
26歳 目が見えなくなったときのために、深夜ラジオを録音しはじめる。(MBSヤンタン、ANNなど)。テレビ番組で、網膜色素変性症の人がでると、ドキッとして、チャンネルを変える。(認めなくなかったんだろうなこのころは、自分が網膜色素変性症であるってことを)
27歳 目が見えなくなったら、死んだらいいんだ。という考えにひたる私。(※今思うと、目が見えている間精一杯生きてやろうという決意の裏返しだったんだろうけど・・・)このころは一日のうち外にでるのは食事の買い物に近所のスーパーやコンビニに行く程度。他の時間はずっと部屋にいる。勉強せねばせねばとおもいつつ。勉強しない日々。どんどん気が滅入る。
28歳 親からの仕送りがなくなる。ショックだったな。親は私の不安定な気持ちを分かってくれているのだと確信してただけに・・・。やむをえず、バイトを始める。このころ視野がせまくなっていてよく仕事場で怒られる。ただバイトで気分はすこし晴れる。働いているから勉強はできないのはしかたないよという論理に妙になっとくして勉強時間、熱意ともに減る。お互いのために親とは距離をおこうと心になんとなく誓う(親との関係はまた後日)。
30歳 司法試験制度改革。ロースクールできる。択一に落ちて、気が滅入る。視野が一気に狭まった(ような気がする)将来への不安が絶頂期。障害者手帳を取得。司法試験の他の道を模索。(障害者手帳をとるにあたり、葛藤があった。それはまた後日)。障害者国民年金1級でもたいしたお金は貰えないことを知る。はじめてなっちのコンサートに行く。
結婚して幸せな家庭を築くことをあきらめる(自分の子供をつくることはずいぶん昔にあきらめる→じゃ結婚する意味ってなに?とよく考えた)。それが私の生きる道だと妙に納得。なんか心の視野が広がった(笑)。あきらめて初めて見えてくるものもある。獲得された絶望感。
31歳 はじめて障害者手帳でJRの乗車割引をうける、それでなっちのイベントに行く。(新幹線の特急料金分の割引はなし)
はてさて、私はこれからも、視野が狭まり、視力が落ちていくたび、絶望するのだろう。それを受け入れ。獲得された絶望感に昇華していかねばならぬ。なんとも、まぁ人とはちがった生きる道だな。まぁそれが私の生きる道。それでもそれなりに楽しそうだよ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます