ハマスの息子

2011-06-30 14:57:19 | 日記
モサブ・ハツサン・ユーセフ著   幻冬舎刊

これは、元スパイの自伝である。彼の背景は複雑だ。まず第一に彼はイスラム教徒だった。父はハマス(ヨルダン川西岸とガザにおけるイスラム教の抵抗勢力。自爆テロに代表されるテロリスト組織のひとつ)創設者の七人のひとり、シェイク・ハッサン・ユーセフ。当然、彼は年少(わずか9歳)の時からイスラエルの軍隊に投石していた、筋金入りハマスの一員だった。勿論、彼はハマスにあってはプリンスだった。
その彼が18歳で敵であるイスラエルのシン・ベット(イスラエル総保安局。アメリカのFBIに匹敵する)のスパイになってしまう。父親の安全を条件にスパイとしてイスラエルのために尽力をつくす。
この過程で分かることは、ノーベル平和賞を受賞したアラファトも、同時に受賞したイスラエルの首相もとんだ曲わせ者だったということである。世界中の人々がその擬態に騙されていた事を赤裸々に伝えている。これまでテロリスト側からの告発など(あったかも知れないが、世界のマスコミは歯牙にもかけなかった)なかったから、これは衝撃的だった。ノーベル賞選考委員会はとんでもない過ちを犯したことになる。
ところが、その後、彼はキリスト教に改宗してしまう。味方したイスラエルのユダヤ教ではなく。そして、32歳の時にアメリカに政治亡命してしまう。ここで、日本人としては途惑ってしまう。
実は、この自伝に通底しているのは「宗教」である。我々はイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の微妙な違いが分からない。しかし、宗派によっては人を殺すことも、人を助けることも正義なのだ。「宗教」というのは怖い。昨日まで人を殺して痛痒を感じなかった人間が、翌日には人を救う。宗教の為せる業と言えばそうなのだろうが。
日本人にはよく分からない。
イスラエルとパレスチナの関係が分かる本。

知能礼賛  痴愚なんか怖くない

2011-06-28 15:23:52 | 日記
ホセ・A・マリーナ著   近代文藝社刊

著者はスペインの作家・哲学者。正直言って哲学はどちらかと言うと苦手なジャンルで、大学でも辛うじて「可」を取った程度。その私が無謀にも本書を手にしたのは、ひとつにはスペイン出身の哲学者であること(本邦初の翻訳)であったこと、もうひとつは「はしがき」の次の一行に魅かれたことにによる。その一行とは「すべての学校で痴愚の役割が主要科目として教育されて、われわれにーここでの私は楽天的であるー痴愚に対して免疫性を与えられるとすれば、かなりの社会的利益がもたされることだろう」というものであった。著者は痴愚は誤解を招くとして「知能の破綻」といっている。
哲学が、言わば思考の過程を綿密・詳細に吟味し、展開する、その論理的展開に重きをおくことは解っているが、結論は平凡なものだった。
「痴愚の一本調子で、絶えず繰り返される歴史ー錯誤、幻覚、残忍、大量虐殺、貪欲(これらは絶えず新しい錯誤によって生み出される)ーに鑑みて、人類の、したがってまた知能の、勝利の歴史を語ることが予告できよう」。その通りである。
哲学とは、何と持って回ったことをこうもクダクダと記述するのだろうか。と、まぁ、こんな感想をしか持てないから「可」だったのだろうな。
本書のこうした結論を諒とするならば、歴史学者の結論とそう大差はない、と思う。「苦手」とは、「それを理解する能力」欠けている、ということを自覚するべきだった。

不死細胞 ヒーラ  ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生

2011-06-25 14:53:19 | 日記
レベッカ・スクルート著  講談社刊

ヒーラ細胞というのをご存知だろうか。癌について詳しい人ならば、思い当たるかもしれない。子宮頚部扁平上皮癌に罹った、ある黒人女性(ヘンリエッタ・ラックス)の癌細胞の名称である。「不死」といわれているのは、この細胞が採取された1951年以来、今も生き続けていることに由来する。詳しい経過は本書に譲る。
さて、この細胞の存在が意味することを考えてみたい。まず、この細胞が存在することで癌に対する研究が大きく進んだことが挙げられる。なにしろ、世界中の病院、研究機関、医学者が所持しているのだ。細胞の小瓶=バイアル一個あたりたった25ドルで販売されているのだ。
次の問題点は、これが彼女の同意なしで採取され、培養されていることである。ただし、これは当時のアメリカにおいては違法ではなかった。いや、現在でも違法ではない。日本でも違法ではない。手術の同意書に、素人では分かりにくい表現で表記されている。
第3点は、わずか何ミクロンというこの細胞が並べると、地球を3週するほど出回っている(たった25ドルで)にも拘らず、彼女の親族には一文も払われていない(健康保険すら賄えないのに)ということである。
第4点は、当時はゲノム解析など思いもよらないことだが、今日ではゲノム解析で彼女の一族の病歴は勿論、遺伝形質まで分かってしまうことだ。特に、アメリカでは保険加入拒否されることさえありうる。
これらのことを、どう考えたらよいのだろうか。医学の進歩の前には眼をつぶっていなければならないのだろうか。それとも……。
ひとつだけ、指摘しておきたいことがある。日本でも、これは日常的に行われているらしい。手術を受ければ、その病因となつた細胞は採取され、冷凍されるか、培養されているのだ。
とんでもない本を読んでしまった。

発掘された日本列島2011   新発見考古速報

2011-06-22 15:16:23 | 日記
文化庁編   朝日新聞出版

最近、何度か日本の古代史、あるいは日本史全般について、古墳、遺跡の発掘が進み、これまでの推測、憶測から具体的な裏づけが進み、史実が明らかになってきたと書いてきた。
本書は、文化庁が2011年6月現在である程度評価の定まった遺跡の調査報告である。別に難解な学術論文ではない。カラー印刷でかなり平明な解説が付されている。素人にも分かり易い案内書である。
それにしても、である。教科書で習った時には、石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代→飛鳥時代……と続くはずだった。現在では縄文時代だけでも、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期と細分化されている。弥生時代・古墳時代も前・中・後期に細分化されている。勿論、細分化されたのには理由がある。
これまでは、畿内を中心に九州など西日本が文化的進んでいて、東北は遅れた地域というのが定説であったが、そうではなく日本列島全体に文化的交流があった事が分かる。当たり前というか、こんな小さな国土だもの、その方が当然だと素人の私は思ってしまうのだが……。
小難しい解説もなく、しかもビジュアルで楽しめる本。付言すれば、ここに掲載された出土品は東京、新潟、静岡、九州、高知で巡回展示されるそうである。

アフリカで誕生した人類が日本人になるまで

2011-06-20 15:49:01 | 日記
溝口優司著   ソフトバンク新書

日本人が何時誕生したのか、そのルーツはといった問題には大抵の人が興味を持っている筈である。かつては騎馬民族説とか、コロボックル説とか、荒唐無稽な説もあったが、さすがに現在ではそれを真に受ける人はいない。
最近のゲノム解析の結果、人類の誕生はアフリカにおいてであり、約700万年かけて地球上に拡散したこと、そして、そのルートもゲノム解析である程度明らかになってきた。しかし、個々の民族、インド人、インカ人、日本人といった人種の起源となると詳しいことははっきりと分かっていない、というのが現状らしい。
著者は大筋の所では、これまで多くの学者の研究成果積極的に取り入れており、違和感はない。本書の白眉は第3章「縄文から現代まで、日本人の旅」であろう。著者の結論をここで書いてしまっては、読む意欲を潰しかねないので、ここでは書かない。
ただ、気をつけたいのは、これまで学校の日本史の授業で習っていた時代区分を忘れることである。最近の古墳の発掘や、ゲノム解析、データ分析の結果、大幅に書き換えられているからだ。
それさえ念頭においておけば、3章はとても楽しめること請け合いです。

さむらい劇場   読み返した本 12

2011-06-18 16:00:52 | 日記
池波正太郎著  新潮社版

この作品は昭和42年に発表されたもの。池波ファンならばよく知っていることなのだが、この小説の主人公は榎平八郎だが、重要な脇役として平八郎の叔父・徳山五兵衛が登場する。彼は、鬼平犯科帳の長谷川平蔵の数代前の、火附盗賊改方長官である。ということは、『おとこの秘図』の主人公と同じ人物と言うことになる(こちらは昭和53年発表)。
両方を読み比べてみると微妙な違いがあるが、ストーリーの展開が実によく似ていることに気がつくはずである。というか、ほとんど同じなのである。どこが違うのかというと、前書が徳山五平衛の表の顔ならば、後書は五平衛の内面がテーマになっていることだ。
両書の間には11年の開きがある。ここに、池波正太郎の年輪が見えてくる。つまり、前書が男の生き方を書いたものだったのに対し、後書は男の内面、心情、生理を書いていると言える。ということは、年を経るに従って作者の関心が、人間とはどういう生き物なのかという点に遷っていったということになる。
ここが、ファンには堪らない魅力なのだ。なんど読み返しても、必ず新しい発見がある。すでに読んだという人も、試みにこのニ書を読み返してみて欲しい。こんな読み方もあるんだと納得できる筈である。

気骨の人 城山三郎

2011-06-16 15:38:48 | 日記
植村鞆音著   扶桑社刊

吉村昭に続いて城山三郎が亡くなった。ジャンルは違うが隆慶一郎も亡くなった。実力のある作家が相次いで亡くなるのは、正直言って淋しい。誰でも同じだと思うが、贔屓の作家の本を読めなくなるほど淋しいことはない。
さて、本書である。著者の植村氏は、城山三郎は「総会屋錦城」で直木賞を受賞して文壇デビューを果たしたが、その直木賞の直木三十五の甥にあたる。不思議な縁と言える。
タイトルは「気骨」の人とあるが、私はずっと城山三郎は「律儀」「孤高」の人だと思っていた。それは本書を読了した後も変わらない。「そうか、もう君はいないのか」を読んだ時にその感を強くした覚えがある。
それにしても、最近の小説には「足で書いた」ものが少ない。もっと言えば、「資料を読み尽くして、咀嚼」した小説が少ない。なにか、キーワードを思いついて一気に書いたというか、著者がなぜ、この小説を書きたかったのか、その情熱というかが分からないものが多いような気がする。
同じ昭和2年生まれに吉村昭、結城昌治、北杜夫、藤沢周平がいるそうだが、なんとなく分かる気がする。とくに、藤沢と吉村には親しみを感じていたそうで、ファンとしては納得できる。
しかし、彼らの小説をもう読めないのかと思うと切ない気持になってしまう。

ぼくらはそれでも肉を食う  -人と動物の奇妙な関係ー

2011-06-10 15:50:02 | 日記
ハロルド・ハーツォグ著  柏書房刊

まず、最初に言いたいのはこの本は、ペットを飼っている人、動物愛護精神から(あるいは他の理由から)菜食主義になった人、狩猟を趣味としている人、といった人たちにぜひ読んで欲しい。とくにペットを飼っている人に。と言って身構えては欲しくない。別に著者は、喧嘩を吹っ掛けているいるわけではない。例えば、ペットを安楽死させねばならない事態になれば、飼い主は悩みに悩むだろう。そんな時、他の人々はどう考えているか、あるいはどう考えるのがいいのかを教えてくれる。
著者は「人類動物学」分野の第一人者。耳馴れないジャンルだが、ここ20年ほど前に誕生した分野らしい。人と動物、特に動物愛護と言う思想が最近話題をよんでいる。イルカ殺しは可哀そう、クジラを食べるなんて野蛮だ、という非難が日本に向けて集中している。日本人にしてみれば、遊びで狐狩りしたり、アフリカのサバンナでシマウマやオカピをハンティングしている人たちから、そんなこと言われても首を傾げざるを得ない、というのが本音ではないだろうか。
人類動物学とは、こうした人と動物の関係について研究する学問らしい。動物実験に使われる動物に関しては、研究者も悩んでいるそうだ。それに、宗教も絡んでくる。殺していい動物、いけない動物。かと思うと「動物介在療法」というのが盛んだが、それに利用されているイルカや犬、猫、馬といった動物は人間の犠牲になっているのではないか。
というわけで、動物好きな人ならば思い当ること、それは違うだろう、などと半畳をいれながら楽しく読める本。なかには、「ベジタリアンは、魚は動物ではないと思っている」(アメリカの話)なんて面白い話も出ています。

インパラの朝  -ユーラシア・アフリカ大陸 684日ー

2011-06-08 09:32:32 | 日記
中村亜希著  集英社刊

本書は、第七回開高健ノンフィクション受賞作を加筆・改題したもの。タイトル通り約2年かけて、ユーラシアとアフリカ大陸の国々47ヵ国を旅した女性の記録である。
そのタフさと度胸は男顔負けである。もうひとつ、この旅が可能だったのは彼女がカルフォルニア大学アーバイン校に留学していたことだろう。つまり、英会話が堪能だった。実際、現地語が分からなくても、どこからか英語の分かる人が現れ、片言ながら話が成立するのだ。
ただ、300ページでは十分書ききれていない、という感じがした。端折られた部分に、どうしてそう感じたの? その後、どうなったの? という不満が残るのがもどかしい。そうした点を除けば、十分楽しめる。
著者も何度か触れているように、我々は世界の国々に対してあまりにもステレオタイプな知識しか持っていない。それが、その国の人々を本当に理解できない原因なのだ。貧困とか、支援とか、開発といった単語が、現地の人々にとってどういうことを意味するのか、彼女の旅はこれらに対する答えを捜す旅だったようだ。

昭和天皇とワシントンを結んだ男 -「パケナム」日記が語る日本占領ー

2011-06-06 15:31:41 | 日記
青木冨貴子著  新潮社刊

著者は『ニューズウィーク日本版』のニューヨーク支局長を3年務めたジャーナリスト。本書のテーマはタイトル通りであるが、真のテーマはこのタイトルでは大まか過ぎる。著者が明らかにしたかったのは、講和条約を推進したのは昭和天皇だった、ということである。
講和条約が調印されたのは、昭和27年(1952)である。そのための交渉は4年前から始まっていた。この頃日本の真の主権者はGHQのマッカーサーであった。その頭越しにこれを進めたのが昭和天皇だった。これが、どれほど危険なことだったことか。
サブタイトルの「パケナム」という人物は、イギリス人で日本生まれ、ニューズウィーク誌の日本支局長。彼が天皇とアレン・ダレスとの橋渡しをした。
データは信用できる。いかにもアメリカのジャーナリストらしい手法で、パケナムの日記からダレスら関係者の書簡、手紙、公文書といった一次資料を調べて書いている。
以前にも、終戦後の日本に関して昭和天皇が開戦中からバチカンと機密に交渉をしていた、という本を読んだことがあったが、本書でも天皇のそうした姿勢が変わらなかったことが分かる。
これからも、新しい事実が明らかになるだろう。本書は終戦という時代の、知られざる裏面を明らかにしたという意味で、一読に値する本だと思う。