謙信の軍配者

2011-07-30 15:46:30 | 日記
富樫倫太郎  中央公論新社刊

本書は『早雲の軍配者(風魔小太郎)』『信玄の軍配者(山本勘助)』に続く最終巻。この巻の主人公は、宇佐美冬之助。歴史上、軍配者・軍師として知られているのは、秀吉の軍師竹中半兵衛や本書の山本勘介が代表で、風魔小太郎は忍者集団の頭領としては知っているが、軍配者とは思ってもみなかった。まして、上杉謙信に軍師がいたとは知らなかった。3人の軍師の立場からそれぞれの武将を分析しているのが、この小説の読みどころ。
面白いのは、ここに登場する3人が共に足利学校の出身者だということだ。詳しくは最初の巻に譲るが、この当時足利学校は日本で最高の大学だった。一流の識者、四書五経は勿論のこと、軍学、兵学、陰陽道、文学とおよそ考えられる学問を一流の学者、僧が教える大学だった。そればかりではない。ここに集められた書籍、文献は日本有数のものだった。
面白いところに目をつけたと思う。


平安遷都  シリーズ日本古代史⑤

2011-07-29 14:54:39 | 日記
川尻秋生  岩波新書

シリーズ⑤は平安時代前半(8~10世紀後半)。平安時代はその後の日本の骨格を創った時代と言っていい。なにしろ、平安京は、その後1100年に亘って日本の都であり続けたのだから。桓武天皇が即位して長岡京を都に定めたにも拘らず、なぜわずか15年で平安京に遷都したのか、まずはそこが焦点となるだろう。
次のポイントは、最初の勅撰和歌集として『古今和歌集』が編纂されたことだろう。ここに日本語に漢字主体(官庁の法令や公式文書は依然として漢文が主体だったが)から、平仮名という新しい表記体がうまれた。『源氏物語』『枕草子』誕生の素地が創られたのである。
第3のポイントは「職」の誕生である。家職である。陰陽道の安倍清明を挙げれば十分だろう。要するに専門職を持つ家系・集団の誕生である。しかし、この過程で武士集団(源氏・平氏)が生まれたのは、歴史の皮肉と言わなければならない。平安時代は約400年続くが、その後朝廷が国政の主体であることはなかった。この辺を押さえて読むと面白い。
ただ、私の勉強不足かもしれないが、平安時代は「古代」だったろうか。まっ、次の最終巻で分かるだろうが。

大特集 空海 花ひらく密教宇宙

2011-07-28 15:15:26 | 日記
夢枕芸術新潮8月号  新潮社刊

密教が日本に伝来したのが9世紀、それから1200年ということもあるのだろう。空海(弘法大師)や密教をテーマに特集した月刊誌が多い。今月も4誌か5誌が出ている。
本誌の特長は、「密教はどこから来たのか」という章が冒頭にあることだろう。全ての雑誌を読んだわけではないが、どちらかというと空海を中心に構成されていて、密教そのものの歴史、その本質に触れたものはなかったように思う(勿論、それなりに書かれているが、総論の域を出ていない)。そもそも、密教がどういうプロセスでどこで誕生したのか、禅宗やその他の仏教とどこが違うのか分からないという不満があったので助かった。
もうひとつは、さすが『芸術新潮』というか、仏像の写真が素晴らしい。見応え十分。
ところで、入唐時代の空海については、夢枕獏の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』をお勧めしたい。密教の理念、空海の師・恵果、その師・不空、空海以前に恵果から灌頂を受けた義明といった人々との人間関係が詳しく活写されている(勿論、フィクションの部分もあるが、夢枕獏は史実はきちんと押さえているので、安心して読める)。ついでに、密教というものがどんな修法をしているのかも垣間見ることができる。

建築する動物たち -ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまでー

2011-07-25 15:12:37 | 日記
マイク・ハンセル著  青土社刊

「生態工学」という言葉をご存知だろうか。タイトルやサブタイトルで見当がつくように、生き物が巣や罠などを作る行動を研究する分野らしい。「動物行動学」の一分野らしいが、まだまだ研究の余地が沢山ある分野だそうだ。どおりで、養老孟司先生が「絶賛」している訳が分かった。
例えば、クモの巣は見馴れているが、あの複雑な紋様を作るにはそれなりの知能が必要に思われる。あなたならば、どこから始めます? シロアリの塚は時に6メートルを超すものもあり、何百万ものシロアリが住んでいる。ミツバチやアリの巣も複雑で、人間でもそう簡単には作れそうにない。
しかし、著者の結論は「これらを作るのに緻密な脳は必要なかった。これらの行動は全て遺伝子にインプットされていた」と言うのである。勿論、それらがそれぞれの遺伝子の何処に存在しているかは、これからの研究を待たなければならないが、著者はさまざまな傍証からこれを立証している。
虫好き、いや魚でも鳥でも生き物が好きな人には堪らなく面白い本。どころか、素人でもすぐにでも手を付けられるようなテーマが沢山ある。もしかしたら、あなたが新しい学説を発表できるチャンスがあるかもしれませんよ。

天才数学者はこう賭ける  -誰も語らなかった株とギャンブルの話ー

2011-07-22 15:29:30 | 日記
ウイリアム・パウンドストーン著  青土社刊

この本を読んで、競馬やブラックジャック、株式投資に勝てる、と思った人はまず負ける。
この本は金輸工学を熟知した天才的頭脳が、「場」に臨んで打って出る必勝の手を考えた歴史の本。そのうちの何人かは実際にブラックジャックや株式投資にチャレンジした話でもある。勿論、成功してひと財産を築いた人も居る。
しかし、ギャンブルや株式投資に関して、必勝法がまるで書かれていない、というわけではない。注意深く読めばそれなりのヒントはある。ただし、この本を読んでヒントを貰った人はあなただけではない、ということを忘れない方がいい。
結論は…、かなりの努力が必要で、その努力の情熱を別の方へ向けた方が大儲けできる可能性はかなり高い。というのが、私の結論。
但し、ギャンブル好きな人には一読の価値あり、です。

森 毅の置き土産  傑作選集

2011-07-20 14:45:07 | 日記
森 毅著  池内 紀編   青土社刊

森毅は好きな数学者のひとりだった。同時に対談者、エッセイストとしても忘れがたい人だった。京大教授というと、私が知っている人たちはどの人たちも型破りの人達が多いという印象がある。一般教科の先生達は良く知らないが。
森氏の根幹にあるのは大阪商人というか、京都人というか、町人という視点だったと思う。例えば、「分からない」ものは「分からない」。そこのどこが悪いか、分かったとしてそれが「なんぼになる」という視点。むしろ「分からない」という疑問をずっと抱え込むことが大事だという視点。急いで分かる必要があるのか、まして、若い時はいろいろなことに気を取られるのが当たり前。それでいいという視点。
あの独特の風貌と関西弁で話す姿に二度とお目にかかれないのが残念だ。大切なのは、その切り口の奥に潜む「人間への洞察」と「哲学」である。近頃骨のある辛口の大人が次々と冥界へ旅立って行く。残された我々は、つまらない凡人の御託を聞く羽目になりそうだ。
どうして、こうも人間が小粒になって来たのかなぁ。政治家も、企業家も、教育者も……。

イスラム飲酒紀行

2011-07-18 15:53:38 | 日記
高野秀行著  扶桑社刊

著者は余程の酒好きらしい。各章の出だしは「私は酒飲みである。休肝日はまだない」で始まる。彼の枕詞らしい。彼と競うわけではないが、私は酒を飲み始めてからこれまで飲まなかった日など一日もない。
といった枕詞はともかくとして、彼はカタール、ドーハ、パキスタン、アフガニスタン、チュニジア、イラン、マレーシア、トルコ、シリア、ソマリランド、バングラデシュと、イスラム教国を取材しながら、その傍ら「酒はないか」とひたすら探しまくったそうだ。読んでいるとそちらの方が、メインではないかとさえ思えてくるのだが……。結論。喩え厳格なイスラム教国でも、酒はあるし、呑ん兵衛もいる。
よく考えてみれば、当たり前かもしれない。人類はその誕生から酒を造っていた。おそらく猿たちが造っていた果実酒の上前をはねることにに始まり、ついには自前で造り始めたのだろう。宗教が発祥するはるか以前のことである。酒の味を覚えたのは、ありがたい宗教の教えを知る前だったのである。
まっ、手近かなところで日本を見ても、坊さん達は酒を「般若湯」と言い換え「酒ではない、お湯だ」といって呑んでいた。人類が存在する所に酒あり、そして酒を呑む言い訳ならば五万とあるということか。
禁酒している方は、どうかそのままお続けください。本書を手に取ることもお控えになった方がいいかもしれません。



広辞苑の中の掘り出し日本語

2011-07-16 08:30:22 | 日記
永江 朗著   バジリコ㈱刊

「辞書を読む」と言うと、意外に思うかもしれない。つまり、日本語のデータバンク。著者も前書きで言っているように、データバンクの使い勝手から言えば、「電子辞書」の方が便利だし、分厚いページを捲るよりはるかに便利だ。しかし、電子辞書を使うのは「ピンポイント攻撃」に似ていて、調べたい項目や意味が分かればクリアしてしまうのが普通ではないか。
でも、思い出して欲しい。たまに『広辞苑』なり『大辞林』を引いた時に、肝心の言葉よりも先に同音異語や似たような漢字をつかった単語に目が行って、ついついそれを読んでしまうという経験をしたことはないだろうか。
辞書には言葉の歴史、由来はもちろんだが、その国の文化がある。前回紹介したように「豚に真珠」と「猫に小判」は同義の俚諺だが、その国の人々が豚と猫どちらに身近だったかを物語っている。
辞書は「知らなかったこと」「誤解していたこと」「初めて知った自分の国の歴史」を再発見できる「本」なのだ。つい最近『そして、僕はOED(Oxford English Dictionary)を読んだ』という本が出版されたが、世間には結構こういう人たちがいるのだ。
酷暑の昨今、寝転んで読むには格好の本。ただし、誤解して得意そうに使っていた言葉に冷や汗をかいたりして、思わぬ効果があったりして……。

友よ 弔辞という詩(うた)

2011-07-14 09:10:35 | 日記
サイラス・M・コープランド編  河出書房新社刊

よいタイトルだと思う。原題は「FARWELL、GODSPEED」だから、これは翻訳者の井上一馬氏の冴えだろう。
本書はタイトルにもあるように、故人を悼む弔辞を集めたアンソロジーである。弔辞の読み手は故人の家族、親友、同僚達である。ハンフリー・ボガードにジョン・ヒューストンが、ジャンニ・ヴェルサーチにマドンナが、チェ・ゲバラにフィデル・カストロが、カール・マルクスにフリードリヒ・エンゲルスが、ヴァージニア・ウルフにクリストファー・イシャーウッドが、ジャクリーン・ケネディ・オナシスにエドワード・M・ケネディが捧げた弔辞が集められている。これらの人々を含めて29人。
どれも含蓄があって素晴らしい。まさか、弔辞を評する訳にはいかないから読んでみて欲しい。ただ、読み終わった時、ふと思ったのは私の弔辞は誰が読んでくれるのかなぁということだった。気の効いた友人が思い当たらないのだ。これからでも遅くはない。それに相応しい友達をつくるよう心掛けよう。

シモネッタのアマルコルド -イタリア語通訳狂想曲ー

2011-07-12 08:27:28 | 日記
田丸公美子著  NHK出版刊

著者はロシア語通訳のベテランだった故米原万理氏が、イタリア語通通訳界の大横綱(後に続く大関、関脇、小結なし)と評した斯界の草分け的存在の人。洒脱な文章とユーモアは折り紙付き。しかも、ニックネームから推測できるように、下ネタに関しては抜群の冴えを見せる。熱帯夜にはお誂えの本。
というわけで、ここではそれについては書かない。読む楽しみを先取りするのは野暮と言うもの。
そこで少しお堅いと思うが、著者や米原氏が共通して主張していることに触れたい。通訳とは、母語を外国語に、外国語を母語に翻訳する話者である。それくらいならば帰国子女や海外留学した人達ならば出来るのではないかと思うかもしれない。くだくだした説明の代わりに例題をあげてみる。イタリア語で「豚に真珠」「目から遠ければ、心からも遠い」もうひとつ「馬の尻尾よりロバの頭の方がまし」。これをそのまま日本語にしても日本人には、なんのことだか分からないだろう。通訳者はこれを次のように訳せなければ失格である。「猫に小判」「去る者日々に疎し」「鶏口となるも牛後となるなかれ」。お分かりだろうか。イタリア語をそのまま逐語訳しても、それは通訳とは言わないのである。
つまり、母語を(この場合は日本語)完全にマスターしていないといけない。もう少し深入りして言えば、日本語、なかんずく日本の文化を完璧に身につけていないと通訳(翻訳も同様だが)したとは言えないのである。ここで、最近の英語教育に話は飛ぶ。日本語で碌な文章も書けない(そこまでに到達していない低学年)者に、英語教育をしても日本語も英語も中途半端になってしまうのは、火を見るよりも明らかだ。
著者も米原氏もこの点を何度も何度も強調しているのだが、今に至るもそうした意見が公になることはない。ああ……。