歌舞伎 家と血と藝

2013-08-30 15:20:49 | 日記

中川右介著   講談社現代新書

本書の「戦国武将列伝の歌舞伎役者伝を描くつもり」という着眼点はいい。同じ「はじめに」でさらに「本書は家と血と藝の継承を描く」とも言っている。但し、読後感から言うとこれが成功しているのは同著者の『坂東玉三郎(幻冬舎新書)』だろう。本書では「藝」の部分は希薄で「家と血と財力」に力点が置かれている。
歌舞伎の世界の特異さは、家という垣根を超えて藝を伝承し革新していくところにある。言ってみれば家や血ではなく歌舞伎全体を継承しようとする本能がある。ここが戦国武将と豁然とするところではないか? 
つまり、著者の「はじめに」から抜けている部分があると言ったのはこの点である。歌舞伎の世界はなるほど家と血が大きな比重を占めているが、太い縦糸は「藝」と家と血の相克にある。確かに、途絶えた「藝」はある。しかし、様々な手段(ビデオや口伝、聞き書きなど)を通して復活させる努力もしているのである。
もっと厚みのある本を期待していたので、肩透かしを食ったような読後感を持ってしまった、

 


日本婦道記   山本周五郎 長編小説全集第四巻

2013-08-28 15:22:21 | 日記

新潮社刊

まず、31編もあるとは知らなかった。確か、文庫本で10何編か読んだと思っていたので、この多さに驚いた。そして、31編を読み通すのは正直言って辛んどかった。なにしろ、殆ど主旨は同じなのである(当たり前だけれど)。
私の印象だが、この連作は女性に対する願望、というか渇望というのが執筆の動機なのではないだろうか? そして、その割には何編かは中途半端というか、筆が先走っていて短編とは言え筋が読めない。
何故、これほど連作したのだろうか? 


江戸の色道  -古川柳から覗く男色の世界-

2013-08-27 08:43:39 | 日記

渡辺信一郎著   新潮選書

そもそも本書を買った動機は、『続春画』(平凡社 2008年)による。これらの春画の中に男色者・陰間が登場するのだが、これ自体には違和感はなかった。中国どころか古代エジプトの壁画にさえ描かれているのだから、男色は人類普遍のセックスライフだと思っている。
興味を持ったのは、この春画の中に陰子と遊女・亭主と女房と若衆(女房の妹まで参加している)といった組み合わせの春画があったことである。武士・僧侶・役者といった人々にその習慣があったのは周知のことだし、西欧でもそうだった。しかし、この中に一般庶民の夫婦や女性が陰間の顧客だったということは……? どうやら男色は男性の専売特許ではなかった。春画に登場しているということは、庶民の間でも特別の違和感はなかったということらしい。
なんとも大らかというか、無節操(今日の常識で言えば)のような気がするが、なんのわだかまりも持っていないようなのが面白い。本書にも勿論取り上げられている。そこで疑問なのは、この日本人の自由奔放なセックスライフが、なぜ禁忌となったのかである(良い悪いではない)。多分、明治以降欧米文化(というかキリスト教的な)を受容した時点からではないだろうか? 
残念ながら、本書はそこまで筆が及んでいない。当然だろう。著者の執筆意図は違うからである。しかし、ここまで男色に造詣が深い著者であれば、そこまで言及してほしかった。最近のホモセクシャルやレスビアンに対する世界的な動向を考えると、著者だからこそ言えることがあったと思うのだが……。
まっ、古川柳からこれを類推するのは、無い物ねだりだが。


生命の逆襲

2013-08-24 15:41:21 | 日記

福岡伸一著   朝日新聞出版刊

著者が「あとがき」で述べているように、本書は『遺伝子はダメなあなたを愛している』の続編にあたる。読後の第一印象は、著者にしてはなかなか深遠なエスプリの効いたタイトルだったと思った(失礼!)。解説はしない。平易に書いてあるだけに、その印象は深い。というわけで、本書の内容には触れない。
素晴らしいのは、表紙である。池田学氏の挿画だそうだが、これがなにを描いているのかしばらく時間がかかるに違いない。著者同様、子供時代ムシオタクだった私も一瞬首を傾げたくらい。とてもいい。
というわけで、これで終り。

 


総特集 森 茉莉(増補版)

2013-08-20 08:58:43 | 日記

KAWADE夢ムク  河出書房新社刊

正直言うと、森茉莉の小説は一冊も読んでいない。代わりにエッセイは大分読んだと記憶している。つまり、私にとっては森茉莉は一番対極にいる作家であって、作品についてとやかく言う資格はないのだが。
ひとつだけ、印象に残っていることがある。著者が言う「贅沢」である。因みに、サブタイトルは「天使の贅沢貧乏」である。本書にも取り上げられている三島由紀夫も、その贅沢を知っている人だと思うけれど、両者には微妙な違いがあるように思う。端的に言えば、森茉莉はそれを意識していなかったのに対し、三島の場合にはそれを充分意識していた、と言うか「それを知らない人々に教えたい」という気持が強かった。そのため、言葉を捜し、言葉を弄し、これでもかこれでもかと執拗に書いている。
食べ物にせよ酒にせよ、あるいは身近な家具や絵画・小道具にしても、言葉が先行し観念的になっている。と言うか、執拗すぎて鬱陶しい。一方、森茉莉は読者が分かろうと分かるまいとまるで気にしていない。
とは言え、森茉莉が稀有な作家でであることは確かである。「貧すれど鈍せず」という俚諺や、「襤褸は着てても心は錦」といった、歌謡曲の一節を思い出す。


小泉武夫のミラクル食文化論

2013-08-15 09:19:38 | 日記

小泉武夫著   亜紀書房刊

知っていることが多かったけれど、何時も通り楽しんで読んだ。なにしろ、著者は世界中を飛び回って珍しいもの、グロテスクなものを実際に試食しているところが凄い。さすが「味覚人飛行物体」のニックネームに恥じない。その根底には人が食べているものは、喰えるという思想があるからだろう。それにしても、毎度ながら「そんなにおいしかったけ、また食べたい!(私の場合は大半が日本のものだが)」と思わせる書き方が上手い。今回も鮒酢、蜂の子の瓶詰め等々メモしてしまった。
初めて知った事もある。「サラリーマン」の語源がソルト(塩)だということは知っていたけれど、パプアニューギニアには「塩灰」というものがあるそうで、昔はこの塩灰を竹の筒に包んでお金の代わりにしていたそうだ(166頁)。知らなかったなぁ。
唯、これらの事を今の学生に教えるにはかなりの情熱がいるだろうな、と思った。今の若い人達の食生活は一見豊かだけれども、奥行きがないものなぁ。


文士の友情 -吉行淳之介の事など-

2013-08-13 14:50:59 | 日記

安岡章太郎著   新潮社刊

著者の遺稿集。
このところ立て続けにこの世代の遺稿集や特集誌を読んでいるが、なによりも驚くのは彼等が様々な病気に罹患し、闘病生活を送っていることである。それも戦中から敗戦直後の、医療も医薬品も不足不備な時代である。勿論、彼等に限らず多くの人々が同じような状況に在った訳だが、彼等の病歴と闘病の経過を一覧したとしたならば、戦中戦後の医学史の一端が窺えるのではないか、と思ってしまう。
それはさて置き、尽々思ったのは彼等の「日本語・言葉の使い分けに対する執着と深さ」である。親しい作家達が集まって話題になるのは「この単語をどうして使ったのか? 使うべきではなかった! いや、絶妙だった」といったことだった。
日本語は死んだ!! 少なくても私が知っている日本語は! 勿論、言葉が時代につれて変容するものだとは分かっているが…。もうこの後、何人も居ないな。安心して日本語を楽しめる文章を書く人達は……。
因みに本書の装丁は、阿川弘之氏の『鮨』と同じ。当然か。著者は氏の親友であったのだから。新潮社も粋な計らいをする。


ライス回顧録 -ホワイトハウス 激動の2920日-

2013-08-07 10:14:25 | 日記

コンドリーザ・ライス著   集英社刊

併行して読んでいる。但し、内容はまだ我々にも記憶に新しい、現在も国際紛争の原因になっていることである。9・11、イラク侵攻といい、生々しい記憶のある時期がテーマなだけに、当時の日本のマスコミがどう伝えていたなどを思い起こしながら読んでいるので、なかなか進まない。しかも、A5判、二段組みで600ページなのだ。読了した時点でまた……。

 


海を渡った人類の遥かな歴史 -名もなき古代の海洋民はいかに渡海したのか-

2013-08-07 09:38:20 | 日記

ブライアン・フェイガン著   河出書房新社刊

以前からずーっと不思議に思っていたことが、本書で氷解した気がする。つまり、出アフリカを果たした人類が、海を渡り、遂にはポリネシア・オーストラリアさらにはハワイに移住し、繁栄したのかである。これまでの説では、端的に言えば偶然のチャンスを活かした(流木や筏で漂流していて偶然島を見付けた)というものだった。しかし、それでは無人島で人口が増えた理由が分からなかった。まさか、それほど多くの人々が一度に無人島に漂着した訳ではあるまい。
本書のキーワードは「出発点に戻れることを前提に、未知の海に漕ぎ出した」である。これならば納得できる。おそらく、ある地域で人口が過剰になったか、敵対する人々が登場したことが原因だろう。そこで、勇気ある少数の男達が未知の海に乗り出した。ただし、戻れることを絶対条件に。当然であろう。戻って家族・一族を再びその無人島に連れて行かなければならなかったからだ。それができたからこそ、島々に多くの人々が住む結果になったのだ。短絡的な要約だが、本書の言わんとするところはそうだと思う。コロンブス達が新大陸を発見したという時、そこには住人が居たのである。
しかし、「出発点に戻れることを前提に、海に乗り出した」という視点がいい。妙に興奮して読みましたよ。


さ ぶ  山本周五郎 長編小説全集 第三巻

2013-08-01 16:26:58 | 日記

新潮社刊

本書は抜粋で一部読んだことはあるが、通読したのは初めてだと思う(多分…?)。
読後、尽々思ったのは「栄二」の内省に終始していること。一方、「さぶ」にはそれが見られない。もちろん、周囲の人達が己の過去を語る所はあるが、内省までには至っていない。作者の狙いは彼の内省を柱に、ひとりの若者が自己を確立していく過程にあるのだろうから、それで構わないのだけれど少し片手落ちではないか、という気がしてならなかった。というのも、「さぶ」には「さぶ」の内省があった筈で、それとの葛藤も必要ではなかったのか。勿論、そこは読者が察するべきだと言われれば、そうですねと納得するしかないのだが……。
もうひとつは、彼の挫折の原因となった金襴の件だが、後半ぎりぎりで「さぶ」の仕業とまず分かる(但し、その動機は何も書かれていない)。しかし、そのすぐ後で真犯人は私だと「おすえ」に告白される。しかも、詳しいことは話させないで「栄二」は許してしまう。このエンディングが端折りすぎているような気がする。本来の流れで言えば、ここでも彼の内省が一言二言あっても良かったのではないか? どうも、最終場面の雰囲気を壊さないために急ぎ過ぎたとしか思えない。