方言漢字

2013-04-27 09:22:49 | 日記

笹原宏之著   角川選書

日本の地名・苗字が読み難いということは、日本人ならば誰でも知っている。なにしろ同じ漢字ですら読み方が違う。私も友人に「東」という人が二人いたが、ひとりは「ひがし」、もうひとりは「あずま」だった。地名でも四谷・渋谷・世田谷・千駄ヶ谷の「谷」は「や」で不思議にも思わなかったが、この谷を「や」と読むのは東京くらいで、西ではそうは読まないらしい。
本書は全国の地名(苗字も含む)を漢字という視点から網羅したものだが、「方言漢字」というジャンルがあることは本書で初めて知った。同じ漢字で読み方が違うのは勿論、大して難しい漢字でもないのに全国で唯一ヶ所しかない地名、初じめて見た漢字の地名、極々普通の三文字漢字の地名がどうしてそう読むの? といった地名から、その地方独特の略字の地名や作字の地名ががあったりする。
しかし、不思議だと思うのはその地方以外の人であって、その地に住んでいる人には当たり前なのである。本書では北海道・東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州・沖縄まで、著者が採集した珍しい地名・苗字が紹介されている。「うちらの常識、他所では通じない」という、妙なパラドックスが展開されているのだ。読んでいて、思わず隣の人に「この地名読める? なんて読むの?」と、聞いてしまいたくなる。郷土愛に燃える人もいるし、うちの苗字全国でも希少な苗字なんだ、と優越感を持つ人もいるかも知れない。「左沢」を「あてらざわ」と読むんだなんて序の口ですよ。もしかすると、読者の中にはここに採集されていない珍しい苗字を持つ人や、地名に住んでいる人も居るかも知れませんね。その時は著者に一報を!
読後の感想。一体日本の地名や苗字の読み方はどれくらいあるのだろう? なにかたのしくなってくる。


『地球千年紀行』   『亡びゆく言語を話す最後の人々』      

2013-04-24 08:54:52 | 日記

『地球千年紀行』  月尾嘉男著   アサヒビール(株)刊
『亡びゆく言語を話す最後の人々』  K・デイヴィッド・ハリソン著   原書房刊

両書を併行して読んだ。共通するテーマは、先住民と言われる人々に伝えられた自然環境・伝統文化(言語も含まれる)・生物資源・思想と多岐に亘る内容について実地に調査・研究したレポートである。両書に共通している認識は、「人類の歴史を猿人から計算すると、1000万年、その内の99・8%は狩猟採集生活、この最後の1%未満の期間に人類は農耕牧畜を手中、工業生産はほんの直前だった」。そして今先進国を中心とした文化は破綻を来たしている。環境破壊から民族戦争まで。「何故、こんなことになったのだろう?」
いろいろな意見はあるだろう。しかし、両者に共通している認識は次のことに尽きる。
それは「現在の環境危機の背景にある思想の根源は一神教的な宗教の教義である(『現在の生態的危機の歴史の根源』リン・ホワイト・ジュニア)」。これに独善的政治思想に由来する独裁政体も加えていい。つまり、一神教的宗教の独善による破壊である。もっと端的に言えば「ここ数千年の世界を要約すれば、多様で分散していた社会を画一の方向に統合してきた歴史である。独立していた地域は巨大な国家の一部となり、無数の多神教的宗教(多文化的生活)から少数の一神教的宗教が優勢となり、部族ごとに相違していた言語も(生活様式も)統一された」のが原因だということである。
前書はこうした問題を広範囲に扱ったもので、著者が理系の人なだけに記述が直截でわかり易い。後書は言語学の専門家でテーマもそれに限られているが、問題認識は同じである(だから、併行して読む破目になった)。詳しいことは本書を読んで欲しい。
これは、あくまでも余談だが、最近の日本でも同じようなことがグローバル化という一神教によって、危うくなっているのではないのか? そんな気がしてならない


追記 有次 -包丁をつくる人、つかう人-

2013-04-18 08:30:06 | 日記

江 弘毅  『考える人』2013年春号  新潮社刊

和食、とくに京料理の世界ではこの有次(ありつぐ)の包丁は絶対的な権威を持っているそうだ。この特別寄稿は、その有次の製造過程を逐一レポートしたものである。
読むと素人の私でも欲しくなってしまう。しかし、この包丁は京料理の職人が何時かこの包丁を手にする一人前の職人になる、証しの至宝の包丁なのである。道具が先なのではない。面白いエピソードが紹介されている。「白衣が似合てきた頃、いつかは本焼きの包丁を使いたいと思う。まあ目標です。それでやってきてやっと買えた。まあその頃は、弟子が自分の仕事をやってて、研ぐだけでもう使えんことが多いですけど」。お分かりだろうか? それほどの包丁なのである。正に武士と刀の関係に似ている(実は、その通りなのである。本文参照)。
小林秀雄に気を執られていて、紹介するのを忘れていた。


小林秀雄 最後の日々

2013-04-17 08:46:32 | 日記

『考える人』2013年春号   新潮社刊

没後30年か。ある時まで小林秀雄で夜も更け、小林秀雄で夜が明けたこともあったけ。亡くなったと聞いた時、これで暫くは小林秀雄の名も聞かなくて済むと思ったものだ。多分、私も30年振りで小林秀雄を読んだことになると思う。
再録された小林秀雄と河上徹太郎の対談(彼の最後の対談。CDが付いている)が掲載されているのだが、改めて彼のシャープさに感心した。とくに歴史について次のように言っている。「近頃の歴史小説はつまらないということを、言っているんだよ。つまり人間が、歴史作家が、歴史を作れると思い上がったところがある。つまらない風潮だ」。これが30年前の指摘である。今もその風潮は変わっていない。こうも言っている。「それにしても、一方、近頃の考古学上の発見についての、マスコミの大騒ぎから、非常に不愉快なものを感じているということもあってね」。これに対応するかのように河上も「この頃のように発掘ブームだと、初めのうちはおしゃべりで賑やかだが、やがて奇言を弄しだす」と言っている。
二人の根幹にあるのは「歴史は繰返す、とは歴史家の好む比喩だが、一度起こってしまった事は、二度と取り返しが付かない、とは僕等が肝に銘じて承知しているところである」ということなのだ。やっぱり、巨人だな……。


量子革命  ーアインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突ー

2013-04-09 14:53:59 | 日記

マンジット・クマール著   新潮社刊

「量子論なんて、知らねぇ」、少し知っている人ならば「あんな小難しいのはゴメンダ」、いや「量子なんて見えないじゃん」という人が多いと思う。しかし、この量子論が今や私達の生活環境を支配していると言っても過言ではない。IТから医療技術(レントゲンやレーザー手術まで)、いやもっと身近なものまで。
本書は、その難しい量子論をそもそも誰が言い出したのか、誰が反対し、誰が発展させていったのか、どうでもいいが、この量子論が何人のノーベル受賞者を生んだのかについて記述した「量子の歴史書」である。物理学に付きものの数式は最々少限に押さえられていて、小説を読むような気楽さで読める。しかし、その見返りは大きい。なかには素人にはびっくりするくらいの変人・頑固者・天才・凡才だけれども異常なくらいの努力家といった人々が登場して厭きない。
そして、本書の何よりの収穫は、量子論に関わった人達の人名索引と量子論の発展の年表が付いていることである。多分、これから量子論を勉強しようとしている若い人や、興味はあるが手を付き兼ねていた人には恰好の本だ。
500頁と少々分厚い本だが、読書の醍醐味を満喫できる本。


美術品はなぜ盗まれるのか 

2013-04-05 14:57:05 | 日記

サンディ・ネアン著   白水社刊

サブタイトルは「ターナーを取り戻した学芸員の静かな闘い」。本書は、1994・7・29に19世紀の画家J・M・W・ターナーの二点の絵画『影と闇』『光と色彩』が貸し出し中の独逸の美術館から強奪され、それら二点を貸し出した英国のテート・ギャラリーの学芸員(本書の著者)が取り戻した2002に至る8年超に及ぶドキュメンタリーである(第一部)。
詳しい経過は書かない(私はそんな野暮ではない)。しかし、ストーリーに気を執られていたせいか、読み終わった時点で考え込んでしまった。この事件で最終的に儲けたのは誰なんだ?
双方の美術館は明らかに損失を蒙っている(人的費用や信用という意味で)。保険業界とそのアンダーライター(保険引受人)も損失を出している。捜査に当たった人物に対する報酬は儲けとは言えないだろう。真犯人はどれほど受け取ったか分からないが、結局逮捕されたのでチャラだろう。ただし、強奪者もしくは迂回して絵画を手にしていた人間(実質的な首謀者か)ということになるが、その人間との交渉役を果たした弁護士(正当な活動だったとしたならば、その報酬は当然のものだが、一味だった可能性もある!?)も除外できない(詳細は発表されていない)。
しかし、8年である。ずいぶん効率の悪い仕事ではないか? このあたりを読むと面白いと思ったのだが、後の祭りだった。
第二部では、美術品の盗難の歴史と対策が考察されているのだが、息が切れてざっと読み流してしまった。もう一度読み直すつもりだが……(なにしろ、次の本に八分がた興味が行っているので、後日になると思う)。


中国台頭の終焉

2013-04-03 09:38:21 | 日記

津上俊哉著   日経プレミアシリーズ

前々から不思議に思っていたのだが、どうやら現在の中国を支配している経済学(それに基づいた経済政策)は、「地球外惑星の経済政策」のようだ。素人でも分かるような矛盾に満ちている。しかも、早晩崩壊しかねない矛盾だ。
たとえば、東南アジアやアフリカでの経済投資は一方通行で、自国の利益誘導にしか目を向けていない。一時的には国富を増加させるだろうが、将来的には自国の製品の購買層を育てていない(地元には金を落としていない。経済投資に参加しているのは中国人民で、潤っているのは賄賂を受け取っている政府要人や地元の有力者だけという記事を読んだことがある)。
というのが一読した私の感想だが、詳しくは本書に譲る。データも豊富で説得力がある。著者の経歴もそれを充分に裏付けている。
心配なのは、中国に進出している日本企業である(本書にも一節を設けてあるので読んで欲しい)。しかも、存続するにしても撤退するにしてもややこしい国である。ただ、分かっていることはてぎるだけ早く将来の方針と対策を立てることだ。巻き添えを喰わない内に。
結局、中国は「2周回遅れの資本主義(と言っていいのかどうか分からないが)の国」なのだ。つい最近、習近平氏は「中国は第二次世界大戦の戦勝国なのだ」とモスクワでスピーチしたが、どうやら「中国は世界一の国」という中華思想は未だ健在のようだ。「GDPで中国が世界ナンバーワンになる日はやって来ない」「5%成長の実現さえ可能性に過ぎない」(いずれもオビのコピー)と危惧されているのに……。