小澤征爾さんと、音楽について話をする  小澤征爾×村上春樹

2012-02-29 09:51:35 | 日記

新潮社刊

この本は読み手を選ぶ本。
村上春樹に魅かれた人には、最低クラシックが好きという必要条件が、小澤征爾に魅かれた人ならば、クラシックに精通していることが絶対条件になるという具合だ。これらの条件を満たしている人には、極上の対談集だと言える。なにしろ、奥が深いのだ。
それにしても、村上春樹は至福の時間を過ごしたものだ。羨ましい。世界的なマエストロが総譜(指揮者用のスコア)を手にしながら「この音は、ほら、ココの部分。ね、作曲家自身がこう指示しているの」「ね、タ、タ、タァ~ン、タ~ン、と言う具合」などと、レコードやCDを聴きながら教えて貰えるなんて、凄いと思いませんか。それを聞く村上春樹も「音楽好きはたくさんいるけれど、春樹さんは正気の範囲をはるかに超えている(小澤)」。つまり、「狂」に近いクラシック通で凄いのだが……。夢のような、個人教授、こんな機会が誰にでもあるとは、とても思えない。
誰にでも勧められる本ではないけれど、素晴らしい対談集です。私? 辛うじてツイテいけました。その代わり、部屋中のCDを探してやっと何曲か見つけて聞いたりしたものだから、とても時間がかかりました。


世界屠畜紀行

2012-02-27 15:10:02 | 日記

内澤旬子著  角川文庫

同じ著者の『飼い喰い』に頻繁に本書が引用されているので、読みたくなった。実は本書が単行本で発売された時にも関心を持っていた(私は解剖が好き)のだが、他に読みたい本があったので後回しにしていたのだ。後悔している。というのも、彼女の得意技であるイラストと手書きのコメントが、文庫版では縮小されていて充分に堪能できなかった(視力に自信がない方は、ぜひ単行本で読まれることをお勧めする)。
それにしても、著者はいい度胸をしている。と言うか、微妙なナイーブさを忘れて生まれてきたようだ(と言う私も解剖好きなのだから、オツカツか?)。本書を読んで尽づく感じたのは、日本人の繊細さ、器用さ、変わり身の早さである。肉食が公認されたのは、わずか百数十年前。それが軒先から、BSE問題に対処できるまでの技術、システムを創りあげたのは驚異とも言える。
もうひとつ。問題、被差別扱いが今もあるということ(仏教が主体的な国に共通)。「何故なのか?」という著者の熱い疑問は、充分納得できる答えを得ることがてきなかったようだが。私としては、情けなくなってくる。仏教の経典に便乗した権力側の差別に過ぎないものを、今も頑なに信じているとは。彼女が『飼い喰い』に挑戦したのは、ここにあったのだろう。彼女の真意をぜひ分かってあげてほしいと思う。


飼い喰い  三匹の豚とわたし

2012-02-25 08:35:36 | 日記

内澤旬子著  岩波書店刊

牛の次は豚である。意図した訳ではない。たまたまこういう順序になっただけ。
それにしても「飼い喰い」というタイトル、やや品がないとも思うが、本の内容を的確に表しているのだから良いのだろう。但し、著者も言っているようにほんの半世紀ぐらい前までは、庭先で飼っていた鶏や豚、時に老いた牛を潰して食べるのは当たり前だったけれど(私自身鶏ならば何度も潰したし、親戚の家では牛を潰した)、誰もそれを「飼い喰い」とは言わなかった。
内容は予想したとおりだった。予想外は、食感を確かめるために三種類の豚、中ヨーク・三元豚・デュロックを同時に飼ったということだった。豚一頭でも大変な手間がかかると思うのだが、女手ひとつで三頭というのは無謀というか冒険というか……。
しかし、約1年に及ぶ「軒先豚飼い」をやり遂げたのは凄い。帯に「前人未踏の体験ルポ」とあるが、嘘ではない。「どんな味だったか?」は、本文に譲る。しかし、著者は肉食する時、これまでとは違う感性を持たざるを得ない、ということは分かるような気がする。
ただ、ここでも「配合飼料・ハイブリットトウモロコシ」の陰がちらつく。これは世界的な傾向なのだろうが、もはや後戻りできない所まで来てしまったようだ。


江戸の卵は1個400円!

2012-02-24 08:44:41 | 日記

 丸田 勲著  光文社新書

サブタイトルは「モノの値段で知る江戸の暮らし」。本書では文化・文政年間(1804ー1828、将軍は十一代・家斉)を基準にしている。
本書を通読して感じたのは、最近の時代小説に登場している人々が豊か過ぎるのではないか? ということだった。下級武士を含めて当時の人は古着が当たり前、庶民の住いは九尺二軒の長屋が当たり前、武士階級は借金漬けという背景からはほど遠い生活なのだ。
一方、江戸の人々が贅沢だったのも事実。祭りに芝居見物、酒に食い物。しかし、その裏には最低必要なものしか手にせず、モノは徹底してリサイクルし、その日暮らしでも生活が成り立っていたことがある。仕事は好き嫌いしなければ沢山あったし、工夫次第で起業することだつて可能だった。
どうも、最近の時代小説に違和感を憶えるのはこの辺にありそうだ。現代の物価と比較しているので、思わずニヤリとしてしまったり、今と変わらないじゃんと思ったり、なかなか楽しめます。
 

 


ステーキ!  世界一の牛肉を探す旅

2012-02-21 14:32:39 | 日記

マーク・シャッカー著   中央公論新社刊

残念ながら、私は「魚派」であって、牛肉は一年を通して1キロ食べているかどうか、だ。著者のように一週間に二キロ近く食べるなんて、想像も出来ない。
本書を通して見えて来るのは、草食動物である牛が、今や穀物食動物になってしまったことだ。しかも、餌となるトウモロコシは遺伝子組み換えのハイブリットで、おまけに抗生物質と成長ホルモンまみれときている。これが本来の牛肉の旨さを阻害しているそうだ。著者の父上は1953年には本物のステーキを食べたそうだから、僅か半世紀で変わってしまつたということになる。ジェーン・グドールによれば、この事情はブタもニワトリも、そしてフォアグラも変わらないらしい。
ここで問題は二つに分かれる。ひとつは昔ながらの草食で育った牛肉の「味」を知っている人。もうひとつは草食紛いの牛肉しか食べていない人。前者は、旨いステーキを求めて世界中を旅する必要がありそうだ。後者の人は、まっ、そのままでいいのではないか。前者の人達には、著者が「これぞステーキ」といった産地と店名が列挙されているので、訪ねてみるといい(著者は松阪牛や神戸牛に高得点を与えていない、ことに注目)。
要は感性と好みの問題だと思うのだが、著者の拘りは半端ではない。ステーキに目のない人には必読の本。但し、要所に散りばめられている食物栄養学・化学・医学の部分を読み飛ばさないように!
巻末に、「おいしいステーキを焼く方法」が掲載されているので、参考にするといいでしょう。もっとも、コツはたったひとつらしいが……。

 


宇宙はなぜこんなにうまくできているのか

2012-02-18 15:43:27 | 日記

村山 斉著  集英社インターナショナル刊

宇宙物理学に関して、今まで読んだ本の中では一番分かり易い本かもしれない。逆説的に言うと、私がこれまで読んだ本の混乱状態を、大まかな粗筋で整理してくれた本だと言ってもいい。
勿論、ニュートンの万有引力の法則も、アインシュタインの一般相対性理論や特殊相対性理論、ケプラーの法則も避けることは出来ないが、小難しい数式も理論も出て来ない。「要するに、こういうことなんです」と言った調子。しかし、近年話題になっている暗黒物質「ブラックマター」についても、ちゃんと説明されている。
ビビらないで読んだほうがいい。宇宙物理学の全体像を知るには恰好の本。
一筆啓上。著者は例え話がもの凄く上手い。銀河の中心から我々の太陽系の位置を表現するのに、「人口過密都市から遠く離れた郊外にある新興住宅地」という具合。こんな喩えには、お目にかかった事がない。

 

 

 

 

 

 


われ敗れたり

2012-02-18 08:42:52 | 日記

米長邦雄著  中央公論社刊

永世棋聖・米長邦雄が将棋コンピュータソフト「ボンクラーズ」と対戦した、対戦録。対戦したのは今年の1月14日、本書が発売されたのが2月10日。異例の早さだと言っていい。それだけに生々しい、臨場感に溢れた内容になっている。
本書を読んで、私は二つのことに気がついた。但し、将棋戦の中味をコメントするのは私の手に余るので詳しくは触れない。
米長氏は、初手でコンピュータを混乱させる作戦を採った。これは、多少でもコンピュータを知っている私には納得出来た。初手のパターンはそれほど多くはない筈だからだ。素人の私は角道を開けるか、飛車先の歩を一手進めるかくらいしか知らない。パターンが少ない(それに持駒がない)ということは、コンピュータにインプットされていない、つまり定跡ではない一手を指すとコンピュータはどう反応するか。無視するか、相手が間違っていて自分が有利になったと判断するかではないか? 
後手の米長氏の初手は、6二玉だつた。このような手はこれまでの手合いではなかつたそうだ。但し、これが奇手なのか、妙手なのかは私には分からない。ただ、このことは、過去の日定跡の集合体であるコンピュータソフトでは対応できなかった、ということを意味しているのではないだろうか。
もうひとつ。ソフトの開発者の話によると、コンピュータに「構想力(想像力?)」を持たせるのはたいへん難しいそうだ。つまり、米長氏は「序盤で混乱させて、相手を自分の陣地に誘う」という戦略(構想)を立てていた。一方、コンピュータはその場その場で最善の手を考えていた。ここに、将棋ソフトの弱点がありそうだ。
将棋好きの人にはとても面白い本だと思う。巻末に「自戦解説」が載っているので、棋譜を参考に実践してみることも出来る。

 


 

 


再び、立ち上がる!  河北新報社、東日本大震災の記録

2012-02-16 15:02:23 | 日記

河北新報社編集局著  筑摩書房刊

前書『河北新報のいちばん長い日』 を読んだ以上、読まざるを得ないではないか! という理由(わけ)で、読んだ次第。
まずは、ご苦労様と言いたい。被災地を本拠とする河北新報としては、これはぜひともするべき仕事であったし、それを実践した努力は素晴らしい。しかし、辛かったでしょうね。「あの時、もう一歩踏み込んで取材していたら」「なぜ、あの時そこまで気がつかなかったのか」そんな気持で取材したのに違いないと思う。その気持はよく分かる。でも、中央のメディアが次から次へとテーマを変え、事件を風化させていったのと違い、その地道な取材姿勢は充分評価されていい。
特に「検証」というスタンスを取ったのがいい。規則やルールを作れば事足れりというわけではないことが、読んでいてよく分かる。この報道が地震報道や鉄道の運行ルールの改正に結びついているのではないか。だとすれば、以って瞑すべしではないか。しかし、人間というのは身勝手なものである。経験も風化すれば、自我が優先してしまう。その結果もたらせた悲劇は目を覆うばかりだ。
この検証作業をこれからも継続していって欲しい。まだまだ問題は山積している。政府が打ち出す対策が十全なものかどうかは、この検証作業が明らかにしてくれるだろうからだ。政府と中央官庁には言いたいことが山ほどあるが、それは言いまい。「出来るだけのことはやった」なんてセリフは、政治家の辞書にはない筈だ。

 

 


ヒューマン  なぜヒトは人間になれたのか

2012-02-14 14:53:22 | 日記

NHKスペシャル取材班  角川書店刊

ユニークな企画である。いわゆる人類史ではなく「人類の『心』の進化史」を辿ろうというのである。原始共同体を営んでいた紀元前の人々と、現代に生きる我々の「心」では進化があったのか? という視点は面白い。
しかし、である。「心は化石としては残っていない」。心の進化を、考古学のように人骨や遺跡から実証することは出来ない。ここにアプローチの難しさがある。
ひとつだけ例を挙げる。弓矢(飛び道具全般と考えてもいい)の発明である。遠くから忍び寄って獲物を狩るには、画期的な武器だった。槍で獲物を倒す危険性から退避し、共同体を養い、人口を増やすのに成功した。しかし、何時からかその矢は同胞である人間に向けられ、殺人の道具になった。ココに人間の「心」のどんな飛躍があったのだろうか? 人類は様々な発明をしてきた。しかし、この例のようにどのような発明にも功罪二面性があった。
例えば、貨幣。貨幣は人種や国境を飛び越え、世界的な価値観の共通性を創出した。しかし、一方で金を貯めるということが第一義となり、かつて共同体に普遍的に存在した「助け合い」という観念を破壊した。「地球温暖化」問題。依然としてアメリカや中国は批准していない。
本書に結論はない。結論は、我々自身が出すものなのだ。
「人間とは?」「人間の心とは?」「人間の心は『進化』したのか?」 深遠で大きなテーマが答えを出せずに漂っている。どうすればいい?

 

 

 


未解決事件

2012-02-10 15:30:16 | 日記

マイケル・カプーゾ著  柏書房刊

警察が捜査打ち切りにしたり、証拠不充分で裁判所の判決に納得できない被害者の家族、こういったいわゆる未解決事件(コールド・ケース)というのは、どこの国にもあるのではないか。時には権力者(宗教関係者も含めて)が、捜査を阻止する場合もあるに違いない。
本書の主人公「ヴィドック・ソサエティ」は、そうした家族や時には捜査打ち切りに納得しない現場の捜査官の「駆け込み寺」の話だと言っていい。
この会のメンバーが凄い。フィラデルフィア市警、FBI特別捜査官を経て、米国税関局特別捜査部長補佐、そしてポリグラフ検査と尋問の世界的権威。刑務所の精神分析官を経て、連続殺人犯を分析するプロファイリングの手法を開発した犯罪心理学者。法医学アーチティスト、犯人の十数年後の顔を予想して胸像を創る。この三人が創設者。その他にもベテランの殺人事件に携わったリタイアした人、現役のメンバーが百人近くいる。
断っておくが、これはノンフィクションである。著者をみて早合点しないでほしい。それにしても、全て殺人事件の話である。とても半端な数じゃない。アメリカという国の別な側面をみた。
これ以上書くと、読む人の権利を侵害し兼ねないので、ここで止める。とにかく面白い。そして、これが事実であることに怖さを感じる。シャーロック・ホームズより数倍おもしろい。週末に読むことをお勧めする。念のため。