山口 瞳 -江分利満氏の研究読本-

2013-07-29 14:53:28 | 日記

KWADE夢ムック  河出書房新社刊

同じ出版社の向田邦子を買った時に、一緒に買った本。このシリーズの良い所は書評的なものもあるが、作者の個人そのものを垣い間見ることができることだ。
山口瞳というと、私は連鎖的に開高健・柳原良平の名が浮かぶ。前にも書いたが『洋酒天国』というPR誌はとても洒落た雑誌で、それに匹敵するのはすぐには思い出せないくらいだ。それに一味アクセントを付けていたのが、柳原良平のイラストでアンクル・トリスが山口瞳とダブって記憶しているほどだ。
やはり、山口瞳で印象に残っているのは「新入社員諸君。」だ。一読して、えっ!と驚いた覚えがある。そう、あの人が…。洒脱に書いてあるようで、極めてオーソドックスな教訓だったからだ。その内容たるや、私自身が両親や祖母に耳に胼胝ができるくらいに聞かされ、知らず知らずに身についていたことだったからだ。「そうか、古臭くはねぇんだ」と納得したものだ。
本書を読むと、今、山口瞳が密やかなブームだそうだが、この教訓もブームになって欲しいものだ(と言っても、無い物ねだりか!)。


向田邦子 -脚本家と作家の間で-

2013-07-24 15:10:25 | 日記

文藝別冊 KAWADE夢ムック   河出書房新社刊

少し気分を変える積りで手に取った。同社のこのシリーズは、故人となった作家の人となり・作品について、様々な人々がどう評価していたか、どんな人物だったのかが多面的に分かるので便利している。
それにしても、向田邦子が亡くなって30余経ったのか、という想いが先に立つ。私は小説やエッセイ・対談しか読んでいないが(彼女のТVドラマが放映されていた頃は勤め人で、碌に観た事がない。なにしろ高度経済成長期に突入していた時期なので)。
しかし、しゃっきとした無駄のない文章を書く・話す人だった。勿論、その話題やテーマは充分分かる世代だったこともあるが…。本書が収録した各人の文章を読むと、その感が一層深い。もう、この手の機微に渉ったものを書く人は出ないだろうな。というか、それに共感できる読者が稀少なったのかもしれない。
まだ、若かったのに……。
結局、気分を変える積りが、書棚を漁って迷いながら一冊を手に取って読み更ける破目になった。


考えすぎた人 ーお笑い哲学者列伝ー

2013-07-20 15:03:31 | 日記

清水義範著   新潮社刊

さすが、ユーモア小説の大家、哲学者を俎板に載せたユーモア小説というのは滅多にない(哲学者の伝記で数行のユーモアというのはよく見るけれど)。とくに、脚注に著者の面目躍如といった趣があって楽しい。
しかし、タイトルの『考えすぎた…』ではないけれど、普通の人ならば「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし」に終わるのだが、そこの「過ぎたる考えすぎ」が「人間の歴史をいくらか面白くしている」、という著者の指摘は真っ当で、ここに本書を一読する価値がある。
ソクラテスからサルトルまで、ユーモアと茶化しに徹底しているが、どうもマルクスに関しては著者の本音が出ているように思うが、「清水先生、違いますか?」。


マヨナラ -消えた天才物理学者を追う-

2013-07-18 09:10:19 | 日記

ジョアオ・マゲイジョ著   NHK出版刊

抜群に面白いサイエンス・フィクションである。これを同じ物理学者が書いたとは思えないくらい読ませる。
因みにジョアオ・マゲイジョは、『光速より速い光 -アインシュタインに挑む若き学者の物語-』(NHK出版・2003年)の著者。つい最近光速より速い光を観測したという報告がされ、しばらくして「計測器の誤作動だった」と訂正されたと、記憶しているが…。
さて、この物語の主人公エッカトーレ・マヨナラとは、ニュートリノの存在をそれが実測された1956年より25年も前に論証した物理学者である。それが今なお「最初に論証した学者として燦然と輝く名」でないのには、様々な原因があった。しかも、その理由たるや物理学の世界とはまるで異質なことに由来している(ココが読み所で、サスペンスのネタをバラすようで、詳細は書かない)。それにしても、「読ませる」。途中、厄介なニュートリノの解説があるが、それも含めて(というのも、結構わかり易く解説されているので)気にせず読める。

 


カネを積まれても使いたくない日本語

2013-07-14 15:28:30 | 日記

内館牧子著   朝日新書

タイトルがいい。多分、私の世代だと祖父母からしょっちゅう言われていた「口が腐っても言うな!」と同義語だと思うが…(「金を積まれても…」という言葉も、花柳界や役者の世界の言葉で堅気の使う言葉ではない!と言われていましたので)。
しかし、さすが脚本家、言葉の収集、それに対する話者の情況分析は凄い。但し、『広辞苑』の捉え方には少々疑問がある。短絡的な言い方だが「広辞苑に載っていれば公認された」言葉ではない。広辞苑はかなり多数の人々が使っている言葉を収集しているのであって(その意味では『現代用語辞典』と変わらない)、そこに「その言葉の変遷プロセス」が載っているところに価値がある。著者が度々引用しているように、その言葉の拠って来た大本を知る手掛かりを知ることが出来るからだ。
それにしても、著者が憤慨する気持は良く分かる。こうなってしまった原因はもう分からない(現にいい年の人達も使っているそうだから)。多分、家族構成の変化、学校教育の変化にその根はあると思うのだが……。しかし、「カネを積まれても使いたくない」日本語が増えたこと! 呆れる他ない。著者が本書を書いた動機は痛いほど分かる。


『考える人』  2013年夏号

2013-07-11 15:22:06 | 日記

新潮社刊

私好みに任せて特集を紹介したけれど、この季刊誌、結構読み甲斐がある雑誌です。例えば、内澤旬子氏の「ニッポンの馬」。『世界紀行』、子豚を飼育して、場に運び自ら食した『飼い喰い』の著者だが、今回はサラブブレットの飼育現場のレポート(確か馬シリーズの4回目だと思うが)。
それから、光学機器用の製品や部品メーカーの「コシマ」の取材レポート。携帯電話やスマートフォンについているカメラには5枚のレンズ(厚さ1センチの中に!)、コンパクトデジタルカメラで5から7枚、一眼レフカメラ10枚以上、ズーム系で15枚強使われているなんて知っていました? 「レンズの機構部分や外装にはアルミニュームや真鍮を使い続けていますが、プラスチックのような合成樹脂は使用されてからまだ半世紀足らずで、信頼できない」ので使っていないそう。拘りですね。
他にも、食(今回は五島うどん)、祭り(同、大御幣祭と花笠舞)と記事のレパートは広い。巻末の岩合光昭氏の「動物たちの惑星」の写真も毎回の楽しみです。
なかなか、読み応えがあります。

 


特集 「数学は美しいか」  『考える人』2013年夏号

2013-07-06 16:24:46 | 日記

新潮社刊

私はこの特集を楽しく読んだ。だからと言って、私が数学に強いというわけではない、唯、余計なものを剥ぎ取って(捨象して)定理にもっていく、その数学者の精神構造に憧れるのだ。「だから、それはどういうことなのだ?」という執こさが好きなのだ。
数学は難しい、という人は多いと思う(私もその一人だ)。しかし、次の数行を読めば怖るるに足りないと思う筈だ。「古代メソポタミアで数字が使われはじめてから5000年、ピタゴラスからはまだおよそ2600年である。人類史から見れば歴史の浅い営みであるから、脳には『数学をするための部位』などもちろん用意されてはいない」(59頁)。つまり、誰にでも挑戦するチャンスはあるということだ。
この特集のひとつに、日本の算額の話が出てくる。江戸時代の人々の知的ゲームだったが、その誰もが数学者というわけではなかった。商人や僧侶、中には子供もいた。それどころか、日本人ならば誰でもできる折り紙は、幾何学の粋を集約したものだ。そう、少なくても我々には数学を楽しめる素質があるのだ。
面白いですよ!


開高健 名言辞典「漂えど沈まず」 ー巨匠が愛した名句・警句・冗句200選ー 

2013-07-04 15:26:13 | 日記

滝田誠一郎著  小学館刊

忘れた頃に、開高健を読むことが出来るのも彼の作品故かもしれない。どの本で使われたのか明示されているので、確認できるのも楽しみのひとつだ。
唯、気になるのはタイトルの「巨匠」という文字である。生前から使われていたのかどうか知らないが、改めて見ていると、私の印象としては似合わない(あの、シャイな彼が…、本当に…?)。確かに開高健は「巨才」ではあった。名コピーライターだったし(彼が編集した『洋酒天国』が欲しいばかりにトリスバーに通いつめたこともあった)、抜群の戦争ルポタージュの書き手でもあった(゛ヘトナム戦争の折、新聞記事には載っていない記事に血が騒いだし、べ平連を斜めに見ていたこともある)。
そして、食通・酒通でもあったし(著作に載っていたカクテルを飲みたいために、身分不相応にホテルのバーに行ったこともある)。そして、世界を股にかけた釣り師でもあった(銀山湖にも行きました。碌に釣りもできないのに)。でも、「巨匠」ではなかったように思う。
ところで、著者が取り上げた名言のから今の日本にピッタリのものを見付けた。『賢い為政者が四苦八苦して治めなければならない国は不幸である』(48頁)。そして、著者のコメントである。「この言葉に照らすと、現在の日本の民は幸福なのだということになるのだろう」。
どちらも、なかなかのものじゃないか!