世にも奇妙な人体実験の歴史

2012-07-31 16:24:13 | 日記

トレヴァー・ノートン著  文藝春秋社刊

本書は心して読むべき本だと思う。腰巻の「……常識を覆すマッドな実験が満載!!」に惑わされてはいけない。確かに、冷静に考えればどうしてそんなことを、自分の身体を使って実験したの? と思うような事が紹介されている。しかし、その裏にある彼等の真摯な動機を見過ごしてはいけない。
印象的なのは、伝染病の病原菌を自らに感染させた医師の言である。「この病気の感染から重篤になるプロセスは医師である私が記録するのが、最も適切である。もし、私が不幸にして死に至ったならば、この記録を役立てて欲しい」。彼は亡くなった。その意思を継いだ同僚によつてワクチンは完成した。
自己犠牲を礼賛するつもりはない。しかし、そのくらいの真摯な情熱が医者や科学者には必要なのではないだろうか。彼等のお蔭でどれほどの人々の命が救われたか、頭の下がる思いだ。
思い出した。エイズに関して最後まで責任も取らず、白を切り通した医学者がいたのを。日本の大学の医学部の教授だったか、学部長だった。それに悪乗りした薬品メーカーもいたな。


化石の分子生物学 -生命進化の謎を解くー

2012-07-27 15:49:29 | 日記

更科 功著  講談社現代新書

主だった目次をピックアップしてみる。「ネアンデルタール人は現生人類と交配したか」、「剥製やミイラのDNAを探る」、「縄文人の起源」、「ジュラシック・パークの夢」、「分子の進化ー現在の人類は進化しているかー」。なんとなく、私が買おうとした動機が分かってもらえるかもしれない。
というか、DNA解析が進んだ現代ではかなりの事が解明されていて、あわよくばジュラシック・パークの世界も夢ではなくなっているのではないか? と思っていた人も多いのではないだろうか。わたしも、そう。マンモスの亜種がうまれるのも、近いのではないかと期待していた。
ところで、分子生物学というジャンルがあることは知っていたが、「分子古生物学」というジャンルも誕生していたのですねぇ。知らなかった。しかし、相手が化石となるとどうやら「おっとどつこい、そうは問屋が卸さねぇ」ということになるらしい。
というわけで、面白く読んだ次第。


「新型うつ病」のデタラメ

2012-07-25 08:04:00 | 日記

中嶋 聡著  新潮新書

本書で著者が挙げている事例については、殆ど知っていた。というのも、財団法人 精神分析学振興財団(現在は、公益財団法人 精神分析・武田こころの健康財団)が、数年前から「うつ病」に関するシンポジウムを開催しており、傍聴していた経験があったからだ。このシンポジウムの参加者は精神科医・産業医・臨床心理士・企業の人事部・総務課といった人達で、言わば、多角的にうつ病を検討できるシンポジウムだったので、著者が挙げた事例には事欠かなかったのだ。
ただ、このシンポジウムで話題に上らなかったテーマがあった。著者が第二章で取り上げた『「新型うつ病」がもたらした社会的弊害』である。「簡単にもらえる傷病手当金」「しばしばもらえる障害年金」「公費医療・サラ金・奨学金返済・給食費免除・その他の保障や利益」といった問題である。この問題の提示する弊害は大きい。まず、企業の労務費の負担増、そして他の労働意欲のある人の就職チャンスを奪っているという問題、さらにそれらの一部は我々の税金で賄われている事実。
ここまで来ると対岸の火事では済まされない。実はつい最近の週間文春でも『「新型うつ」は病気か? サボりか?』という特集を組んでいたが、その中である精神科医が悩んだ末に診断書を出したところ、その日のうちにとツィッターに書き込んでいたそうだ。本書にも休職が決まった時には「ヤッタという気分だった」という患者の話が紹介されていた。正直言って、意味が分からなかった。第二章を読んで納得した次第だ。
著者が言うように、これは明らかに病気ではない。手っ取り早く生活費を稼ぐ手段に「新型うつ病」が使われているとしか思えない。「利権」化しているのだ。こうなった原因は戦後教育の弊害しか考えられないのだが……。

追記 7月27日付けの朝日新聞朝刊に「うつ病治療 初の指針ー安易な薬使用 自制促すー」という記事が掲載された。要点は、日本うつ病学会は①軽症の場合、抗うつ剤を使う治療は科学的根拠が不充分として「安易な薬物治療は慎まなければならない」、②最近の若者特有の「新型(現代型)うつ病」については、「マスコミ用語であり、精神医学的に深く考察されたものではない」として、定義はできず、科学的に根拠のある治療法はないと判断。
というものだった。これで安易な診断書が減るといいのだが。

 


金星を追いかけて

2012-07-23 08:12:03 | 日記

アンドレ・ウルフ著  角川書店刊

1716年、エドモンド・ハレーは1761年6月6日、金星が太陽面を横切ることを予言した。そして、世界中の科学者にこれを正確に観測するよう呼びかけた。というのも、この時の正確なタイミングと所要時間を計測できれば、地球と太陽の距離が計算できるばかりか太陽系の大きさも解るからだった。しかし、ハレー自身が観測できることはできなかった。なにしろ105歳まで生きていなければならなかったからだ。
その衣鉢を継いだのが、フランスの天文学者ジョセフ=ニコラ・ドリルだった。彼は金星の日面経過を観測できる地域を色分けした世界地図を世界中の科学者に配り、観測チームを組織した。しかし、時代が悪かった。18世紀はヨーロッパの国々が植民地獲得に血眼になっていた時代だったからだ。各国の協力を得ること自体が至難の業だった。観察に適した地域は、そのまま覇権争いの地でもあった(実は、この観測には隠れた副産物というより、実利があった。というのも、観測には正確な地図が必要だったからだ)。それでも、なんとか結束し、観察は実行された。しかし、残念。結果は失敗だった。
それでも、彼等は挫けなかった。というのも、8年後の1769年6月3日にもう一度日面経過のチャンスがあったからだ。しかし、その時失敗したら次は105年後の1874年と1882年、彼等が生きて観測することはできない。
本書はその二回のチャンスにチャレンジした科学者の冒険と観察の物語である。天文学者は同時に国威を賭けた冒険家でもあったのだ。
ここまでにする。久しぶりに読んだ冒険小説だった。

 


ハーバード白熱日本史教室

2012-07-20 15:03:03 | 日記

北川智子著  新潮新書

著者は1980年生まれだそうだ。しかもカナダのブリティッシュ・コロンビア大学で数学と生命科学を専攻した理系の人。その人が何故ハーバードで日本史の口座を持つことが出来たのか? は本書に譲るが、誰にでも真似が出来るものではないようだ。
まず日本史を教えるについての割り切り方である。受講者の構成を考えた講座の内容(中世に限定)、教授法(実にユニーク。もし、私が学生だったならば休まずに受講した筈)。この割り切り方は理系の人だから出来たのだろう。従来の歴史学の教授にはとても出来ない。
二つ目は、前回紹介したヒラノ教授ならば分かるであろう、大学の講師や教授を選ぶシステムである。ユニークならばやらせてみる、そして失敗したならばサヨナラというシステム(もっとも、終身教授の中には例外もあるそうだが、これは日本も同じ)。
そして、三つ目。Lady Samuraiという視点が素晴らしい。女性を武士という視点から捉えるという試みはこれまでになかっただろう。
唯、不満もないではない。例えば、日野富子。高利貸・米相場にも手を出して蓄財に励んだ女性、重金主義を当時の誰よりも早く先取りし、足利義政の政治も影響を及ぼした。あるいは前田利家の妻・芳春院。利家の糟糠の妻であり、前田家の礎を築いた人。そして近世の人だが、乃木希典の妻、静子夫人。明治天皇の葬儀当日、夫と共に殉死した。まさにLady Samurai ではないだろうか。
勿論、実際の講義では登場したと思うが、本書でも概念をハッキリさせるためには登場させても良かったのでないだろうか。

 


私の戦後追想

2012-07-20 08:17:48 | 日記

澁澤龍彦著  河出文庫

澁澤龍彦のエッセイを初めて読んだ。というのも、私にとっては澁澤龍彦は『マルキ・ド・サド選集』に始まり、<サド裁判>で完結していたからだ。だから、前回紹介した澁澤夫人の『澁澤龍彦との旅』を読んで彼の素顔の一端を初めて知ったような訳で、その流れの中で本書を読んだ次第。
それにしても、昭和3年生まれというのは微妙な歳のようだ。旧制中学に入学したのが昭和16年、太平洋戦争が勃発。旧制浦和高等学校を入学した年に敗戦。つまり12歳から17歳という多感な時期がずっと戦中だったことになる。当然、兵役には就いていない。しかし、著者によれば当時の彼等は日本が負けることは想定内であったという(ただし、今の高校生と当時の旧制の高等学校生とはレベルが全く違う)。
著者は、戦後の民主主義やマルクス主義に溺れる事はなかったと回想している。つまり、醒めていた? どうも、根本にあるこの思想が、どこか他人事のような観察者の文節に表れているように思われる。


なるほど! 赤ちゃん学  ーここまでわかつた赤ちゃんの不思議ー

2012-07-16 15:38:42 | 日記

玉川大学赤ちゃんラボ編  新潮社刊

初めに断っておくが、私が不倫して他所に赤ちゃんが出来て、急遽読んだ本、ではない。新潮社の広報誌『波』に、著者の一人・岡田浩之氏が、「本の紹介」で書いていた記事による。岡田氏は㈱富士通研究所の研究員で、「第後世代コンピュータ」の開発プロジェクトに所属していて、「人間の知能をすべてデータ化することはできない」とわかり、まだ外からプログラミングされる前の「赤ちゃん」に学べばいいと気付いたことが、この研究に入ったきっかけだと書いてあった。直感的にきっとヒントがあったに違いないと思って読んだ次第。
しかし、赤ちゃんがこれほど観察に値する存在だとは思わなかった。本書がもっと早く出版されていたら、帰社の帰りに呑み屋などに立ち寄らず、そして晩酌もそこそこに娘に付き合うべきだった(そういうことが許されない時代だったが、言い訳にはならない)。
これから出産を控えているご夫婦、子育て中のご夫婦にぜひ勧めたい本。毎日が楽しく、興味深々と送れること請け合いです。
しかし、人間って不思議な生き物ですねぇ。


信長死すべし

2012-07-12 14:55:42 | 日記

山本兼一著  角川書店刊

着眼点の良さは認める。そして、構成も上手い。だが、それ故に妙な疑点が浮かび挙がって来る。以下に、列挙する。
第一点。正親町帝も信長も、日本というスケールを念頭に置いて行動していたことになるが、信長は言ってみれば未来志向であった(手段は別として。その理由は後で)。一方正親町帝は現状維持(というか往古の天皇親政を目論んでいたのだから、後ろ向きか?)。
第二点。正親町帝には現状認識が欠けている(つまり経済・民情といった時代の趨勢)。民は天皇の意思を無条件で受け入れる一方的にと思い込んでいた。
第三点。正親町帝は光秀を捨て駒として使い捨てた(というか近衛前久に代表される側近は、それを容認していた)。一方、信長は宗教勢力を残酷とも言える手段で一掃したが、これに共感を持った人間は武士階級を初めとして商人階級や庶民にも多かった。手段に関しては批難を浴びたが。
どちらも現状打破のためにした止むを得ないことだったが、一抹の疑問は正親町帝は光秀を完全に欺いたことである。「大儀のためには止むを得ない」という認識では五十歩百歩であるが、一介の武将(信長は宮廷での位階はなにひとつ持っていなかった)と天皇ではその重みが違う。つまり、自ら出した密勅を疑勅であることを容認した。しかも、その理由は天皇家の威信を守るということだった。要するに、光秀を騙したのだ。
正親町帝が、何故このような苦渋の選択をしなければならなかったのか?  その辺をもっと書き込んで欲しかった。このポイントを外すと、この小説は成り立たないのではないか。尤も「天皇親政」と言わせたことで、単に正親町帝の我欲と私怨に過ぎないということになってしまいそうでもあるが……。
つまり、登場人物の心境の有り様が書かれていないのが残念だ。

 


工学部ヒラノ教授の事件ファイル

2012-07-11 08:15:39 | 日記

今野 浩著  新潮社刊

ちょっと、唖然としてしまいましたね。
さて、ヒラノ教授が心配し、憂える諸問題、即ち教授に代表される教育者の質の低下・大学に巣食う非常識とモラルの低下・行政機関の過干渉、そして学生の質の低下といったものの最大の根本原因は、雨後の筍の如く大学や大学院を乱立した行政機関にあるのではないか?
どう考えても、これで大学? 大学院?  というのが多すぎる。大卒の粗製濫造である。就職難は当然だろう。採用する企業もいけない。大学の二年の終わり頃から就職活動を始め、採用されれば後はろくすっぽ勉強もしない。一方、大学側もせっかく採用が決まったのだから落第させるのは忍びないと卒業させる。彼等の頭の中は大学二年の段階で止まっているのだ。企業はこうした事情は百も承知の筈で、これで「最近の学生は早期退職が多い」と嘆くのはお門違いと言うものだろう。
これの解決策は面接の際に、四年間の成績証明書と卒業証書を持参させることだろう。そうなれば学生は必死に勉強するだろうし、教授陣も懸命に指導するだろう。あの大学の卒業生はレベルが低い、という評判は絶対避けたいだろうし、勢い教授陣の選別にもプレッシャーがかかる筈だ。
乱暴な話だが、中身のない大学は潰れるに任せればいい。そもそも中身がなかったからなのだ。競争原理から言ったって当たり前なのだ。そうすれば、大学への研究助成金も増えるのではないか? 要するにパイに対して大学が多すぎるのだ。
が、これは過激な話ではないかも知れない。普通の企業社会では当たり前に日常的に起きていることなのだ。大学や大学院に過保護なのだ。行政がここに踏み込むとは到底思えない。出来るのは学生を雇用する企業だ。なにしろ、この問題は企業にとっては死活問題だから……。


よみがえる力は、どこに

2012-07-09 15:17:09 | 日記

城山三郎著  新潮社刊

本書は三部構成になっている。第一部「よみがえる力は、どこに」、第二部「君のいない一日が、また始まる」、第三部「同い歳の戦友と語る」。
第一部は著者の様々な著書で読んでいるので、改めての感想はない。というか、同感しているので、歯軋りして今の各界の指導者を罵倒するしかない。第二部は「そうか、もう君はいないのか」の補遺で、他人事ではないな、という気持にさせられる。
第三部の吉村昭氏との対談では二つのことに気が付いた。ひとつはふたりとも、いわゆる文壇の人ではないんだな 、ということ。ただ、ひたすら自分のテーマを追い続けた作家なのだという印象を改めて感じだ次第。
二つ目は、昭和2年生まれというのは実に微妙な歳だと言うこと。徴兵検査を受け、海軍に入隊したもののわずか三ヶ月で終戦(城山)、他方は結核を二度やって徴兵検査は受けたものの、兵士を経験しないまま十日後に終戦(吉村)。そして、共通するのは戦争に対する考え方である。ここが、一番読み応えがあった、ここから先は書かないが、自分の思想・信念を貫くためにどれほど堅固な姿勢を取り続けなければならなかったか、それが二人の人生をどう形づくったか、それが痛いほど分かる。