空白の五マイル -チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑むー

2011-02-26 09:06:25 | 日記
角幡唯介著  集英社刊
探検、冒険物語である。ということは、本書を読まない限り面白さは分からないということ。したがって、中味には触れない。門外漢には「どうしてそんなことを?」「他にやり方はなかったの?」と思うが、それをとやかく言っても「大きなお世話」と言われれば、それだけの話だ。
さすが、第八回開高健ノンフィクション賞受賞作ならではの面白さだ。写真もいい。選考委員の茂木健一郎の「自らを批評的に振り返る視点も優れていた」という批評も肯ける。

天才が語る サヴァン、アスペルガー、共感覚の世界

2011-02-24 15:01:40 | 日記
ダニエル・タメット著  講談社刊
サヴァン(自閉症)、アスペルガー症候群(高機能自閉症)、共感覚の症状を3つを持つた人間は何をどう感じ? そして、その体験から自分を取り巻く世界をどう理解したのか? これが本書のメインテーマである。著者(彼自身がこの3つの症状を持っている)が自分の脳を゛実験台゛にした著作である。
私自身は幸いというか、残念というか、彼の数学についての能力については羨ましいくらいだ。しかし、専門家に言わせると、生まれて4、5ヵ月の赤ちゃんはこうした能力は誰でも持っていて、成長するにつれて自然と淘汰されるのであって、彼らは今現在も保持しているだけなのだという。
彼は自ら被験者となった経験をとうして、こうした症状を含めて(アルツハイマーなど)に対して、様々に開発されている治療薬に対して疑問を呈している。化学者や医師、製薬会社が、いつも正しい認識を持っているとは限らないと言うのだ。その弊害についても言及している。
本書を通読して思ったのは、人間はとても複雑な生き物で、替わりとなるものなどないのだ、というである。つまり、人工知能やロボトミーが人間とつて代わることは出来ないということだ。
どうでもいいことかもしれないが、タイトルの「天才が語る」というのはどうだろうか? 原題は「Embracing Тhe Wide Sky」だから、「広い空に抱かれて」というほうが著者の意図に叶っているように思う。前書きで著者言っているように、原題はエミリー・ディキソンの詩「頭の中は空より広い」から想を得たといっているのだから。

うなドン -南の楽園ににょろり旅ー

2011-02-23 08:59:56 | 日記
青山 潤著  講談社刊
久しぶりで痛快なエッセイを読んだ。まず、タイトルの意味から。「鰻丼」ではない。「うなぎの、ドン・キホーテ」の略である。そう、本書は鰻の研究者のエッセイなのだ。著者は東京大学・海洋アライアンス連携分野特認准教授。
ニホンウナギの産卵場を突き止め、つい最近うなぎの卵を見つけて話題になった、塚本教授率いる東大研究チームの調査報告エッセイ判。まさにその調査旅行は、ドン・キホーテ並に滑稽で、悲惨で、おかしい。詳しくは本書を読んで欲しい(合わせて講談社文庫の『アフリカにょろり旅』も読んでほしい.同氏著)。
ところで、現在地球上に生息するウナギは18種類(2009年、同チームが発見した新種を加えて19種類)いるなんて知っていました? そして、新種であることを証明するには30個体採集しなければならない(1、2匹では突然変異かもしれないので)そうです。
東大はこのウナギの研究では世界最先端であるそうだ。
とにかくおもしろい。鰻丼を待つ間に薀蓄を傾けるには持って来いの本です。

それぞれの東京 -昭和の町に生きた作家たちー

2011-02-21 09:55:45 | 日記
川本三郎著  淡交社刊
さすがに東京生まれの私にとって、ここに紹介された土地には全部い行ったことがある。ただし、そこで生活したかと言われると、2、3ヵ所しかない。
しかし、その町の雰囲気や住む人の気質はわかる。
著者が下町贔屓なのが少々気になるが、楽しく読めた。東京は戊辰戦争に敗れた街、そして関東大震災と東京大空襲で大きな被害を受けた町だが、復興も早かった。つまり、変わり身が早いのか、過去に執着しないのか、多分それが東京人気質なのだろう。

免疫学の巨人 -7つの国籍を持った男の物語ー

2011-02-19 09:45:13 | 日記
ゾルタン・オヴァリー著   集英社刊
現代のアレルギー研究はPCA反応から始まったと言っていい。ゾルタンはこのPCA反応の概念を確立した人である。「ブリッジ仮説」「キャリア効果」といったキーワードは全てこの人が発見したものである。そして、98歳で亡くなるまで現役の免疫学者だった。
もうひとつ、特筆しなければならない事がある。この本の翻訳は彼の弟子でもあった、東大名誉教授で抑制T細胞を発見した多田富雄氏が亡くなる寸前に訳了したものであることだ。帯に「多田富雄 執念の翻訳」とあるのは、このことを指している。
ゾルタンは1914年にハンガリーという小国に生まれた。つまり、第一次、第二次大戦の只中を生き抜いた人である。それ故にハンガリー、ルーマニア、ハンガリー、ルーマニア(大戦中、国の版図が変わった)、アポリデ(無国籍)、イタリア、アメリカと国籍を変えざるを得なかった。7つの国籍とは、これを意味する。
では、研究一筋の人だったかというと、全然そうではない。彼の興味と知識は「科学」という領域を遥かに上回り、西洋史、絵画、彫刻といった芸術、音楽にまで及び、しかも一流の鑑賞者であり、聴き手でもあった。学者としての足跡を辿るのも面白いが、教養人としての経歴を読むのも面白い。
本書を読んでいて気がついたことがある。ヨーロッパやアメリカの現代における芸術家の大パトロン達の存在である。必要だと理解すれば、実に気前よく美術館やコンサートホールをさり気なく、しかも多くの場合匿名で寄付していることに驚く。税制の違いもあるのだろうが、日本ではあまり聞かない話だ。

日本の刺青と英国王室ー明治期から第一次世界大戦までー

2011-02-18 08:54:44 | 日記
小山 騰著  藤原書店刊
なんとも奇妙な本。朝日新聞の書評欄を見て買った。著者はケンブリッチ大学図書館日本部長。さすがと言うべきか、おそらく日本ではこれまで紹介されなかったであろう、英国で発掘した資料を駆使して、英国王室を含むヨーロッパの君主が刺青の熱狂的なファンであったことが、これでもかとばかりに披露されている。
しかも、明治に入り日本では刺青が禁止されたのに対し、英国、ヨーロッパ、アメリカではこれを境に大流行したと言うのだから皮肉な話である。
だが、これをもって英国との親善交流があった、と言われると首を傾げてしまう。いずれにせよ、かなりマニアックな本。図版、写真が豊富なので見ていてあきない。

全貌 ウィキリークス

2011-02-16 15:06:49 | 日記
マルセン・ローゼンバッハ ホルガー・シュタルク共著  早川書房刊
サブタイトルは「正義のジャーナリズムか? 史上最悪の情報テロか?」。
ウィキリークスの創始者・ジュリアン・アサンジという人物については、注意深く読んでみたがよく分かりかねる。どこか幼稚な所もあるし、一方カリスマ性もあるように思える。トータルな印象から言えば、一種の夢想家で、地に足が着いていない頭のいい大人子供というところか。
ただ、ウィキリークスがしたことはある意味評価してもいい。但し、生のデータを公開するという発想は「両刃の刃」という気がしてならない。勿論、「そのデータを元に自由な議論をして欲しい」というコンセプトは悪くない。
しかし、世界中が賢者で溢れているわけではない。愚者もいれば賢者もいる。従って、公開に当たっては慎重で賢明な「選別」が必要なのではないか。彼は一応「編集長」らしいが、明確な編集ポリシーがあるとは思えない。特に、その情報が人命に関わるデータである時は一層の慎重さが必要なはずだ。
結論はこうだ。まず、明確な編集ポリシーを確立すること。なにが正義で、なにが誤った行動なのか、国家と国民はどのように対峙すればいいのか、きちんとした視座をもつことだろう。彼は「妄想の編集長」である。多分必要なのは正しい意味での「広い見識を持った編集長」が、ウィキリークスには必要だということではないだろうか。

吉原御免状・かくれさと苦界行  読み返した本 7

2011-02-15 14:32:37 | 日記
隆慶一郎全集 第一巻  新潮社刊
これは同じ主人公をテーマにした、2部作。
隆慶一郎が素晴らしい作家だということは、前回述べた。ここでは、氏の博覧強記について述べたい。
例えば、「花柳界」の語源が唐の平康里(ピンカンリー)にあることは本書を読めばわかるが、「花柳病」までは今の若い人には分からないだろう。随所に引用されている都々逸にしても同じ。「君が為雪の待乳を夕越えて」のどこが面白いのか分からないだろう。掛詞や洒落が分からなければ、猫に小判,豚に真珠である。「道々の者」にしても、門付けや正月に来る漫才師、家々の門前で経を読むお坊さんを見たこともない人には、イメージしにくいだろう。
しかし、これらはほんの40年ほど前には見知られた、町の風物であった。だから、読者は行間に昔みた景色を思い出しながら、「そうだ、そうだったよ」と共感することができた。
氏の博覧強記を楽しめない人々が、多くなって来たのが残念だ。

すべてはどのように終わるのか -あなたの死から宇宙の最後までー

2011-02-12 09:12:45 | 日記
クリス・インピー著  早川書房刊
タイトルに魅かれて買った本。
「人は何年生きれば満足するのだろう」。縄文杉は7000年生きている。この本で初めて知ったのだが、タスマニア島の熱帯雨林に1キロメートル以上にわたって伸びている1本の潅木は、4万3600年生きているそうだ(私は御免蒙る。退屈しそうだ)。
この本には、微生物、動植物、人間、地球、太陽、銀河、宇宙の終わりが語られている。しかし、いずれにせよ我々の地球は水星、金星とともに、62億年後には太陽に呑み込まれてしまい、そして、宇宙も消滅する。でも、考えて欲しい。この宇宙がビッグバンで誕生したのは、137億年前である。それに比べれば少々短すぎないか。
つまり、無から生まれた宇宙は、再び無に回帰するのだ。要するに「永遠」も「限りない未来」もないということだ。そして、今生きている人間には「永遠の疑問」だけが残される。宇宙は、無から始まり、無に終わる。タイトルの「すべて」の意味するところはなんなんだろうか? 人間が消滅すれば、「神」も消滅する。誰に問えばいいのだろうか。
この本が難しいかどうかは、読み手にかかっている。本自身に書かれていることは非常に簡明だ。要約が不分明なのは、私がまだ十分に読みこなしていないからなのだろう。近いうちにもう一度読み返してみよう、と思っている。

中 一弥画 亦々一楽帖

2011-02-10 14:45:51 | 日記
乙川優三郎 文・監修  講談社刊
実は、先日紹介した中一哉氏には、作家の乙川優三郎氏が300点を選んで編集した挿絵画集がある。それが本書である。
偶に、挿絵画家の原画の個展が画廊で開かれることはあるが、一冊の本になることは稀である。さすが画歴80年の人だけあって見応えがある。一部掲載紙からの転載があるものの、中一哉氏の繊細な筆先は、十分楽しむことが出来る。因みに掲載されている一番古いのは、昭和四年(1929)『本朝野士縁起』(直木三十五)の挿絵。
一見の価値あり。